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聖母マリアの夕べの祈り|大河内文恵

濱田芳通&アントネッロ 第16回定期公演 聖母マリアの夕べの祈り

2024年1月5日 川口総合文化センター 音楽ホール
2024/1/5 Kawaguchi Lilia Music Hall
Reviewed by 大河内文恵 (Fumie Okouchi)
写真提供:アントネッロ

<出演>        →foreign language
指揮/リコーダー・コルネット:濱田芳通

独唱/合唱
ソプラノ:鈴木美登里、中山美紀、陣内麻友美、中川詩歩
アルト:野間愛、新田壮人
テノール:小沼俊太郎、田尻健、前田啓光
バス:谷本喜基、松井永太郎

管弦楽:アントネッロ

ヴァイオリン:天野寿彦・阪永珠水
ヴィオラ・丹沢広樹
チェロ:武澤秀平
ヴィオローネ:布施砂丘彦
コルネット:細川大介、徳丸幸代
サクバット:南紘平、野村美樹、生稲雅威
リコーダー:織田優子
テオルボ:高本一郎
ハープ:伊藤美恵
オルガン:上羽剛史

<曲目>
クラウディオ・モンテヴェルディ:聖母マリアの夕べの祈り SV206

ヴェルシクルス:主よ、早く私を救いへと向かわせてください
レスポンソリウム:主よ、私の心を促し、救いへと導いてください、今すぐに[6声]

アンティフォナ:肌は黒くとも美しい
詩篇109:主はわが主キリストに言われた[6声]
コンチェルト:肌は黒くとも美しい[独唱]

アンティフォナ:なんと美しいことか
詩篇112:主に従う者たちよ、主をたたえよ[8声]
コンチェルト:なんと美しいことか、わが愛する娘は[二重唱]

アンティフォナ:どうか、王が私を慈しんでくださるように
詩篇121:喜ぶべきかな[6声]
コンチェルト:二人のセラフィムが[三重唱]

アンティフォナ:すでに冬は去り
詩篇126:主が家の基礎を築くのでなければ[10声]
コンチェルト:天よ、私の祈りを聞いてください[6声]

~~休憩~~

アンティフォナ:美しく愛らしくあれ
詩篇147:エルサレムよ、主をたたえよ[7声]
「聖マリアよ、我らがために祈り給え」によるソナタ[8声]

カピトゥルム:この世の始めより
イムヌス(賛歌):アヴェ、海の星よ[8声]

ヴェルシクルス:あなたを賛美させてください
レスポンソリウム:あなたの敵に立ち向かう

アンティフォナ:聖マリアよ、この世の不幸に思いをめぐらせて下さい
マニフィカト[7声]
アンティフォナ:聖マリアよ、この世の不幸に想いをめぐらせて下さい

 

近年目覚ましい活躍を続ける濱田芳通&アントネッロが満を持してモンテヴェルディの《聖母マリアの夕べの祈り》を取り上げた。古楽の聴き手であれば、おそらく何度か聞いたことのあるお馴染みの曲だが、川口リリアの音楽ホールを埋め尽くした観客のなかには、初めて聞くという人も一定数いただろう。バッハのマタイ受難曲やヘンデルのメサイアとはそのあたりの匙加減が異なってくるはずだと思いつつ川口に向かった。

プログラムノートに濱田が書いているように、「ムチャクチャいい曲」だというのが伝わってくる演奏だった。濱田はこの作品の初演に関してフェンロンの説を取り、ゴンザーガ家の一連の結婚行事のなかで演奏されたとしている。とすれば、詩篇やマニフィカトが入っていても宗教的な意味合いは薄れてもおかしくはない。これまで筆者が聞いてきた演奏は、詩篇とコンチェルトが交代するこの作品の構造を、宗教的な曲と世俗的な曲との交代ととらえるものが多かった。それはそのままルネサンス的な音楽とバロック的な音楽と言い換えることもできる。モンテヴェルディがルネサンスの様式とバロック的な様式とを意図的に混合させた代表例として言及されることに呼応してのことだ。

しかし、濱田はこのような二項対立を真っ向から否定した。たとえば、世俗的(バロック的)であるはずの「コンチェルト:なんと美しいことか」では、鈴木と中山がソロを務め、音程を低めにとってルネサンスの響きを聴かせ、3拍子になる部分の説得力が増した。逆に、「詩篇121喜ぶべきかな」では、途中で低音が同じ長さの短い音符で刻んでいくところで非常にリズミックなテクスチャーになる。その音型はそのあともう一度出てくるのだが、そこでは通奏低音楽器がそれを補強し、すっかりそのリズムに支配されたところで、テノールソロの華麗なメリスマが入ってくる。その後の「栄光」という歌詞がある部分にはサックバットが入って強調されるといった具合に、歌詞の内容が見事に音楽化された。

「詩篇126主が家の基礎を築くのでなければ」は二重合唱の編成になっており、録音などでは実感できない、生の舞台ならではの音響の豊かさを実感することができた。この曲では、アントネッロの公演ではお馴染みの、濱田のリコーダー演奏が入る。ここで一気にグルーヴ感が増すが、Gloria Patriからは平らかな音楽となる。この曲1曲だけでも聴いて良かったと思える。

器楽奏者についてもふれておこう。この公演では、テオルボとハープの前にはマイクが置かれ、増幅されていたが、不自然さはまったく感じなかった。どの楽器の奏者も濱田からの信を得て演奏しており、何より奏者自身が濱田流を愉しんでいることが感じられた。今回の演奏では、ヴィオラの遣いかたに特徴があったように思う。本来、ヴィオラは通奏低音楽器ではないが、通奏低音のような使いかたがなされた箇所があった。また、全体として内声からグルーヴ感を醸し出す役割を担っていた。
楽器の編成は、曲によって、通奏低音のみであったり、そこに弦楽器が加わったり、さらに管楽器が加わったりと、よく考えられていた。なかでも、同じアンティフォナに挟まれた最後の楽曲、マニフィカトの荘厳さは特筆に値する。ここではオルガンとリュートのみの部分があったり、ヴァイオリン2人のソロがあったり、ヴィオラがエコーを担当するなど多彩。もちろん、濱田自身の演奏も入る。

マニフィカトに限らず、全篇にわたって、ソロはもちろんのこと、2~3人のソリ(小コーラス)の部分が秀逸だった。そしてマニフィカトでソロを務めた田尻のラスボス感が半端ない。この部分はアラブの音楽のようなニュアンスが感じられたが、ここだけでなく、東方の聖歌のように感じる部分など、それぞれの曲のルーツまで手繰り寄せようとする濱田の手法が冴える。

それぞれの曲が奥底にもつ民族音楽的な着想を焙り出した演奏は心が躍る。各部分の前にアンティフォナを入れていたのは、宗教的な響きを加味するためだったのではないかと思われ、実際、それは成功していたと思う。ただ、これまでさまざまな演奏を聞いていた人にはカウンターとして機能するだろうが、初めて聞いた人にこれがモンテヴェルディの《聖母マリアの夕べの祈り(通称:ヴェスプロ)》だと受け止められても良いものかどうか、筆者には判断がつかない。

たしかに、最後のマニフィカトとそれを取り囲むアンティフォナに宗教的な要素が詰め込まれ、それまでの部分と対比されることによって、強調されることを意図していたのだとすれば、腑に落ちる。演奏中、ここをこう演奏するのか!といった発見が多くあった一方で、小さな疑問符が点滅し続けた。演奏会後、いくつかの録音を聞いてみたところ、まるでゴスペルのような歌い方をするもの、楽器を最小限にして教会の雰囲気を前面に出したものなど、さまざまな演奏が存在することを知った。この演奏会で《聖母マリアの夕べの祈り》を知った人々も、今回の演奏で終わりではなく、いろいろな演奏があることを知って欲しいと願う。

(2024/2/15)




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<performers>
Conductor / Recorder, Cornetto: Yoshimichi HAMADA

Soprano: Midori SUZUKI, Miki NAKAYAMA, Mayumi JINNOUCHI, Shiho NAKAGAWA
Alto: Ai NOMA, Masato NITTA
Tenor: Shuntaro KONUMA, Takeshi TAJIRI, Hiromitsu MAEDA
Bass: Yoshiki TANIMOTO, Eitaro MATSUI

Anthonello
Violin: Toshihiko AMANO, Tamami SAKANAGA
Viola: Hiroki TANZAWA
Violloncello: Shuhei TAKEZAWA
Violone: Sakuhiko FUSE
Cornetto: Daisuke HOSODA, Sachiyo TOKUMARU
Sackbut: Kohei MINAMI, Miki NOMURA, Masatake IKUINA
Recorder: Yuko ODA
Theorbo: Ichiro TAKAMOTO
Harp: Mie ITO
Cembalo: Tsuyoshi UWAHA