五線紙のパンセ|イタパリカ島にて(1)|今堀拓也
Text by 今堀拓也 (Takuya Imahori)
これを書いている現在、私はブラジル、バイーア州、イタパリカ島にある芸術レジデンス、インスティトゥート・サカタールに滞在している。(掲載時には滞在終了し帰国の予定)
https://sacatar.org/
3月17日に日本を出発し、12時間の時差を引いて3月18日から5月6日までの約2ヶ月弱で、それから2日かけて今度は12時間の時差を足して日本へ帰国し、到着するのは8日朝である。ちょうど地球の裏側にあり、時差も12時間で、また季節も逆である。もっともバイーア州は年間を通して20度以上あり、乾季と雨季が交代するが四季があるわけではないらしい。それでも日本の春分の日はこちらの秋分の日にあたり、それを過ぎたあたりから徐々に日が短くなり、気温も到着直後は36度はあったのだが、それからだんだん涼しくなってきて今は平均28度程度である。
レジデントは6名で、まず私が現代音楽の作曲家。もう一人の作曲家はフランス人でサウンドアーティストと称し現代音楽とは微妙にジャンルが違うらしく、素焼きのオカリナなど現地の音を集めている。もう一人のフランス人は彫刻家で立体造形物を作っている。スペイン系ブルガリア人ダンサーはセンサーを使って映像加工をする。あとは地元ブラジルから2人、ダンサー兼サウンドアーティストと、同じくブラジル人でプロジェクターで映像を出しつつインタビューした地元民の声を集めた映像投影をしたりセンサーに反応するインタラクティヴ映像作品を作っているらしい。
自分以外は皆視覚に訴える表現を持っているが、私だけは黙々と楽譜作成ソフトSibeliusに向かい、アルゴリズム作曲計算ソフトウェアOpenMusicで弾き出した結果をもとに楽譜を書くという、あまり見た目が華やかではないことをしている。もちろんSibeliusで音を鳴らせば鳴るし、最近外部のオーケストラ音源Note Performerも入れたので普通よりはマシな音が出るが、私自身のポリシーとして、MIDI再生音を逐一鳴らしてそれを確かめながら作曲するという行為は、楽譜を読んでそれを頭で鳴らすソルフェージュ能力を阻害する害悪であるという考えである。しかしオープンステュディオ(後述)で訪問者に説明する時には仕方なくMIDI再生音を鳴らすしかない。
目の前は海で砂浜が広がり、遠浅の海で200mくらい泳いでもまだ足がつく。体力作りのため、長雨の日や出かける日以外は極力毎日泳いだ。その海を眺めながら作曲に集中できる作業部屋(ステュディオ)を与えられて、のんびりと作曲できる。視覚的環境としては最高の気分だが、とはいえ街中は結構うるさい。その辺の複数の隣家が夕方になるとポップ音楽をガンガン流すし、砂浜は土日になると若者がたむろし、でかいラジカセを持ち込んで大音量で音楽をかける。中には車の後部トランクにでかいスピーカーを積み込み、それを自慢げに鳴らす奴もいる。遠くだからか、そのうちのリズムトラックだけがやたらと聞こえてくる。しかもそのリズムトラックたるや、懐古趣味なのか1980年代のローランドTR-808(通称八百屋)そっくりのトムトムやカウベルの音がする。まあ今はエミュレーションソフトも多く出回ってるので、不思議ではない。そういうわけで聴覚的環境としてはお世辞にもよろしくなく、作曲しに来た身としては残念といえば残念である。
ピアノはないがキーボードはあるということで、それを鳴らして作曲した。気分転換用にバッハ『平均律クラヴィーア曲集第1巻』の楽譜を持ってきて弾いたが、これはヤマハの小型キーボードにも良く合った。
私は現在『交響曲第1番』を書いており、これは11月27日にオーケストラ・プロジェクト2024という企画において大井剛史指揮、東京フィルハーモニー交響楽団の演奏で、東京オペラシティ・コンサートホールにて初演予定である。これの作曲についての分析的内容は7月に書くつもりでいる。
これを仕上げるつもりでブラジルに持ってきて、その滞在途中の4月12日には仕上がった。といってもこれから細かい見直しは続き、例えば木管楽器の微分音は一つずつ指遣いを書かなければいけないとか、スコア上ではページごとに管楽器の複数人分を1段にまとめるかそうでないかという作業がまずあり(分裂して細かく動いている部分はまとめると見にくいが、そうでなければ基本的に2人1段にしたほうが見やすくなる。といってもページごとに行ったり来たりでは見にくいので、今回は木管楽器は1人1段、金管楽器は2人1段で3人目は1段のままになるだろう)、パート譜作成がおそらく2ヶ月くらいかかる予定など、やることはまだまだあるのだが、レジデンス滞在期間の半ばにして仕上げるべきものを仕上げたので、気持ちとしてはずいぶん楽になった。またピアノ曲を書く用事もあったが、これも4月29日には仕上げた。
ともかく、すでに7割書けていた大作交響曲の残り3割をブラジルで書いたわけだが、そこで何かブラジル滞在で受けた影響を足せるかというと、そういうものでもない。少なくとも打楽器群はブラジル色の強いものになったが、土台も支柱も屋根も建って、残りは内装仕上げという段階である。今度は土台を建てる段階から『交響曲第2番』として、このイタパリカ滞在を基として作曲してみたい。とりあえずは、交響曲の後で書いたピアノ曲が、このイタパリカの印象に基づいた素描になっている。これは6月にイアン・ペイス氏のピアノ演奏で初演される予定である。(末尾参照)
滞在開始の翌週はキリスト教の聖週間であり(カトリックとプロテスタントの話で、正教会は1,2週間後になる)、枝の主日、聖木曜日の洗足式と最後の晩餐、聖金曜日の十字架の道行きの行列にそれぞれ参加した。枝の主日は聖書の通りナツメヤシの葉で祝うのが正式である。日本のカトリック教会だと棕櫚の葉を花屋から取り寄せたりするが、ヨーロッパだと気候の関係で別の植物を用いるのが常であり、フランスとスイスではツゲ、イタリアではオリーヴだった。ここブラジルではその辺にナツメヤシが自生しているので、ナツメヤシの葉を使い放題である。もちろんあらかじめ祝別してあるものを使うのだが、ナツメヤシの葉が配られて、それを掲げながらホサナ・ホサナと連呼して歌う。その音楽がまたこれまで見たヨーロッパのどの国のものとも違う、単純ながら南国情緒満点であった。それが例の後部トランクにスピーカーを積んだ車で拡声しながら練り歩く。ギターもシールド生挿し拡声で、これはエレキギターというよりはセミアコースティックギターである。しかも朝7時から集合で早起きした。
行列の最後に教会へ行ってそのままミサに与り、「十字架につけよ! Crucifidala!」と叫ぶ場面では皆に混じって唱和した。
聖金曜日は十字架の道行きということで音楽は一転して嘆かわしき内容になるが、枝の主日よりもさらに1時間早まって朝6時に丘の上に集合である。なんとか5時に早起きして何も食べず5時半にはレジデンスをでて坂道を登り、6時には参列した。
3時間練り歩いたわけだが、途中から日が昇って暑くなってフラフラの熱中症寸前になり、列の最後尾になんとかしがみついて、皆がひざまずく場面(14回立ち止まる)で私は道端に座り込んで隅で傍観していたのだが、さすがに12回目のイエスが死ぬ場面だけはなんとか皆に混じってひざまずいた。それをみていた信者のおばちゃんが砂糖まみれのコーンフレークをくれて、それを数枚パリパリ齧った途端に立ちくらみは治った。やはり朝に糖分を摂取するのは大事である。
そうすると聖土曜日は這ってでも復活徹夜祭へ行くのが真面目なカトリック教徒というものだが、この日はレジデントの皆で近郊の街ナザレの陶器市に行くというので付いていった。ナザレのイエスはイェルサレムのゴルゴタの丘で処刑されたわけだが、処刑の翌日にナザレ(と名付けられたブラジルの街)に行くというのも奇遇だろう。もっともナザレという名前の街は世界中にあり、同じポルトガル語圏の宗主国であるポルトガルのナザレはサーフィンで有名らしい。
陶器市そのものは観光的であり、何か土着民族的なものに触れられるかという期待に応えるものではなかった。しかも夕方からの野外ポップスコンサートがうるさいことこの上ない上に全部打ち込みであり、サックスなどいないのにガンガン聞こえてくる。あまりにひどい。
道端でサンバの民族的な踊り(おそらくカンドンブレに由来するもの?儀式そのものではないが)と、カポエイラというキックダンスを見たのが大きな収穫だった。
帰りにナザレの街の教会を通りかかったら、復活徹夜祭ミサのクライマックスでちょうど洗礼式が行われているのが開放された扉から見えたのが感動的であった。
翌日曜日はレジデンスの近くの教会で復活祭ミサに与ったが、これは(最後にアレルヤがつくことを除けば)ごく普通のミサと変わりない内容である。
その後は何度か対岸の街サルヴァドールへ行く機会があり、サンバのポピュラーコンサートを見たり、バイーア州立交響楽団のブルックナー交響曲第7番を聴いたり、現代美術館を見たりした。これらは全部無料開放している。
サンバはポピュラーなものだったが、住民のうち黒人が9割以上を占めるサルヴァドールに配慮した内容であることは容易に読み取れた。アフリカをテーマにした内容や背景スクリーンの動画が多用されたり、カンドンブレを模した出し物があったり、バックミュージシャンも全員黒人である。特にドラムスとは別にパーカッションが5人いて、コンガ、ボンゴ、スルド(大型ドラム)、ヘコヘコ(鉄製ギロ)、マラカスなどその他小物も含めたいわゆるサンバ編成の打楽器群は圧巻だった。カウベルはドラムスに取り込まれており、アゴゴとは別物扱いだった。
美術館巡りの中で特に印象的だったのは、ヴァルター・スメタクというスイス出身でブラジルに永住した作曲家・楽器製作者の自作楽器の展示である。これは自作楽器そのものが立体美術となっており、ハーリー・パーチやあるいはベルナール・バシェ、フランソワ・バシェ兄弟の自作楽器群を思わせる。瓢箪を多用しているところがスメタクの特徴と言える。これは日本の梓弓に似たブラジルの弓型の打楽器ビリンバウが瓢箪を共鳴器としていることを強く連想させる。
https://www.ensemble-modern.com/en/projects/re-inventing-smetak-2017
その他、サウンドアーティストのフランス人と合同で、地元のパーカッショニストのレッスンを3回受けた。コンガに酷似したアタバキ atabaqueという小中大3つの太鼓を、ブラジリアン・ローズウッドの細い枝のしなった自然樹形をそのまま使った撥、あるいは平手、時には片手に撥でもう片手は平手で叩く。アゴゴもかわるがわる持ち、アゴゴは鉄の棒で叩く。西洋的な8分音符や16分音符では割り切れないグルーヴのよく効いたリズムをひたすら叩き体で覚えるというもので、西洋的な打楽器とは全く異なる世界を体感した。
その打楽器奏者(昼間はスーパーの店員)はそもそもカンドンブレという宗教の儀式でアタバキを叩いているということで、カンドンブレの儀式も見させてもらった。これは6月に詳しく書くつもりでいる。
これを書いている本日5月3日は滞在の総まとめ成果発表として外部の一般客にステュディオを解放するオープンステュディオを開催した。私の場合は特に視覚的に見せるものもないので、書き上がった交響曲の(現段階での)スコアをA3に印刷製本してもらい、それを机の上に置いてあとはMIDI再生するなり、別の過去曲(2019年バーゼルコンクール)の動画
を見せるなりすれば良いということで落ち着いた。
蓋を開けてみると、まず小学生と中学生の団体客がきて何組かに分かれて各ステュディオを回っており、最初に30人の小学生が来て、次に50人の中学生が来た。引率はレジデンスのアシスタントがやってくれて、これらの団体小中学生にはアシスタントが英語に通訳してくれて、こちらも言いたいことを言えて質問にも答えた。そこまでは良かったが、中学生団体が捌けた後に個人客がちらほらきて、中にはビール片手のおっちゃんも来てポルトガル語で説明する羽目になった。が、そこまで難しい話をするわけではないので、後半は慣れてきた。と思ったら多分私と同世代か少し若い人が、英語なのでポルトガル語よりはだいぶマシだが、作曲のマテリアルはどうなっているのかとかなり詳細を突っ込んで聞いてきて、仕方ないからOpenMusicのパッチを開いて一から計算の過程を全部説明した。そうしたらその直後にレジデンスのディレクターが来てそれを後ろから聞いて、時間の黄金分割とクライマックスの配分などに興味を示してくれたのは良かった。
以上がこのインスティトゥート・サカタールにおけるレジデンスの総括である。次回はこの滞在経験の中で最も印象的だったカンドンブレとショーロについて詳細に書こうと思う。
(2024/5/15)
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今堀拓也 Takuya Imahori
プロフィール
玉川大学文学部芸術学科卒業、パリ・エコール・ノルマル音楽院修了、フランス国立音響音楽研究所IRCAM作曲研修課程修了、スイス・ジュネーヴ州立高等音楽院修士課程修了。2017年イタリア国立ローマ・アカデミア・サンタチェチーリア研究科課程を満点賞賛付き最高位評価で修了。ならびにミラノ市立クラウディオ・アバド音楽学校指揮予備科修了。土居克行、三界正実、平義久、ジャン=リュック・エルヴェ、フィリップ・ルルー、ミカエル・ジャレル、ルイス・ナオン、イヴァン・フェデーレに作曲を師事、ローラン・ゲイ、杉山洋一に指揮を師事。2001年ガウデアムス賞(オランダ)受賞。ドナウエッシンゲン音楽祭(ドイツ)、ラジオフランス・プレザンス音楽祭などで作品が演奏。2018年4月より6月までオーストリア共和国文化庁ウィーン芸術レジデンス招聘作曲家に選出。2019年バーゼル作曲コンクール(スイス)第3位受賞。同年、イタリア共和国マッタレッラ大統領よりゴッフレード・ペトラッシ賞奨学金を受賞。2020年、KLANG!国際作曲コンクール(フランス)で第1位およびモンペリエ国立オペラ管弦楽団特別賞を受賞。2024年3月より5月までブラジル・イタパリカ島の芸術レジデンス・サカタールに選出され滞在。
植物や山河の自然に着想を得た作品が多く、単に詩的な感動だけでなくそれらに潜む数学的なフォームなどを作曲システムに活かしている。
今後の予定
イアン・ペイス ピアノ リサイタル 2024 ~ 現代ピアニズムの此岸I(両国公演)
2024年6月26日 19時開演(18時〜プレトーク)
両国門天ホール
今堀拓也 『イタパリカ奇想曲 Capriccio itaparicano』 新作初演
https://peatix.com/event/3932372/
オーケストラ・プロジェクト2024
2024年11月27日 19時開演
大井剛史 指揮、東京フィルハーモニー交響楽団
今堀拓也 『交響曲第1番 Prima Sinfonia』 新作初演
http://www.orch-proj.net/
今堀拓也 ウェブサイト
https://takuyaimahori.mystrikingly.com