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日本フィルハーモニー交響楽団 第760回 東京定期演奏会|藤原聡

日本フィルハーモニー交響楽団 第760回 東京定期演奏会
JAPAN PHILHARMONIC ORCHESTRA 760th SUBSCRIPTION CONCERT

2024年5月11日 サントリーホール
2024/5/11 Suntory Hall
Reviewed by 藤原聡(Satoshi Fujiwara)
Photos by 山口敦/写真提供:日本フィルハーモニー交響楽団

〈プログラム〉        →foreign language
マーラー:交響曲第9番 ニ長調

〈演奏〉
指揮:カーチュン・ウォン[首席指揮者]
コンサートマスター:田野倉雅秋[日本フィル・ソロ・コンサートマスター]
ソロ・チェロ:門脇大樹[日本フィル・ソロ・チェロ]

 

第5、第4、第3に次ぐカーチュン・ウォン&日本フィルのマーラー:交響曲演奏の4曲目は第9番。個人的かつ勝手なイメージでは、マーラーの交響曲を順次演奏していくにあたって第9番はシリーズ終盤に組み込まれる場合が多い気がする。番号的に後だからということもあろうが、曲想が「最後」と結びついているということであろうか。ところが2016年のグスタフ・マーラー国際指揮者コンクールで優勝しこの作曲家の交響曲演奏を得意とするカーチュン・ウォンは先にも記した通り4曲目に第9番を取り上げた。これは牽強付会かも知れぬがその演奏内容とリンクしていたように思う。今年38歳と指揮者としてはまだ若手と言いうるカーチュンは、この第9番の「神話」をことさら意識していない。

第1楽章から音色は明るくて音像は明晰。思わせぶりな溜めはなく、音楽は明快に進行する。ホルンの効果的な強調、「原リズム動機」の浮き立たせ。あるいはこの楽章のキモである多声的な各パートの絡みを丹念にフォローしていくので、普段なかなか聴き取りにくいような音が耳に飛び込んでくる。極言すれば斬新な音響体としてのこの楽章の姿・形を白日の下に晒そうとするような演奏だろうか。しかしそれがやたらな鋭利さや分析的な傾向に陥らず温かみも感じられるようなものに仕上がっていたのはカーチュンの個性だろう。

第2楽章ではパロディ的側面が前面に押し出されるが(ここでもこれ見よがしなホルンの強調が実に冴え渡る)、カーチュンの音楽性ゆえかそれが冷笑的にはならない。

第3楽章はやや落ち着いたテンポ設定を取る。ここでは楽章の表題「ロンド・ブルレスケ」をさほど意識させないストレートな表現が逆に印象的だったが、それだけにコーダの猛烈な追い込みはコントラストの点からも大変に効果的だ。

ここまでの演奏もカーチュンの目配りの行き届いた好演だったが、それまで用いていた指揮棒を置いたのち始められた第4楽章の冒頭を聴いて、すぐさま今までの演奏とは異なる「真実性」に打たれる。何らかの形でパロディ的あるいはキッチュなものとの戯れとならざるを得ない第1〜第3楽章の作品のありようとは別の局面に到達したのが4楽章だとするなら、カーチュンの演奏はそれをありのままに表出したものと捉えられる。この対比はバーンスタインのような終始憑依的な、そして作品と合一化せんばかりの熱演では感知しにくい面と思われた。バーンスタインの名前を出したついでに述べれば、この指揮者の第4楽章では弓が引きちぎられるような猛烈な音圧による没入的な演奏が展開されていたが、それは恐らく「現世への涙ながらの告別」であろう。しかしカーチュンの演奏は調和して美しくたおやかですらある。筆者はちょっとベルティーニの同曲実演を思い出した。死への恐怖、生への執着、愛、別れ。こういった物語を突き抜けた次元で作品そのものの美しさを表したカーチュン・ウォンはここで新鮮な「マーラーの交響曲第9番像」をわれわれに見せてくれたのだ。なお、ersterbend(死に絶えるように)の指示のあるこの楽章の最後の音が消えたのち、実に1分以上の沈黙・静寂がホールを満たした。同調圧力ではない、真に作品と演奏に感じ入った2000人が自ずと作り出した静寂。優れたマーラー演奏に対する最高の賛辞であり、これが実演の醍醐味ではないか。今後忘れることのないであろう瞬間だった。

(2024/6/15)

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〈Program〉
Gustav MAHLER:Symphony No.9 in D-major

〈Player〉
JAPAN PHILHARMONIC ORCHESTRA
Conductor:Kahchun WONG,Chief Conductor