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NHK交響楽団 第2010回 定期公演|藤原聡

NHK交響楽団 第2010回 定期公演
NHK Symphony Orchestra,Tokyo the 2010th subscription concert

2024年5月11日 NHKホール
2024/5/11 NHK Hall
Reviewed by 藤原聡(Satoshi Fujiwara)
写真提供:NHK交響楽団

〈プログラム〉        →foreign language
パンフィリ:戦いに生きて[日本初演]
レスピーギ:交響詩「ローマの松」
レスピーギ:交響詩「ローマの噴水」
レスピーギ:交響詩「ローマの祭」

〈演奏〉
指揮:ファビオ・ルイージ
コンサートマスター:篠崎史紀

 

クラシック音楽の世界では演奏者が自国の作品を取り上げる際によく「お国物」との言い方がされる。その筋で言えば今回のファビオ・ルイージによるレスピーギのローマ三部作などはまさにそれだが、しかし同国人とは言えこの両者、イメージ的にはあまり結びつかない。自身で述べているようにいかにもジェノヴァっ子な内省的気質を持つルイージと絢爛たるローマ三部作。話を拡げればイタリアの国家統一(リソルジメント)が完了したのは比較的近年の1871年であり、それゆえか現在も各地方ごとの独自性が際立つこの国の特徴ゆえ、「お国物」だから得意などと言うのも話を単純化していよう(イタリアに限った話ではないが、今回は特にそう感じる)。で、実際にその演奏はどうだったのか?

まずはそのローマ三部作の前に現代作曲家リッカルド・パンフィリ(1979〜)による作品「戦いに生きて」。これが日本初演とのことだが、プログラムによれば2017年にフィレンツェ五月音楽祭管弦楽団の委嘱により作曲され、同年12月31日にファビオ・ルイージの指揮で世界初演。2022年には改訂版がトリノで、やはりルイージの指揮により演奏された。作曲家はこの作品をベートーヴェンとヴェルディを結ぶ「戦い」をイメージして作曲しており、それは習慣やマンネリを打ち破り、新たな言語を開拓し、境界を押し拡げる芸術家の内なる闘志とのことだ。つまり、戦いと言っても戦争のことではなく、それはあくまで内なる精神の問題である。

さて、プログラムによるそのような事前情報を読んで作品に臨むと意外に拍子抜けする。巨大なオーケストラ―特に膨大な打楽器―を用いて存分にそれを咆哮させる箇所と潮が引いたような静謐さが訪れる箇所との対比は面白いが音楽は調性的であり、各楽器のキャラクターの活かし方の巧みさ、木管楽器の特殊奏法などもありつつ、その音楽は存外聴き易く、もっと言うならば保守的であり、上記説明にあるような挑戦的なイメージは余り感じられず、その意味で作曲者の狙いがいまいちよく分からない。よく出来たオーケストラピースとは思ったのだが。ちなみに作曲者のパンフィリ自身が会場におり(筆者の数席横!)、終演後にはルイージに紹介され客席で起立し喝采を浴びていた。

続いて件のローマ三部作「松」。ボルゲーゼ荘の松からN響のヴィルトゥオジティが炸裂する。各パートの技術的な切れ味の良さ、正確さ。それが集合体となるのだから全体の音響は微塵も混濁せずあくまで透明だ。むろんこれはルイージの力量あればこそ、ここまでクリアな演奏を実演で聴いた記憶がなく、これはまさに耳の快楽と言わねばなるまい。続くカタコンブ付近の松では沈滞した重さは控え目。ジャニコロの松ではオーボエ・ソロの音色美とフレージングの妙が極めて印象的だったが、この首席氏は明らかにN響の方ではなく、調べてみるとフランクフルト・ブランデンブルク州立管弦楽団の首席奏者である中村周平氏とのこと。ここでもルイージの演奏は比較的あっさり、清潔感が漂う。最後のアッピア街道の松においてルイージは猛烈な大音響を聴かせるよりはあくまで端正で構築的、シャープにまとめ上げた印象。それでも迫力が十分であったのはオケの力量ゆえだろう。尚、金管のバンダはパイプオルガン下と反対側のバルコニーに配置。

休憩を挟んでの「噴水」は三部作の中でルイージの音楽性に最も合致しているかも知れない。指揮者の繊細な磨き上げ方が作品のテクスチュアに合っているのだ。それゆえ細部が極めて立体的かつ目の覚めるような音色感と共に立ち上がり、三部作の中では相対的に地味な「物量作戦」ではない本作の本領が立ち上がる。特に「たそがれのメディチ荘の噴水」の儚い美しさと言ったら。これは何の留保なく名演奏と評せる。

最後の「祭」。ここでもルイージはやみくもな大音響を炸裂させずに冒頭からよくコントロールされ凝縮された響きを作り出す。音楽が音楽だけにさらなる豪放磊落さが欲しくもあるが、これはこれで1つの見識だろう。但し、以前にルイージとN響の第2000回定期公演レビューで筆者が記したことがあるけれども、この基本的に内省的なルイージの「スイッチ」が入り、緻密なままいきなりボルテージが上がって猛烈なテンションの演奏に豹変することがあるのだが、それがこの祭のラストにおける主顕祭だ。コーダのハイテンションぶりは全く強烈で、普段真面目で大人しい優等生が何かの拍子でタガが外れるとえらいことになるという好個の例だ。それでもルイージ&N響だけに野卑な音響の垂れ流しにならずにあくまで整然さをキープしているのが凄すぎる。たまによく分からなくなることもあるが、やはり名コンビですよルイージとN響は。

で、最初のお国物云々の話。ルイージとローマ三部作、指揮者の精神的風土と作品の本質は完璧に合致するわけではないが、しかしシンクロする箇所は途轍もない名演を生み出し(噴水)、そうでなくてもそのプロの力量で指揮者の体質に沿った聴かせる演奏を実現させ(松)、やはり体質とは違う作品でもなぜかスイッチが入るといきなり曲に憑依して脳天沸騰の血湧き肉躍る猛烈演奏を繰り出してしまう(祭)、との結果になり、つまりお国物云々はこの場合あまり関係ない、あるいはよく分からない(笑)との結論に到達した。ルイージという傑出した「個」が全て。

(余談)「戦いに生きて」のパンフィリさん。自作の後のローマ三部作も客席で聴かれていたが、どの曲の終演後にも非常に熱心かつ嬉しそうに拍手しておられた。周囲の聴衆とも気さくにコミュニケーションを取っておられ、良さそうな方でした。

 (2024/6/15)

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〈Program〉
Riccardo Panfili: Abitare la battaglia(Living the Battle)[Japan Première]
Ottorino Respighi: Pini di Roma,symphonic poem (Pines of Rome)
Ottorino Respighi: Fontane di Roma,symphonic poem (Fountains of Rome)
Ottorino Respighi: Feste Romane,symphonic poem (Roman Festivals)

〈Player〉
NHK Symphony Orchestra, Tokyo
conductor:Fabio Luisi
concertmaster:Fuminori Maro Shinozaki