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東京・春・音楽祭2024 アンサンブル・アンテルコンタンポランI,II|齋藤俊夫

東京・春・音楽祭2024 アンサンブル・アンテルコンタンポランI,II
Spring Festival in Tokyo 2024 Ensemble intercontemporain I,II

2024年4月8、9日 東京文化会館小ホール
2024/4/8,9 Tokyo Bunka Kaikan Small Hall
Reviewed by 齋藤俊夫(Toshio Saito)
Photos by 平舘平(8日)、増田雄介(9日)/写真提供:東京・春・音楽祭2024

♩4/8 東京・春・音楽祭2024 アンサンブル・アンテルコンタンポランI Classics of the 20th Century
♩4/9 東京・春・音楽祭2024 アンサンブル・アンテルコンタンポランII French Touch

♩4/8 東京・春・音楽祭2024 アンサンブル・アンテルコンタンポランI Classics of the 20th Century
Photos by 平舘平/写真提供:東京・春・音楽祭2024

<演奏>        →foreign language
アンサンブル・アンテルコンタンポラン(*)
指揮:ジョージ・ジャクソン(*)
打楽器:オーレリアン・ジニュー(**)
ヴィオラ:オディール・オーボワン(***)
ハープ:ヴァレリア・カフェルニコフ(****)
ファゴット:マルソー・ルフェーブル(*****)

<曲目>
クセナキス:『ルボン』打楽器のための(**)
ウェーベルン:『9つの楽器のための協奏曲』(*)
リゲティ:無伴奏ヴィオラ・ソナタ(***)
ヴァレーズ:『オクタンドル』8人の奏者のための(*)
ドナトーニ:『マルシェ』ハープのための(****)
カーター:『ダブル・トリオ』6人の奏者のための(*)
ホリガー:『Klaus-Ur』ファゴットのための(*****)
ブーレーズ:『デリーヴ1』6人の奏者のための(*)

上野の森に春が来たのをアンサンブル・アンテルコンタンポランで祝うとはなんたる贅沢か、と思って来た(であろう)通の人々により東京文化会館小ホールは見事(おそらく)満席と相成った。現代音楽に習熟した人でも現代音楽経験の浅い人でもきっと心動かされる演奏会となる、その期待であろう、両日ともに開演前の会場はさんざめいていた。

先陣を切ったのは打楽器独奏によるクセナキス『ルボン』、楽しいぞ! 第1楽章ではバス・ドラムを節の区切りとして他の膜鳴打楽器によるリズム・メロディが奏でられる。第2楽章ではボンゴによる持続リズムの中で木魚、ウッドブロックなどによるリズム・メロディが奏でられる。両楽章ともオーレリアン・ジニューの踊るような叩きっぷりから生まれ出る数学的リズム配列の完璧さにため息が漏れ、かつ興奮する。祭の開幕を飾るのに相応しい目出度い作品の目出度い演奏であった。

ウェーベルン『9つの楽器のための協奏曲』、数分で終わる3楽章からなるトータル・セリーの草分け的作品であるが、今日今回の解釈では角張った形式主義からは遠い音楽となる。第1楽章はいっそユーモラスで、トータル・セリーの感情・感覚的側面に光を当てた音楽。第2楽章は一転して密やかに、安らいで……いるか? 静かというには「饒舌」過ぎる。第3楽章は攻撃的に、荒々しく、よく言われる「点描音楽」という言葉から想起されるイメージからは遠く離れた音楽が現れた。これもウェーベルンであったか。

リゲティ『無伴奏ヴィオラ・ソナタ』、第1楽章は微分音を使っていたのかもしれないが、民俗的な野趣溢れる、土の香りのする、夜闇の安らぎを感じさせる音楽。現代音楽ってのはこんなにも裾野の広いものなのだな、と改めて確認。終曲のハーモニクスは、この技法がこんなに優しい響きを生み出すものかと感嘆。第2楽章はグッと前衛的に。不協和音の重音だらけで、ある種強迫的な旋律とリズムの反復がなされ、突如断ち切られて了。

ヴァレーズ『オクタンドル』、第1楽章、オーボエってこんなにアグレッシヴになるのか!?と驚かされた冒頭に続き、各楽器の協奏によって形作られる音の空間性にまた驚かされる。どうやってこんな音のコンポジションがあり得るのだ? 第2楽章は息を詰めて、しかしそこからゲリラ的に攻撃の手が伸びる。第3楽章、メロディというには奇怪すぎるメロディが現代音楽的・ヴァレーズ的対位法でうねり絡まり噛みつきあう。ラストの音のつんざきまで一瞬たりとも隙を見せない演奏で、こちらも隙を見せることができない聴取体験となった。

ドナトーニ『マルシェ』、第1楽章は妖艶なるメロディが切れ切れにされ、その休止により単純な感情移入を拒み、こちらの感覚を異化してくる。この音楽は美しいのか、それとも美しくないのか、わからなくなってくる、音楽的トルソ。第2楽章もppで始まったと思えば唐突にff楽想が現れ、旋律線は断たれ、裏切られる。第1楽章のトルソが第2楽章では人語で語りかけてきたような不気味とも幻想的とも言える体験。pppでのトレモロが心に内攻する中、華やぐようで悲しみを湛えた音楽が響く。ppからffへのクレッシェンドで終曲したときの感慨は如何様にして表現できようか。

カーター『ダブル・トリオ』、今となってはウェーベルンよりこっちのほうがよっぽど点描ではないだろうか。だが、点描→全奏→点描→全奏と繰り返されるなか、トランペットが陽気に?ヴァイオリンが嘆き節?トロンボーンが攻撃的に?一つ一つの音が持つ性格と重みが強すぎて幻惑され・困惑せざるを得ない。混乱のままトロンボーンの長い長い雄叫び→トランペット→全奏、で了。何が何だったのか全くわからないままだがスゴイものを聴かされた。

ホリガー『Klaus-Ur』、拷問的超高速パッセージに打撃的強音や超低音が混じりパッセージの進行を妨げるが、それでも進む。分析的に聴き把握することが不可能。「チュッ」という口づけのような音や「ブッ」という吹き出したような音などどうやって吹いているのか皆目わからず。最後はリードを外してボーカルに直接息を吹き込み、力の抜けた「ヘモヘモヘー」と、「何ぞこれ」と言いたくなるような音で了。ホリガーよ、超絶技巧と奇想を求めるにも程があるだろう、と思いつつ演奏のマルソー・ルフェーブルに大喝采。

ブーレーズ『デリーヴ1』、これは現代音楽的奇想とはかけ離れた、現代音楽的厳粛さ、荘厳さに満ちた神々しいとさえ言いえる作品であった。極めて複雑な音の縦と横の構造によってあちらこちらから光が放たれる華やかな前半。そこから転じてかそけき、切り詰められたアンサンブルが感情を排した純粋な形式美をなす後半と、現代音楽の全てがここにあるかのように感じられた。最後にデクレシェンドで全てが沈黙へと帰し、しばらくのちに拍手喝采が。現代音楽の巨匠の作品を達人演奏家たちが演じ、貫禄の横綱相撲を見せて、聴かせてくれた。

こうしてアンサンブル・アンテルコンタンポラン第1日は大満足で帰路についた。

♩4/9 東京・春・音楽祭2024 アンサンブル・アンテルコンタンポランII French Touch
Photos by 増田雄介/写真提供:東京・春・音楽祭2024

<演奏>        →foreign language
アンサンブル・アンテルコンタンポラン(*)
指揮:ジョージ・ジャクソン(*)
トランペット:クレマン・ソーニエ(**)

<曲目>
B.ジョラス(1926-):『エピソード第3番』トランペットのための(**)
P.デュサパン(1955-):『Fist』8人の奏者のための(*)
T.ミュライユ(1947-):『臨死体験』アンサンブルのための(*)
Y.マレシュ(1966-):『アントルラ』6人の奏者のための(*)
Y.ロバン(1974-):『 Übergang』アンサンブルのための(*)

“French Touch”すなわち「フランスの触感」という副題がつけられたアンサンブル・アンテルコンタンポラン第2日もまた珍味満載。だが、〈古典〉となるかどうかには疑問符をつけざるを得ない作品もまたあった。

ジョラス『エピソード第3番』、クレマン・ソーニエによるトランペット独奏曲。種々のミュートを入れ代わり立ち代わり使いつつ、〈調性後のメロディ〉とでも言うべき音の線、リズム、運動を形成する。最後の低音まで思索的とは言えないが、素直に楽しく聴けた。

デュサパン『Fist』、始まった時点で音色とポリリズム……いや、どこにもリズムがない線的対位法か?……の迷路に迷い込む。よくわからないが、そのわからなさ故に面白いと思って聴いていると、次第に曲中のドミナント→トニックのようなパターンが繰り返されているようにも感じられてくる。そうなると俄然予定調和的に思えて、魅力が薄れる。現代音楽的外見を保ってはいるが、音楽的魅力は勝ち得ていない、のではないだろうか。

ミュライユ『臨死体験』(タイトルがスゴイ)、シンバルの弓奏、チェロ、コントラバスのスブ・ポンティチェロ(駒の上の弓奏)、発泡スチロールを擦り合わせる、などのかそけき音で弱音の空間が作り出され、その中で薄明がチラチラとこちらの耳朶をくすぐってくる。ずっと浸っていても良いと思ったが、アンサンブル全体が一丸となって迫り、また遠ざかる。さらにポリリズムが広がったり、と色々な〈手〉を見せてくれる(聴かせてくれる)のだが、その〈手〉の中に一本の背骨とも言うべき音楽的発想が欠けているように思えた。何を聴かせたいのかが判明せず、ただ無数の音の持続・展開だけがある。確固たる地位を持った作曲者なれども、これでは〈古典〉たり得ないと判断した。

前半の3人から生年がかなり下ってのマレシュ『アントルラ』、都会的・現代的で爽快感溢れるアレグロ。音楽に身を委ねられるが安直な展開に陥ることがない。クロマティックだが無調ではない。ピアノのカデンツァ的走句に他の5人が星を散りばめるシーンから全員でアルペジオ→減衰→全員でアルペジオなどの一連のシーン、鳥肌が立つほどの音楽的興奮を掻き立てられる。勢いに乗ったままダラダラしないでスパッと了。これは素晴らしい! 現代のFrench Touch、良いではないか!

今年丁度50歳になる(それでも今回では一番若手だ)ロバン『Übergang』、これは怪作であった。打楽器が銅鑼などで怪音(どうやって出しているのか不明)を打ち鳴らす中、弦楽器が軋んだトリルを延々と奏でる。耳に怖い、怖すぎる。音楽の前後の脈絡はあるのだが、脈絡の内実が実に不吉極まりない。新複雑性の音楽を作者なりに室内楽に発展させたのかもしれない、などと考えつつ、舞台上で行われている惨劇から目と耳が離せない。中間部で全員でがなり立てたり、終盤で弦楽器が弓も折れよと弦に叩きつけ、どうやって出しているのかこれもまた不明な超低音の「グゲゲゲゲ……」という音を立てたりして、怨念のようなものを吐き出してやっと終曲してくれた。もっと続いていたら気がおかしくなっていたかもしれない。現代のFrench Touch、恐るべし。

両日ともにアンサンブル・アンテルコンタンポランの容赦ない全力投球を存分に楽しめた。演奏者含め会場の皆が晴れ晴れとした春の顔をしていたのが今回の大成功を証していただろう。

(2024/5/15)

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♩4/8 Ensemble intercontemporain I Classics of the 20th Century

<Players>
Ensemble intercontemporain(*)
Conductor: George Jackson(*)
Percussion: Aurélien Gignoux(**)
Viola: Odile Auboin(***)
Harp: Valeria Kafelnikov(****)
Bassoon(Fagott): Marceau Lefevre(*****)

<Pieces>
Xenakis (1922-2001): Rebonds for Percussion (**)
Webern (1883-1945): Concerto for 9 Instruments op.24 (*)
Ligeti (1923-2006): Sonata for Viola Solo (Excerpts)(***)
Varèse (1883-1965): Octandre for 8 Musicians (*)
Donatoni (1927-2000): Marches for Harp (****)
Carter (1908-2012): Double Trio for 6 Musicians (*)
Holliger (1939-): Klaus-Ur for Bassoon (Excerpts) (*****)
Boulez (1925-2016): Dérive 1 for 6 Musicians (*)
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♩4/9 Ensemble intercontemporain II French Touch

<Players>
Ensemble intercontemporain (*)
Conductor: George Jackson (*)
Trumpet: Clément Saunier (**)

<Pieces>
Betsy Jolas (1926-): Épisode troisième for Trumpet (**)
Pascal Dusapin (1955-): Fist for 8 Musicians (*)
Tristan Murai (1947-): Near Death Experience for Ensemble (*)
Yan Maresz (1966-): Entrelacs for 6 Musicians (*)
Yann Robin (1974-): Übergang for Ensemble (*)