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G.F.ヘンデル《アレクサンダーの饗宴》|大河内文恵

大野彰展完全帰国記念 ÆBifryer Barockorchester 第1回公演
G.F.ヘンデル《アレクサンダーの饗宴》

2024年5月31日 五反田文化センター 音楽ホール
2024/5/31 Gotanda Cultural Center, Music Hall
Reviewed by 大河内文恵(Fumie Okouchi)
Photos by 阿部 丹吾

<出演>        →foreign language
大野彰展(テノール、企画立案)

阪永珠水(バロックヴァイオリン、コンサートミストレス)
大下詩央(バロックヴァイオリン)
高岸卓人(バロックヴィオラ)
永瀬拓輝(バロックチェロ)
蔣皓任(バロックファゴット)
伊藤美恵(バロックハープ)
上羽剛史(チェンバロ/オルガン)

前原幹(演出、公演アドバイザー)

<曲目>
ヘンデル:アレクサンダーの饗宴 HWV75

~~休憩~~

ヘンデル:サムソン HWV289

~~アンコール~~

ヘンデル:アレクサンダーの饗宴 HWV75より
彼女の天上の音にならおう

 

終演後、聴衆の頭の中を岸辺露伴よろしく「ヘブンズドアー」と開いて見てみたら、きっとどこもかしこも「なにかとんでもないものを目撃してしまった」と書いてあったことだろう。

本来ソプラノ・テノール・バスの3人によって歌われる、ヘンデルの《アレクサンダーの饗宴》をテノール1人でやるという企画の時点で、並外れた演奏会になることは予想されたが、その予想をも軽く越えてくる「規格外」の一夜だった。

大野は入ってくると英語で喋りはじめた。え?もう始まっている?と思ったら、開演に先立っての説明だった。ご丁寧に全て日本語の字幕付きで。途中でオルガン協奏曲が演奏されるが、そこは休憩なので出入り自由だという。このやりかた、どこかで聞いたことがあると思ったら、ヘンデル時代の演奏習慣として、オラトリオの幕間でオルガン協奏曲が演奏されていたのだった。それか!

出たり入ったりしながら、大野の英語での軽妙なトークに笑っていたら、シームレスに本篇が始まっていた。ストーリーはトークと字幕で進んでいくが、レチタティーヴォとアリアはもちろん歌われる。大野は基本的にテノールの部分のみを歌うが、一部他の声種のアリアも歌われた。また、二重唱はもう1つの声部は楽器で演奏された。オリジナルを知らなければ、というより知っていても、これはこれで充分成立している。

《アレクサンダー》は改訂が重ねられたことでも知られており、どの稿が正統という区別はない。作曲家の手による最終稿こそが唯一正しいものだという考え方はもっとずっと後の話。それを逆手に取った、「もしかしたら存在したかもしれないアレクサンダーの饗宴第n稿」(フライヤーより)という大野の試みは、現代の感覚からすれば斬新であるが、当時の慣習からしたらごく当たり前の形で、視点の位置によって正反対の見えかたをする。

考えてみれば、演劇だったらシェークスピアの劇は当時の通り寸分違わず上演することよりも、上演の時代や演出家の意向で変えられる方が圧倒的に多い。ほとんどの場合には原語ではなく翻訳であるのもその流れであろう。なぜオペラをはじめとする音楽劇は「正しいもの」を有り難がるのだろう? もっとヴァリアントがあってもいいのではないか? そう問いかけられているように感じたのは筆者だけではあるまい。

企画が斬新なだけではないところが、このコンサートのすごいところだ。大野を支える器楽陣は大野の留学先であるバーゼル音楽院スコラ・カントルムの同窓生など縁のある精鋭たち。大野の歌は声の素晴らしさはもちろんだが、台詞の部分と歌の部分とが何の違和感もなく繋がっていくところに技術の高さが感じられた。ジングシュピールなど台詞と歌が混在する音楽劇では、ともすれば、歌の部分と台詞の部分とで同じ歌手なのに別人のようになってしまうことがあるが、そんな心配はまったくない。

台詞回しと芝居の巧さは、役者としてもやれるのではないかと思えるほど。歌はといえば、ヘンデルの作品では必須の細かいアジリタがこれまた「歌っていたらいつのまにか回ってました」とでもいわんばかりに、アジリタの部分とそうでない部分との境目がないのだ。シームレスなのはここも、である。

その一方で、表現の幅の広さも特筆すべきだろう。テノールらしい朗々とした歌いっぷりからやわらかい声、ささやくような声がホールの隅々まで届く。演劇の一人芝居は大根役者では務まらないが、1人音楽劇もやはり芸達者でしかも歌そのものの腕がなければ成立しない。

《アレクサンダー》はアレクサンダー大王を扱った物語で、戦争の描写が随所にあらわれる。第2部の「埋葬もされず、戦場に置き去りにされた兵士たち」というくだりでは、いま世界でおこっている戦争と重なって涙が出た。

コンサート全体は3部からなる。前半の《アレクサンダー》の1部と2部、休憩後にはヘンデルの《サムソン》がこれまた歌手は1人で上演された。《アレクサンダー》では、《サムソン》とは別の作品を第3部として付加して上演された記録が残っており、この《サムソン》の追加も「第n稿」の一環とみなすことができる。

休憩後は作品ではない部分は日本語で進行された。ヘンデルのサムソンはサン=サーンスの《サムソンとデリラ》の第3幕のストーリーとなっている。サムソンが自らの命を犠牲にして、怪物を神殿ごと破滅させるという最後の部分では、一種の決意表明のようにも感じた。

会場には多くの演奏関係者の顔がみられた。おそらく大野はこれから引く手数多であろうが、ぜひともこのような自主企画も続けて欲しい。エビフリャー・バロックオーケストラの第2回公演が楽しみである。

(2024/6/15)


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<performers>

Akinobu ONO tenor, producer

Tamami SAKANAGA violin
Shio OHSHITA violin
Takuto TAKAGISHI viola
Hiroki NAGASE violoncello
Martin CHIANG fagott
Mie ITO baroque harp
Tsuyoshi UWAHA cembalo, organ

Motoki MAEHARA director

<program>
Georg Friedich Händel: Harp Concerto in B major HWV294
G.F. Händel: Alexander’s Feast HWV75
G.F. Händel:Organ Concerto in G minor HWV289

–intermission—

G.F. Händel: Samson HWV57

-encore—
G.F. Händel: Alexander’s Feast HWV75
Let’s imitate her notes above