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モンセラートの朱い本 聖母マリアの頌歌集|大河内文恵

濱田芳通&アントネッロ結成30周年記念公演 第17回定期公演 モンセラートの朱い本 聖母マリアの頌歌集

2024年5月17日 東京カテドラル聖マリア大聖堂
2024/5/17 St. Mary’s Cathedral, Tokyo
Reviewed by 大河内文恵 (Fumie Okouchi)
Photos by 松岡大海/写真提供:アントネッロ

<出演>        →foreign language
指揮/リコーダー/コルネット/ショーム/ブラッダーパイプ:濱田芳通

アントネッロ:
ソプラノ:中山美紀
アルト:新田壮人
テノール:中嶋克彦
バス:谷本喜基
フィーデル:天野寿彦
ハープ:伊藤美恵
リュート:高本一郎
オルガネット:上羽剛史
ショーム/ドゥセーヌ:長谷川太郎
ショーム:志村樺奈
スライドトランペット:宮下宣子
パーカッション:立岩潤三

ラ・ヴォーチェ・オルフィカ
Sop: 伊地知一子 亀田亜希子 河瀬美子 栗原佳江 小暮容子 小路一美 鈴木はるみ 筒井敬子 登坂康子 蓮譲子 濱田真理 氷室綾子 持橋章子 湯浅敦子 吉川愉可
Alt: 岩松佐智子 大石陽子 大江智子 佐藤純子 砂坪敏子 田中直美 田中みお 中野美保 日佐戸陽子 前坂瞳 由渕美夏 横尾則子
Ten: 椚田厚 鈴木克彦 長江聡 横尾優
Bas: 赫多幸男 小玉有三 田中源太郎 松松勉

イコラ・アンサンブル:
Sop: 家永祐子 大倉彩華 沖有理
Alt: 倉持直子 関野美紀代 横山希
Ten: 倉持孝裕 齊藤諒 坂入健司郎 清水剛 百目鬼亨
Bas: 茨木暢仁 齋藤涼平 桃原賢次 山本岳志

<曲目>
モンセラートの朱い本:
おお、輝ける処女よ
輝ける星よ
処女を讃えよ
七つのお歓び
輝ける至宝よ
天の女王
声を合わせともに歌おう
処女にして母であるマリア
歓喜の都の女王よ
死に向かって急ぐ
おお、輝ける処女よ

~~休憩~~

聖母マリアの頌歌集より:
プロローグB 詩をつくり歌うために必要なことは
第1番 この日より、私は詩をつくり歌う
第139番 驚嘆すべき慈愛に満ちた
第10番 薔薇のなかの薔薇
第15番 すべての聖人たちが
第384番 並々ならぬ麗しさにより
第166番 人々は悪行により
第26番 驚くべきことではない
第100番 聖マリア、明けの明星よ
第425番 喜びよ、喜びよ

 

ここまでの盛り上がりを誰が予想しただろうか? ここ数年、ロ短調ミサ曲やメサイアなど、カノン的すなわちバロック音楽の主要レパートリーに属する作品を取り上げることの多かったアントネッロが、30周年記念にモンセラートの朱い本と聖母マリアの頌歌集で公演をおこなうと知った時、大丈夫なのかと心配になった。

中世の音楽をレパートリーとする演奏家や演奏団体にとっては、どちらも主要レパートリーである。本年1月の本サイトのレビューで取り上げたコンサートなど、小規模のコンサートで演奏されることはあっても、600~700席の収容人数である東京カテドラル聖マリア大聖堂が埋まるほどの聴衆が集まるとは思えなかったからだ。

ところがである。全席自由のため18時15分の開場時間に間に合うつもりが、18時前に着いてしまって早すぎたかな?と思ったら、すでに100人以上の人々が行列していた。自分だって早く来たのに、これはどういうことだ? どうしてこんなに並んでいるの? カテドラルの中に入ると、教会の座席の前後左右に5~6列ぎっしりとパイプ椅子が並べられており、おそらく800~900席ほどに膨れ上がった座席がみるみる埋まり満席になった。

1曲目の「おお、輝ける処女よ」が始まると、スペインの教会の中に自分がいるような錯覚に襲われた。理性を働かせれば、東京の教会の中にいることは理解できるのだが、肉体だけ東京に残したまま、魂だけがスペインに飛んでいってしまったかのよう。そう思ったのは、歌詞が聞き取りにくくなるほど声が混ざり合う残響の長いカテドラルの音響のせいだけではないだろう。

モンセラートの朱い本については、当日配布されたパンフレットに上尾信也氏による詳細な解説が掲載されているため、ここで詳しくは触れないが1点だけ言及しておきたい。モンセラートの朱い本に収録された作品は、教会の聖職者のためではなく、「路上で歌い踊りたい」巡礼者のための「誠実かつ敬虔」に歌われるべきものだということである。

今回の演奏では、4人のソリストたちに加え、濱田率いるラ・ヴォーチェ・オルフィカと谷本率いるイコラ・アンサンブルと合わせての50人もの合唱が後方に陣取った。彼らはいわゆるプロの合唱団ではないが、だからこそ、巡礼者が自然発生的に歌の輪を広げていくさまを立ち上らせることができたのであろう。

「輝ける星よ」は器楽の前奏から民族的な香り満載であった。リフレインと6連の詩からなるこの曲は、それぞれの連がソリストだったり、ソリスト4人(Soli)だったり、合唱だったりと変化する。それは、「われわれ」など複数人の内容を歌ったところではSoliになり、女性のことを歌っている連では女声合唱になったりと、歌詞内容と連動している。曲の終わりでは、最後の音が鳴ったあと、カテドラルの広い空間の中に長い残響が残り、崇高さを感じさせた。

中山、新田のソロ、女声合唱による透明感と崇高さを湛えた「処女を讃えよ」に続いて演奏された「七つのお歓び」は民族色の強い曲で、中嶋のソロとともに打楽器、ショーム、スライドトランペットら楽器群が中東を思わせる響きに拍車をかけ、残響を有効的に使った印象的な終わりかたをする。カテドラルを会場に選んだのは、こうした効果を狙ったものかと腑に落ちた。

配布されたパンフレットの「ご挨拶」で濱田は「『モンセラートの朱い本』は以前、NHKから依頼を受け度々TV放送された思い出深い作品」と記しているが、単に思い出深いというだけで選曲されたわけではないことは明らかで、過去の「モンセラート」を越える、今のアントネッロだからこそできる「モンセラート」を作り上げようとしたのではないかと思われた。

というのも、2015年の演奏時と比べると器楽メンバーは宮下以外すべて近年アントネッロに加わったメンバーで構成されており、それぞれの楽器のスペシャリストが選ばれている。歌のソリストも共通するのは中嶋のみでここ数年アントネッロで活躍する歌手でねあり、濱田が表現したいものに叶った選択がなされているのがよくわかる。

「声を合わせともに歌おう」の冒頭の立岩劇場と呼びたくなる見事な手捌き、「処女にして母であるマリア」のハープ・リュート・ヴァイオリンによる至高の響き、そして、「死に向かって急ぐ」でのダンサブルな陽気さは濱田自身のリコーダーと志村のバグパイプがなければ出せなかったであろう。この曲の終盤での加速、そして、もう一度「おお、輝ける処女よ」へ戻る構成は、「モンセラート」の写本の順番に全曲演奏するという形とともに、全世界に「モンセラート」を知らしめた1971年のサヴァールの録音を思い起させるが、リコーダーとヴァイオリン、打楽器、オルガンと、合唱主体だった1回目とは編成を変えており、それは「モンセラート」全体に張り巡らされた「今のアントネッロ」色と呼応している。

休憩後は聖母マリアの頌歌集。こちらは2006年にCDが出されているが、濱田以外は全員メンバーが異なる。プロローグでは、濱田のコルネットのどこまでも伸びる音とハープなど他の楽器の音色があいまって、さながらワールドミュージック。そこに谷本の朗読が入っていくと、まるで深夜ラジオを聞いているかのような気持ちになった。この深夜ラジオ感はCDよりも強化されていた。

つづく「この日より、私は詩をつくり歌う」は合唱のビート感が抜群で、間奏でのワールドミュージック感も手伝い、じっと座って聞いているのが難しく感じた。カンティガ(頌歌)集のなかでも人気の高い曲である「驚嘆すべき慈愛に満ちた」は、谷本のソロで始まり、そこに中山が加わり、後半には他のソリストも加わっていくだけでなく、最後の連ではショームが入って最高潮に達する。

「薔薇のなかの薔薇」はCDのタイトルに採用されていることからも、濱田の思い入れの強さがわかる。このソロはCDでは民族色の強い歌い方で歌われているのだが、今回は新田の透明感の強い音色で歌われ、歌詞に何度もあらわれる「貴婦人」というキーワードを体現していた。尺八のような音色の濱田のリコーダーで始まり、最後はコルネットに持ち替えられて哀愁を帯びた感傷的な音色で閉じられる部分はCDと同じだが、声が変わったことにより曲の印象が大きく変化した。

次の「すべての聖人たちが」は一転、陽気でダンサブルな曲。途中から手拍子が入ることもあり、ゴスペル調になる。ハープで始まる「並々ならぬ麗しさにより」は中山のソロが最初のリフレインでは静、第1連は動と対比され、第2連では女声合唱が加わり、第3連は情念のほとばしりと1つ1つの連が描き分けられていた。

対比の手法は、最後から2番目の「聖マリア、明けの明星よ」でも使われていた。リフレインの谷本から第1連の中山への受け渡しが自然で、こんなところにも歌手の力量はあらわれるのだなと思った。最後の「喜びよ、喜びよ」は締めくくりに相応しい盛り上がり曲。モンセラートと異なり、後半のカンティガ集は400を超える曲の中から選ばれた10曲で構成されており、それらはCDに収録された15曲の中にすべて含まれるが、曲順はCDとは異なっている。

同じ曲調が続かないよう変化をもたせる工夫がされており、しんみりしたり盛り上がったりと流れに身を任せているうちにあっという間に終わってしまったと感じたのは筆者だけではあるまい。それは、最後の曲が終わった後の拍手の盛大さが物語っている。おそらく会場にはモンセラートもカンティガ集も初めて聴いたという人もかなりいたと思われるが、ほとんどの人が中世の音楽ってこんなに面白いのかと驚いたはずだ。この演奏がたった1回で終わってしまうのはあまりに勿体ない。再演と音源化を強く希望する。

(2024/6/15)

—————————————
<performers>
Yoshimichi HAMADA conductor, recorder, cornetto, shawm, bladder pipe

Anthonello:
Miki NAKAYAMA soprano
Masato NITTA alto
Katsuhiko NAKASHIMA tenor
Yoshiki TANIMOTO bass

Toshihiko AMANO fiddle
Mie ITO harp
Ichiro TAKAMOTO lute
Tsuyoshi UWAHA organetto
Taro HASEGAWA shawm, douçaine
Kana SHIMURA shawm
Nobuko MIYASHITA slide trumpet
Junzo TATEIWA percussion

La Voce Orfica
Icola Ensemble

<program>
Libre Vermell de Montserrat:
O Virgo splendens
Stella splendens
Kaudemus Virginem
Los set gotxs
Splendens ceptigera
Polorum regina
Cuncti simus concanentes
Mariam Matrem Virginem
Imperayritz de la ciutata joyosa
Ad mortem festinamus
O Virgo splendens

–intermission—

Cantigas de Santa Maria
Porque trobar é cousa en que jaz
Des hoge mais quér‘ éu trobar
Maravillosos e pïadosos
Rósa das rósas
Todo-los Santos
A que por muy gran fremosura
Como póden per sas culpas
Non é gran cousa
Santa María, Strela do día
Alegría, alegría