イアン・ペイス ピアノリサイタル2024~現代ピアニズムの此岸(両国公演)|齋藤俊夫
イアン・ペイス ピアノリサイタル2024~現代ピアニズムの此岸I(両国公演)
Ian Pace Piano Recital 2024 Ryogoku Performance
2024年6月26日 両国門天ホール
2024/6/26 Ryougoku Monten Hall
Reviewed by 齋藤俊夫(Toshio Saito)
Photos by Z Nijuroku/写真提供:津田宗明
<演奏> →foreign language
ピアノ:イアン・ペイス
<曲目>
クロード・ドビュッシー:『映像第2集』よりI.葉陰をもれる鐘の音、II.しかも月は廃寺に落ちる、III.金色の魚
ピエール・ブーレーズ:ピアノ・ソナタ第2番
モーリス・ラヴェル:『ダフニスとクロエ―交響的断章』よりI.ダフニスの踊り、III.ダフニスとクロエの情景
津田宗明:『メビウス』
今堀拓也:『イタパリカ奇想曲』I.浜辺とマングローブ、II.カンドンブレの儀式、III.ショーロ
稲森安太己:『練習曲第2集』I.ユモレスク、II.アラベスク、III.ピトレスク、IV.ブルレスク
星谷丈夫: saṃkalpaka
シュテファン・ヴォルペ:ピアノ・ソナタ第1番「直立する音楽」
(アンコール)フェデリコ・モンポウ:『魔法(魅惑)』よりI.苦しみを休めるために
現代日本の大人気ライトノベル(とスピンアウト作品群)に『とある魔術の禁書目録(インデックス)』というものがある。その内容について立ち入った話はしないが、面白い点として、「超能力」を「科学的計算」によって獲得・操作できるという世界設定が挙げられる。超能力なんて魔法みたいなもの(実際この作品内でも魔術と超能力の違いは作品中で深い主題だそうだが要するに区別が難しい)なのだから「科学的計算」なんか必要ないではないか、と思われるかもしれないが、今回のイアン・ペイスのピアノを聴いて筆者が感じたのは複合ベクトル算術のような「科学的計算」に基づいた「超能力」としての音楽が今ここに実現しているのではないか、ということであった。
超能力としての音楽の実現、前半1人目のドビュッシー『映像』、後半1人目のラヴェル『ダフニスとクロエ』、アンコールのモンポウ『苦しみを休めるために』ならば計算だとか何だとか考えずに素直に素朴にそう感じ取れるだろう。ドビュッシーのある時は瞑想的、ある時は侘び寂び的、ある時は豊穣な美酒を含むがごとき楽想、ラヴェルの陶然たるピアニズム、モンポウのトロピカルなオリエントの熱帯夜の艷やかさ、どれもこれも音楽の超能力でなくてなんであろうか?
しかし、ドビュッシーから転じてのブーレーズのピアノ・ソナタ第2番を何と聴こうか?
第1楽章、終始ソリッド極まりなくクリアかつ堅固な構築性を保ち、乱雑・乱暴になることがないのにダイナミックで、さらにはエロスとタナトスすら感じさせる。
第2楽章、正体不明の歌心がセリーに宿り、語りかけてくるようなブーレーズとペイス。その歌は強迫的で精神的にかなり病んでいるがだからこそ美しい。
第3楽章、これまたソリッドな構築性が際立つ。音は跳ね回るのに感情が不動のまま盤石で全く動じない。
第4楽章、前楽章とは打って変わってのたうち回るセリエルの魔法。上行クレッシェンドが禍々しい日の出のよう。そこから低音域でゴロゴロと蠢く。この感情の振れ方は危険すぎる、と息をするのも忘れてみなぎる音の群れに集中する。圧倒的暴力的楽想の後、全てが破壊された後の弔いの鐘のような音が点々と続き、了。
ペイスのブーレーズを聴いた筆者には、作曲もこの演奏も含んだ音楽の全て、徹頭徹尾が理詰めの計算で作られていると感じられた。この作品がセリー音楽なのは言うも愚かであるが、そこに含まれている「理屈」あるいは「理合い」を「科学的」に感受して再現することはひどく至難の技である。その至難を乗り越えた先に見える圧倒的な超能力的音楽を我々は聴いた。
ブーレーズの後に続いた日本の4人の作曲家たちにもいたずらに情緒に流れる事を禁じた理知的計算が通底していたように筆者には聴こえた。
津田『メビウス』、ミニマル・ミュージックのように延々と反復しつつじわじわと変容し転調していく。バッハの平均律第1巻第1曲プレリュードのように聴こえたのは、何度目かの転調で低音域・不協和音が出てくる箇所が平均律の密集和音が登場する箇所のように聴こえたからである。そして反復が曲の冒頭に立ち帰って終曲するのもまたバッハ的。瞑想的で他にはない質感、音の肌理(きめ)を備えた作品と聴いた。
今堀拓也『イタパリカ奇想曲』、第1楽章は絢爛豪華な鍵盤音楽の和音の連続の妙。ペダルを解放して広がる万華鏡の趣き。と思えば、低音域を鐘のように打ち鳴らし、それに上声部が応える。さらにまた万華鏡が華々しく散って終わる。第2楽章は低声部の音塊と上声部の甲高い音が変拍子かつポリリズムを作り出し、現代土俗音楽といった面持ちの力強い音楽。第3楽章は超高速で饒舌かつ陽気に踊り狂いスタートからゴールまで一気に駆け抜けて了。作曲者のブラジル、イタパリカ島での印象をもとに作曲した作品だそうであるが1)、全3楽章それぞれに作曲者の個性が際立つ妙なる音楽であった。
稲森安太己『練習曲第2集』、この作品は危なすぎる! 第1曲「ユモレスク」は和声進行が怖すぎる。いや、和音単体でも十分剣呑だ。感官に手を突っ込まれて内側からグネグネと捻られるがごとし。場面転換しても全く救いがなく、ぐねぐねの自乗、三乗のまま終わりがやっと来る。第2曲「アラベスク」はこちらの美的認識・把握から逃げ続けるアラベスク。何をやっているのか全くわからず、超絶技巧にも程がある。第3曲「ピトレスク」、これもまた気味が悪い点描から奇妙に堅固な構築物が作り上げられたと思ったら高速で崩壊していく。第4曲「ブルレスク」、これまでも十分に怖かったがここでド派手に何もかも壊しに来た。ビートに乗ってあらゆるものを灰燼に帰させて、高速下行音型の波が連続で押し寄せて終焉を迎える。危険過ぎる!
星谷丈生『saṃkalpaka』、神妙な面持ちの弱音点描音楽が続く、と思ったら突如音の塊が飛んできたり走句が駆け抜けたりする。それもランダムではなくどこか秩序――しかし謎の――に基づいているように思える。クセナキス(建築)とメシアン(鳥)とケージ(沈黙)が混ぜ合わされて不思議に同居しているかのようだ。ひそやかな和音と休止が反復されて了。
ペイスの超絶技巧をもって初めて築かれうる日本人4者4様の超能力としての音楽――そこにはもちろん理知的な科学的計算が必要不可欠だ――の多彩さに大いに感銘を受けた。
プログラム最後のヴォルペ「直立する音楽」第1楽章2)は最低音域で削岩機が岩を掘るような超硬質の音がペイスの剛腕によりとんでもない音圧でぶつかってきて、次第に音高を高めつつ「直立する音楽」の名の通り、音が横に旋律線や和声進行を作ることなく1打1打、頭の上から足の先へ垂直に刺さるように奏でられる。第2楽章は作曲当時の労働歌であろうか、素朴な旋律だがペイスのアタックが強くてえらく剛直な音楽となっており、また左右の手で奏でられるのが対位法なのか何なのかわからなくなってくる。第3楽章は第1楽章とは逆に高音域から中音域へと下がりつつの「直立する音楽」。ペイスの剛腕と音楽の構築性が見事に融合した名演であった。
しかし、ここまでペイスのピアノの「科学的計算」力に圧倒されると、ドビュッシー、ラヴェル、モンポウにも超能力的ベクトルの流れの計算があったのではないか、と思えてくる。ドビュッシーのガムラン的テクスチュア、ラヴェルでペイスが突然差し込んできたペダルOFF、モンポウの夜に忍び寄るナニカの気配、それらにも音楽という超能力の源ベクトルが潜んでいたのでは……? これは筆者の妄想に過ぎないだろうか?
いささか筆が勇みすぎたかもしれないが、超能力的ピアニスト、イアン・ペイスと超能力的作曲家・作品たちとの稀有な出会いに立ち会えたことを心から喜びたい。
1)関連記事
五線紙のパンセ|イタパリカ島にて(1)|今堀拓也
五線紙のパンセ|カンドンブレとショーロ|今堀拓也
2)プログラムノートによると、「ピアノソナタ第1番は(中略)現存するのは第一楽章のみであり」とあるのだが、本演奏会ではプログラム通り第2、第3楽章も演奏された。これら第2、第3楽章がどこに由来するのか少々調べてもわからずじまいであったのでプログラムに従って第2、第3楽章として記述する。
(2024/7/15)
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<Player>
Piano: Ian Pace
<Pieces>
Claude Debussy: Images Book II
I.Cloches à travers les feuilles
II. Et la lune descend sur le temple qui fut
III. Poissons d’or
Pierre Boulez: Piano Sonata No.2
I.Extrêmement rapide
II.Lent
III.Presto assai meno presto
IV.Vif
Maurice Ravel: From Daphnis et Chloé – Fragments Symphonique
I. Danse de Daphnis
II. Scene de Daphnis et de Chloe
Muneaki Tsuda: Möbius
Takuya Imahori: Capriccio itaparicano
I. Spiaggia e mangrove
II.Rito di Candomblé
III. Choro
Yasutaki Inamori: Klavierestüden Zwites Heft
I.Humoresque
II. Arabesque
III. Pittoresque
IV. Burlesque
Takeo Hoshiya: saṃkalpaka
Stefan Wolpe: Piano Sonata No.1 “Stehende Musik”
I.Sehr Schnell
II.Fast langsam; warm, aber nicht zimperlich
III. Schnell
(Encore)Feredico Mompou: I. …pour endormir la souffrance from “Charmes”