Menu

ヴォクスマーナ第51回定期演奏会|齋藤俊夫

ヴォクスマーナ第51回定期演奏会
Vox-humana the 51th subscription concert

2024年3月21日 豊洲シビックセンターホール
2024/3/21 Toyosu civic center hall
Reviewed by 齋藤俊夫(Toshio Saito)
写真提供:ヴォクスマーナ

<演奏>
指揮:西川竜太
混声合唱:ヴォクスマーナ

<曲目>
小出稚子:『the smoke of kreteks』(2018委嘱作品・再演)
渋谷由香:『黒い森から』12声のための(2016委嘱作品・再演)詩:佐峰存
山本裕之:『エミリからの手紙』(委嘱新作・初演)
稲森安太己:『L’amor, l’alchimia e la pedantaria 愛と錬金術と衒学と』(委嘱新作・初演)
(アンコール)伊左治直:『朝のうた』(詩:小沼純一)

 

1996年に設立された現代声楽アンサンブルの精鋭ヴォクスマーナ、遂に51回目の定期演奏会と相成った。現代音楽の可能性を信じるヴォクスマーナと作曲家たちのコラボレーションが織りなす絢爛たる奇想は今回も予想外期待以上。

まず小出稚子の再演作『the smoke of kreteks』、歌手12人と指揮者が円座を組み、「n-」というヴォカリーズのおそらくハーモニーを、弱く歌える限界の超弱音で歌い始める。会場の照明も暗く落とされているので自然と儀式的な雰囲気が醸し出される。ヴォカリーズの中から英語歌詞の朗読が滲み出てきて、気づいた時には全体の音量が徐々に徐々に大きくなってきている。日本語の歌詞の歌唱が加わった時には相当に、といっても通常ならばppくらいだと思うが、体感としては相当に音量が大きくなり、其処此処から特殊唱法の「po!」「pa!」「paz!」「piz!」といった音も爆ぜ始める。寒い日本の春の中で熱帯の暑くうだるが静かな夜を感じさせたまま、また静けさの中に沈んでいき終曲。まさに神秘的合唱曲。

佐峰存の詩による渋谷由香の再演作『黒い森から』は男2人、女2人で1グループ、そのグループが3つで計12人の歌手によって歌われる。なんと複雑だがなんと美しいハーモニー! 微分音の異化的効果が全くなく、ただひたすらに美しい。それに加えて対位法をさらに複雑にしたような、歌手の間で受け渡されることによる歌詞の位置パラメータの変化が音の空間性を自由自在に操り、音響空間を、言わば日本画で言う「たらしこみ」のように彩っている。この感覚を筆者はルネサンスの多声部宗教音楽の聴体験のように捉えた。微分音でのハーモニーと空間的対位法による色彩と曲線の美、実に得難いものであった。

19世紀に夭折したアメリカの詩人エミリ・ディキンスンの書簡をテクストとした、山本裕之の初演作『エミリからの手紙』、これまた大変な作品であった。冒頭”Sweet Sue”(愛しいスー)の歌唱の調和はまたたくまに崩壊し、山本の代名詞とも言える微分音を使っているのかどうか定かではないが、異化和声学の最適解のごとく感性が逆転した美しさに満ちた合唱世界が広がる。どうやってこの異化和声学に歌手たちがついて行っているのか全くわからない。第4曲では8人がそれぞれ1パートを歌う分割された合唱がとんでもなく難解で技巧的。感性の迷路で迷子になったまま謎の和音で”Emily”と締めの言葉が歌われて終曲。謎が謎を呼びそのまま謎の中に放り出されてしまった。

プログラム最後を飾った稲森安太己『愛と錬金術と衒学と』はイタリアの哲学者ジョルダーノ・ブルーノの戯曲『カンデライオ』をテクストとした全6曲からなる大作。歌詞カードがなかったため歌詞の内容はわからなかった。
第1曲、男声6人、女声6人が集合しては散開する、前後の脈絡があるのだかないのだかわからないその構造は不条理劇的な物語のよう。
第2曲に入り、男声ソロがリードして男声2人→3人→男女全員と膨らんでいき、男声3人がリードして残り9人が被さる……、といったようにこの曲もまた複雑な構造で作られている。だが、その中から突然美しいハーモニーが飛び出てくるから油断ならない。
第3曲、全員で超高速歌唱→全員でロングトーン→全員で超高速歌唱→全員でロングトーンを繰り返す中に無声音や特殊奏法が色々と混入してやっぱり油断ならない。
第4曲、古雅な和声的合唱が始まって、やっと人間らしい合唱曲になったか、と思ったら「ボ!」「ボ!」「ボー!」と謎の声が交じり、弾けるような音の特殊奏法と持続音が散ってこちらの油断を突く。
第5曲、前期バロックの宗教音楽のようだ、ヴォクスマーナ上手いなー、とやっと安らいで聴けると思ったが、歌手同士が日本の狂言のような、道化劇のような不思議なやり取りを交わす。やはり油断ならなかった。
第6曲、男声が上空でうねるように歌われる冒頭から、この世ならざるような天の女声ハーモニー、地の男声ハーモニーと別れる終曲まで、突然斬りかかられるような緊張感に満ちた歌曲。女声が天にひるがえって消えて見事全曲終了まで全40分ほどある大作ながら一瞬たりとて油断できる隙も皆無の力作であった。

アンコールは恒例の伊左治直作品、『 朝のうた』(詩:小沼純一)。南方のバナナの皮を器にするという生活的で即物的な題材が可愛らしいファンタジーを作り出し、伊左治のハーモニーが温かく「いつもと変わらぬ静かな一日を送れるように」(詩最終節)という祈りを投げかけてくる。

人間の持ち得る最大限の奇想を今回も余す所なく見聴きさせてもらった。しかし願わくばこれら世界トップレベルの現代合唱曲の録音が欲しい、と願うのは筆者だけであろうか? 必ずや現代音楽シーンに大きな波紋を投じると思うのだが……。

(2024/4/15)