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都響スペシャル【インバル/都響第3次マーラー・シリーズ①】|藤原聡

都響スペシャル
【インバル/都響第3次マーラー・シリーズ①】

2024年2月23日 東京芸術劇場コンサートホール
2024/2/23 Tokyo Metropolitan Theatre Concert Hall
Reviewed by 藤原聡 (Satoshi Fujiwara)
Photos by 堀田力丸/写真提供:東京都交響楽団

<曲目>        →foreign language
マーラー:交響曲第10番 嬰ヘ長調(デリック・クック補筆版)

<演奏>
東京都交響楽団
指揮:エリアフ・インバル
コンサートマスター:矢部達哉

 

インバルと都響による第3次マーラー・シリーズとして最初に取り上げるのが交響曲第10番のクック版、意表を突かれるとはこのことか。前回のシリーズ―「新・マーラー・ツィクルス」と銘打たれていた―は2012年から2014年にかけて開催されたが(幸運にもEXTONレーベルによってライヴ収録され容易に聴くことが可能)、その際は第1番から番号順に演奏され、その当然の帰結として2014年の7月に行われたクック版第10番によって交響曲全曲演奏は完結したのだった。都響からの情報によれば、この度のシリーズは前回とは逆、つまり番号を遡る形で進行、最後はインバルの選択で第2番『復活』もしくは第9番で終える予定だという。数年がかりのプロジェクトであるが、インバルには是非とも完走して欲しく思う。というのもこの指揮者は齢88歳にして今なお変化を続けているからであり、それはクラシック音楽という再現芸術の根幹を都度問い直すこととなるだろう。

この日のクック補筆による第10番も10年前―2014年の演奏とはまた趣が異なるものになっていたのだが、大まかに言えば表現主義的なアグレッシヴさと熱さをまとった2014年から、より達観し高所から俯瞰したかのような静謐さをも感じさせる境地に達したと思われる。例えば第1楽章では余り溜めを作らずに速めのテンポで流れよく曲を推進させる。第2楽章でも明らかに前回よりオケを大掴みにドライヴさせる。鷹揚になっているのだ。とはいえ第3楽章では以前にも増してスコアに記された細やかで神経質な表情記号を完璧に掬い取って表現する辺り、これはインバルの単純な老いではあるまい。楽曲に対するインバルの内的な捉え方の差異が第1及び第2楽章に現れていると見る。

尚、一言でクック版と言っても様々なバージョンが存在し、現段階での最新版はクック版第3稿第2版というものだ。しかしインバルはクック版第2稿を用いながら、そこに第1版や第3版のアイデアを適宜取り入れ、いわばクック第2稿+インバル版とでも形容できる独自のものとなっている。この辺りは木幡一誠氏による当日のプログラムに詳しいが、インバルが今なお変化している最も分かりやすい例として挙げられるのが1992年のフランクフルト放送響、先述した2014年の都響との演奏で存在していた第2楽章の最後から2小節目で鳴らされるシンバルがこの日の演奏にはなかった点だろう。このシンバル、クック第1稿には存在し、第2稿では削除されたものだ(先に「クック第2版+インバル版」と記したのはその意味だ。第2稿を使用しているのにシンバル打は残している。ちなみにクックの死後ゴルトシュミットとマシューズ兄弟が細部を検証した第3稿ではこのシンバル打は復活している)。ところが、繰り返しになるけれども今回の演奏にはこのシンバルがない。その意図するところは図りかねるが、インバルがスコアをその都度読み直し新たな考えに基づいて演奏に反映させていることが分かる好個の例である(余談だが、このクック版の変遷を非常に詳細に記述してある金子建志氏の著作『マーラーの交響曲』は大変参考になる)。

演奏それ自体の話に戻る。第4楽章は以前の演奏に比して個々のパートを際立たせない。さほど荒涼とした刺々しい音響を聴かせず全体をまとめるようなものになっていたのが意外だったが、これは続く終楽章への前奏曲的な位置付けと捉えたのか。その終楽章では序奏部に登場するフルートソロが絶美で、都響のサイトによればこの奏者は昨年8月に入団したばかりの松木さやという方(都響の前にはオーケストラ・アンサンブル金沢に在籍していた由)。この箇所の最高の演奏だろう。そしてインバルの指揮、この楽章の第1楽章との対応関係をこれほど聴き手に意識させる演奏はなかなかないと思う。誤解を恐れずに書けば、第1楽章をも含め過度にのめり込まずに造形感を重視した今回のインバルの解釈が作品の形を浮き彫りにしたと言えるのではなかろうか。確かにエモーショナルな側面は以前の演奏より後退しているが、筆者が先に記した「より達観し高所から俯瞰した」ことによりこの演奏が得たのはこれではなかったか。個人的には2014年の演奏をより上位に置きたいが、作品の新たな相貌を現前させるインバルはやはり凄い(尚、この日のコンサートは都響の特任首席ヴィオラ奏者である店村眞積の最後のステージであり、終演後はインバルからの花束贈呈、さらには楽員からの釣り竿(!)のプレゼントが)。

これからの第3次マーラー・シリーズ、楽しみという他ない。

(2024/3/15)

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〈Program〉
Mahler:Symphony No.10 in F-sharp major(Cooke version)

〈Player〉
Tokyo Metropolitan Symphony Orchestra
Eliahu INBAL,Conductor
Tatsuya YABE,Concertmaster