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三つ目の日記(2024年5月)|言水ヘリオ

三つ目の日記(2024年5月)

Text by 言水ヘリオ(Kotomiz Helio) :Guest

 

封筒をあけるとき封をはさみでごく細く切るということを最近するようになった。そのときどきで、まっすぐに切れることも、曲がって切れることもある。なにかの拍子でくるくると渦巻きのように切れることもある。それらを集めて飾っている。誰からの郵便物であったかはもうわからない。

 

2024年5月3日(金)
都営新宿線の馬喰横山駅で下車。改札近くの立ち食いそば屋で食事する。至近にあったコーヒーのチェーン店で時間調整して、kanzan galleryでの『Marginalia』上映会へ。見終えて外に出ると20時を過ぎていてあたりは暗い。大通りの交差点、横断歩道を渡っていると、歩道にいたちいさい子が持っていた風船を離してしまった。風船は風に流され車道を転がっている。横断歩道から逸れて風船を追う。二度三度バウンドして、手のなかにおさまった。その子の父親と思われるひとにそれを渡す。風船を手にしたのなんていつぶりだろう。

 

5月15日(水)
床に置いてあるねぎの花がまた咲きそうになっている。どれくらい咲くのか、見とどけるためにそのまま放置する。部屋の中に、鉢に植えたりしているわけではないのにしっかりした花茎を持つ植物が曲線を描いてのびている。写真に撮る。

 

5月18日(土)
会場の扉を閉めると、もう作品を過ぎていた。もしかしたらすでにいくつかを通過していたのかもしれない。そう思いながら階段をのぼる。のぼる足を止め、壁面の様子に目をやる。ようやく2階に着いたころには、すっかり作品のなかにいる。暗い室内。プロジェクターが映す青い光と、天井からの照明の赤い光。床には一面、主に写真などの紙類が雑然とあるものの、人の侵入を受け入れる程度の空き地があり、そこを辿って奥へと進むが、どうしても展示してあるものを踏んでしまう。写真になにが写っているのか確かめようとする。だが被写体はこちらの関心から逃れるようである。確からしいのは、作者のカメラのレンズの前に写っているものごとがあったのだろうということ。被写体となって写っているものはしばしば切り抜かれており、空白として存在している。いたるところに「やり直し」と書かれた、あるいはそう書かれたと思われる点描の文字の書かれた紙。組まれた木材にはなにかぶら下がったりしていただろうか。あるところをじっと見ていても、なぜそこを見ているのかわからなくなり、視線はほかへと移っていく。天井を眺めるとそこにも手が加えられている。もう役にはたたなそうな傘……。芳名台の上にスタンプが置かれていたので、持っていたノートに押す。「無信号」と表示のある映像が壁に映し出されループしている。階段をおりようとして、取っ手のようなところをつかむと、そこには見ていなかった作品の部分があって知らぬまにそれを摑んでいた。目の前には、作品のタイトルが掲示されていた。「やり直し──諦念の野心家像 改め 月面陸船」とある。階段を降りる。1階は立ち飲み屋。
コーラを注文して飲む。この1階に展示がなされているのは、わたしははじめての体験。ほかにも客がおり、作品を求めて移動するという感じではない。カウンターに居場所を構えてきょろきょろする。すぐに、いたるところ作品だらけであることがわかる。品書きの紙がドローイングになっていたりするし、足元にはたくさんのちいさなものが置かれている。見えない、見ていないものもあるだろうが、それはそれでよいと思った。紙に描かれた小さな絵の束の入った箱を見つける。一枚500円とあったので、絵を見ないで一枚引き抜き、となりにあったお金入れと思われる箱に500円玉を落とす。

やり直し 関口国雄
gallery DEN5/代田橋納戸
2024年5月18日(土)〜6月2日(日)
https://www.instagram.com/p/C7JIMc9SHvM/?img_index=1

 

5月25日(土)
DIC川村記念美術館で「カール・アンドレ 彫刻と詩、その間」を見る。彫刻。その上を歩くことができる彫刻もある。触れることはできない。多くの作品は横方向、水平に展開している。次の部屋にも彫刻、そして、文字、語の並べられた視覚にも考えにも働きかける詩。帰りのバスのなかで、同行した知人が疑問を口にする。カール・アンドレの政治的な側面に関する言及がまったくなされていなかったからである。図録を確認すると、略歴で簡単に触れられていただけであった。教えてもらった『アートワーカーズ 制作と労働をめぐる芸術家たちの社会実践』(ジュリア・ブライアン゠ウィルソン著、フィルムアート社、2024年)の第2章「カール・アンドレの労働倫理」を読むことにする。

 

5月30日(木)
ビクトル・エリセの『エル・スール』を見ながら左手で右腕をいじっていたら、かさぶたを剝がしてしまった。指を鼻に近づけると血の匂いがした。

(2024/6/15)

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言水ヘリオ(Kotomiz Helio)
1964年東京都生まれ。1998年から2007年まで、展覧会情報誌『etc.』を発行。1999年から2002年まで、音楽批評紙『ブリーズ』のレイアウトを担当。現在は本をつくる作業の一過程である組版の仕事を主に、本づくりに携わりながら、2024年に『etc.』をウェブサイトとして再開、展開中。