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読売日本交響楽団 第637回 定期演奏会|藤原聡

読売日本交響楽団 第637回 定期演奏会
Yomiuri Nippon Symphony Orchestra the 637th Subscription Concert

2024年4月5日 サントリーホール
2024/4/5 Suntory Hall
Reviewed by 藤原聡(Satoshi Fujiwara)
Photos : ©読売日本交響楽団、撮影=藤本崇

〈プログラム〉        →foreign language
マルティヌー:リディツェへの追悼 H.296
バルトーク:ヴァイオリン協奏曲 第2番 BB117
メシアン:キリストの昇天

〈演奏〉
指揮:シルヴァン・カンブルラン
ヴァイオリン:金川真弓

 

まさにカンブルランにしか成しえないプログラムだろう。元々はヴァイオリンの金川真弓からバルトークの協奏曲第2番を弾きたいとのリクエストがあったというが、そこでカンブルランはプログラムの中央に同曲を置き、そしてバルトークはハンガリーの作曲家なので他にも東欧の作品を並べることを考えつつ、一方で2020年の6月に演奏予定がありながらコロナ禍によりそれが叶わなかったメシアンの『キリストの昇天』を演奏したいとの思いがあり、最終的にマルティヌーの『リディツェへの追悼』とメシアンをバルトークの前後に配置することになった。このプログラム、大きく言えば「戦争と祈り」というテーマが内包されるような形となったように思える。マルティヌーとメシアンについては説明の余地はなかろうが、バルトークの作品における合理性・普遍性とローカリズムの共存(分裂?)はすぐれて20世紀的な問題であり、さらに言うならそれは覇権主義的な力学を内包するものだからだ。ジョナサン・ノットもそうだが、カンブルランもプログラミングにおける各曲の連関から大きなテーマ―知的関心―を召喚/喚起することに実に長けている。

コンサートの最初はマルティヌーの『リディツェへの追悼』。語弊のある書き方かも知れないが、これは非常に「美しい」演奏であった。むろん時代や演奏者のおかれた背景が異なるので違って当然ではあるが、あのアンチェル&チェコ・フィルの録音による演奏から放たれるストイックで空恐ろしい峻厳な空気は全くなく、オケを引き締め過ぎずにかなりの部分を自発性に委ね、そこにカンブルランならではの音色感を盛って行くやり方。だから音楽に拡がりと浮遊感が出て来る。恐らく本作のレアリゼとしては非常に個性的であると同時に、カンブルランは確実に自分の音楽を持っていてそれを実現させることの出来る稀有な指揮者であると再認識した。たかだか7分程度の作品で己を刻印してしまうカンブルラン。

次は金川真弓が登場してのバルトークであるが、ここでもまた大変に面白い演奏が出来(しゅったい)していた。ソロとオケの呼吸感、表情に微妙に差があり、もっと言うなら「合っているのかいないのかよく分からない」演奏になっていたのだ。決して否定的な意味で言っているのではない。金川とカンブルランともども厳格さ一方のバルトーク演奏を目指しているわけではなく、その音楽はリズム的な柔軟性と色彩感に富み、技術力にも文句のない演奏なのだが、金川はデジタル的な正確さの方向で演奏し、対してカンブルランはもっと柔和な輪郭のファジーな音楽を読響から引き出す。それぞれが紛うことなき自らの音楽性に忠実な演奏を実現させている。それゆえの合わなさ。ソリストと指揮者間の妙な妥協から、一応表面的には整っているがテンションの低い煮えきらない演奏というのもままある中、この日のバルトークは実に潔い。協奏曲ならぬ競奏曲。これまた異色の演奏と言うべきだろう。こんな楽しいバルトークのヴァイオリン協奏曲第2番の演奏にはなかなかお目にかかれまい。

休憩を挟んでメシアンの『キリストの昇天』。第1楽章では微妙な音の外しや線の合わなさ、和声感の崩れにリハの時間を十分に取れなかったのかと訝りながらも、かつての『トゥーランガリラ交響曲』や『アッシジの聖フランチェスコ』『彼方の閃光』で聴かせたカンブルランの「メシアン・マジック」は健在、この柔らかな合奏は非常に魅力的だ。第2楽章は各管楽器間で受け渡されるメロディの背後で奏でられるヴァイオリンとのバランスが絶妙で、こういう箇所で響きを整えるカンブルランの抜群のセンスに感嘆する。第3楽章での音響の解像度の高さにはカンブルランの耳の良さと同時に読響の技術力の高さを痛感したし、メシアン最晩年の作品『彼方の閃光』中の「キリスト、楽園の光」楽章をはるかに先取りしたかのような終楽章での陶酔感と愉悦感の表現も見事。カンブルランの音作りの方向性と音楽が求めるものが完璧な一致を見せる最高の例。やはりこの人のメシアンは特別だ。

カンブルランが指揮すると読響の音はかつてこの指揮者が常任を務めていた時期の音に明確に変わる。この日のコンサート、細部の疵はあれどやはり唯一無二。1度だけの共演だったのが誠にもったいない。現・桂冠指揮者のカンブルラン、定期的に読響に戻って来てくれるとは言え、その頻度をより上げてくれれば嬉しいところだ。

(2024/5/15)

 

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〈Program〉
MARTINŮ:Memorial to Lidice,H.296
BARTÓK:Violin Concerto No.2,BB117
MESSIAEN:L’Ascension

〈Player〉
Yomiuri Nippon Symphony Orchestra
Conductor Laureate:SYLVAIN CAMBRELING
Violin:MAYUMI KANAGAWA
Concertmaster:YUSUKE HAYASHI