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読売日本交響楽団 第635回 定期演奏会|藤原聡

読売日本交響楽団 第635回 定期演奏会
Yomiuri Nippon Symphony Orchestra the 635th Subscription Concert

2024年2月9日 サントリーホール
2024/2/9 Suntory Hall
Reviewed by 藤原聡 (Satoshi Fujiwara)
写真:©読売日本交響楽団/撮影:堀田力丸

<曲目>        →foreign language
バルトーク:弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽 BB114
武満徹:ノヴェンバー・ステップス
ベートーヴェン:交響曲第2番 ニ長調 作品36

<演奏>
読売日本交響楽団
指揮:山田和樹
尺八:藤原道山
琵琶:友吉鶴心
コンサートマスター:林悠介

 

2018年から約6年に渡り読売日本交響楽団の首席客演指揮者を務めた山田和樹がこの3月末をもって同地位を退任する。それゆえ2月は区切りの意味でこのコンビにより5回のコンサートが開催されたが、そのうち2月9日の定期演奏会を聴く。この日のプログラムの中でも特に注目されるのは2曲目、藤原道山と友吉鶴心を独奏に迎えての武満徹の『ノヴェンバー・ステップス』であろう。

まずは1曲目のバルトーク、弦は16型、作曲家の指示通り弦楽器群を左右に振り分けて配置。演奏は竹を割ったように明快かつしなやかでリズミカルに流れる。要所でのティンパニの強打、この曲のピアニストとして他の演奏にもしばしば招かれる名手長尾洋史(なぜかプログラムにクレジットがなかったがそうだろう)のアンサンブルに溶け込みながらも必要な箇所では自己主張する匙加減の巧さ。山田が仕掛けた第2楽章や第4楽章のコーダにおけるアッチェレランドも非常に効果的で、全体として本作を晦渋さのない「聴きやすい」作品として提示しており、その「力業」には感心させられる。なお、筆者はこのバルトークの作品を聴くとフロイトの提示した概念「不気味なもの」を思い起こすのが常であるが(第1楽章の変拍子フーガや第3楽章の「夜の音楽」は筆者にはほとんど直感的に「死の音楽」に聴こえる)、山田の陽性の音楽はそれとはほとんど無縁だ。個人的にはより含みのあるバルトーク演奏が好みではあるが、逆方向に振り切ったこの演奏、山田にしかできないものには違いあるまい。

ここで休憩、後半開演のチャイムが鳴って楽員がステージに登場してもなぜかチューニングを始めない。ここで山田がステージへマイクを持って登場、プログラムにはトークありなどの記載はないが『ノヴェンバー・ステップス』について何か話すのだろうかと思ったら「悲しいお知らせが入りました。小澤征爾先生が3日前の6日に亡くなったということです」(ホールの反響音が大きく全てを明瞭には聞き取れなかったが大体そのように話した)とアナウンス、当然ホールにどよめきが。筆者も狼狽した。朝日新聞の記事によれば、山田は小澤死去のニュースをバルトークが終わった後に楽団のスタッフから知らされたという。「悲しみの中で演奏会をするのは先生の望みではない」「音楽は楽しいものとして共有したい。黙祷はしない」そして「本日の演奏を先生に捧げさせていただきたいと思う」(筆者もこれらの山田の言葉は概ね聞き取っていたが、文章は朝日新聞の記事をそのまま引いた)とのスピーチが続き、そして一旦ステージ袖に下がったのちオケはようやくチューニングを開始、その後に再度山田、そして藤原道山と友吉鶴心が現れて『ノヴェンバー・ステップス』の演奏が始まる。

それにしてもなんという巡り合わせか。現代作品の中では例外的に繰り返し演奏されているとは言え、そうそう実演で聴く機会もない『ノヴェンバー・ステップス』の演奏前に小澤征爾の訃報をSNSやニュースではなく山田和樹の口から聞かされたこと。今さら申すまでもないが1967年11月9日に本作をニューヨークで初演したのは他ならぬ小澤である(ちなみにバーンスタインに武満を引き合わせたのも小澤であり、そこからバーンスタインがニューヨーク・フィル創立125年記念の作品を武満に依頼することとなる。つまり小澤がいなかったら『ノヴェンバー・ステップス』は恐らく誕生していない。先のスピーチで山田曰く「小澤先生と武満さんの関係は深い、どころの話ではない」)。

かつ、その初演コンサートにおける他のプログラムはヒンデミットの『画家マティス』とベートーヴェンの交響曲第2番。もちろん小澤逝去の前に『ノヴェンバー・ステップス』初演コンサートの再現たるコンセプトで企画されたものとは言えこの符合。さらに続く。山田は2009年にブザンソン国際指揮者コンクールで優勝しているが、同コンクールで1959年に日本人として初めて優勝したのは小澤。山田は小澤のちょうど50年後に優勝したことになる。また、2009年のブザンソンでの山田の演奏を聴いて実力を認めた小澤のおかげで山田のヨーロッパでのキャリアがスタートし、その後のサイトウ・キネン・オーケストラへの登壇も実現した。つまり、山田も小澤の存在なくしては今の活躍はなかったかも知れないのだ。本コンサートには関係ないが、1月末には若き日の小澤が結婚していたピアニストの江戸京子が亡くなってもいる。これらの繋がり、いささか不謹慎かも知れないがドラマや映画にでもなりそうな話だ。この場に居合わせたことは恐らく一生忘れないであろう。


やたらと前置きが長くなった。この日の『ノヴェンバー・ステップス』は4回のスタジオ録音(ライヴを入れればさらに多くの録音が存在する)に全て参加している鶴田錦史と横山勝也の「カノン」たる名演奏とはまた違った息吹を感じさせた藤原道山と友吉鶴心の素晴らしい演奏に大喝采を贈りたい。演奏毎に微妙な差異はあれど、鶴田と横山の演奏は張り詰めた緊張感と厳密さに支配されていた感があるが、新たな藤原と友吉の演奏はそれよりも自在な呼吸と両者の「インタープレイ」があり、語弊がある言い方になるかも知れないがさらに開かれた音楽となっていたように思われる。本作の演奏において鶴田、横山組の半ば固定化された解釈〜演奏と全く別の角度から挑むのは恐らく難しく―音価が示されなかったり図形楽譜による即興の余地があるとは言え―、その意味でこの日の演奏も大筋ではそれを踏襲したものとは言えるが、理屈ではなく聴感上の味わいは相当に異なるのが非常に不思議であった。山田の指揮はこの独奏2人の自在さにぴったりであり、小澤の明快な、あるいは若杉弘の茫洋とした(もちろん意図的なものだ)演奏とも異なる世界を提示していた。何より弱音での音色の繊細な作り方が見事。いわゆる「現代音楽」作品でこのような再演による異なる解釈に遭遇できる機会が実現することもそう多くはないだろうし、それは正に『ノヴェンバー・ステップス』が現代音楽の例外的な傑作、エポックメイキングな作品であることの証左と思われる。あるいは音楽史の中に然るべき位置を占める作品となる―歴史化される(された?)―過程。

コンサートは続く。最後のベートーヴェンは驚いたことに16型、さらにバルトーク、武満と同様に弦楽の同一パートをシンメトリックに左右に2群に振り分けたまま演奏された。ホルンと木管は倍管である。当然のごとく弦の厚みと管の迫力が凄まじく(特にホルン)、その音圧はほとんどマーラーか。第2楽章冒頭の弦は第1プルト奏者のみで室内楽のように演奏されたり、さらに驚かされたのは第3楽章の弦を左右に分けて交互に掛け合いで弾かせたアイデア。左右それぞれで弦5部は完結しているからそれが可能なわけだ。しかし第3楽章の演奏が始まる前に左右のトップ奏者がジャンケンで演奏の順番を決めるとは(笑)。尚、トリオ(オーボエに装飾あり)後のスケルツォのリピートでは弦楽器全プルトで演奏していた。第4楽章もカロリー満点の演奏で、コーダの追い込みも猛烈、これはもはや「新ヤマカズ版ベト2」と形容したい。なるほど、このような特異な配置での演奏ゆえアンサンブルは正直緩いし、いくらなんでもやりたい放題過ぎやしないかという批判は出るだろうが、ここまでやり切られると文句を言うのも野暮に思える。なにより山田は確信犯的に楽しくやっているのだから。そう、先のスピーチで語ったように「音楽は楽しいものとして…」。

(2024/3/15)

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〈Program〉
BARTÓK:Music for Strings,Percussion and Celesta,BB114
TAKEMITSU:November Steps
BEETHOVEN:Symphony No.2 in D major,op.36

〈Player〉
Yomiuri Nippon Symphony Orchestra
Principal Guest Conductor:KAZUKI YAMADA
Shakuhachi:DOZAN FUJIWARA
Biwa:KAKUSHIN TOMOYOSHI
Concertmaster:YUSUKE HAYASHI