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Books|花の雨が降る ROCAエピソード集|西村紗知

花の雨が降る ROCAエピソード集
著者:いしいひさいち
発行:(笑)いしい商店
2023年9月出版
500円(税込)

Text by 西村紗知 (Sachi Nishimura)

 

本書は、漫画家・いしいひさいちが自費出版本として出した作品集である。いしいは、主に風刺系ギャグ4コマ漫画の作風で知られている。デビュー作『バイトくん』では貧乏学生たちの暮らしが描かれ、出世作『がんばれ!!タブチくん!! 』では野球選手の秀逸かつ徹底的なカリカチュアが満載だ。2022年にはデビュー50周年を迎えた。朝日新聞朝刊の『ののちゃん』は改題前の『となりのやまだ君』を含め掲載通算1万回を越えている。いしいはその他も、アニメ化された『地底人』、政治関連の時事ネタが収録された『いしいひさいちの問題外論』などなど、多くのシリーズを世に送り出してきた。1999年にはスタジオジブリにより『となりのやまだ君』が映画化され、筆者くらいの世代はその映画でいしい作品を知っている人も多いことだろう。
そんないしいのとある作品が2022年、SNSを中心に若い世代から注目を浴びる。それが『ROCA 吉川ロカストーリーライブ』という自費出版の単行本で、本書はその補遺ともなるであろう断片的なエピソード集になっている。あとがきには作者自身が手書きで「われながら未練がましいと思います」と記している。
『ROCA 吉川ロカストーリーライブ』並びに本書『花の雨が降る ROCAエピソード集』では、ポルトガルの国民歌謡・ファドの歌手を目指す女子高生、吉川露花がその才能を開花させていく過程が描かれる。郷里を離れ歌手活動に専念することになったロカを、地元で活動する頃から支えてきたのが、親友である年上の同級生の柴島美乃。彼女は、ちょっと「ヤバい筋」の仕事を行う柴島商会の、支配人の地位を祖父から継ぐこととなっている。郷里から飛び立っていくロカと郷里に残された美乃。これはそんな彼女らの友情と別離の物語である。『バイトくん』『がんばれ!!タブチくん!! 』でいしいの漫画のことを知っている読者からすると異例の作品だ。画をぱっと見ても過去作との違いは明らかだ。キャラクターの頭身が高いため、これまでとは違った画角で描かれているところがある。作者自身が「なぜこのような、らしくもないお話を描こうとしたのか実は今もよくわかりません」(本書47頁)と言っているのも興味深い。
続編ではなくあくまでエピソード集なので、前作のストーリーが新たに書き換えられたわけではないが、注目すべきは前作「ストーリーライブ」とは別のバージョンのラストカット、柴島商会の「最期」の様子が描かれたコマが用意されていることだろう。それと、どうして「吉川ロカ」の物語に、本書のようなエピソード集を追加するほどに作者自身が引き込まれているのか、ということを考えざるを得ない。
「ROCA」は、元はといえば『ののちゃん』のスピンオフ作品という位置づけである。舞台は「ののちゃん」らの住む「たまのの市」で、これは作者の郷里である岡山県玉野市の小さな港町がモデルとなっている。「ROCA」世界の登場人物たちの多くは「ののちゃん」世界にも登場しており、筆者が全集版『ののちゃん』で確認するかぎり「吉川ロカ」と思しき人物の初登場シーンは2009年4月頃である(全集通し番号4272)。この時の「吉川ロカ」は単行本並びに本書と比べると顔の造形が異なっており、のちの「吉川ロカ」をデザインするにあたり、 作者がファンであると公言しているバンド・GARNET CROWのボーカリスト、中村由利の顔を参考にしたのではないかと想像する。
『ののちゃん』に比べ吉川ロカの物語は、作者の私小説的な色彩がより一層濃いものとなっている。柴島商会の支配人のモデルは、生前「石炭ブローカーとして鳴らした」作者の祖父であることが本書のあとがきで明かされている。作者自身の「なぜこのような、らしくもないお話を描こうとしたのか実は今もよくわかりません」という言葉を読者として真面目に受け取るべきならば、なぜ、いしいひさいちという漫画家が私小説的な試みに傾倒するようになったのか、と問いを立ててみるのがよいのではなかろうかと思う。
その問いを立てるに際し、重要なことがひとつある。それは、「ののちゃん」の舞台が玉野市をモデルにしていることは、連載当初から明らかにされていたわけではない、ということだ。全集版『ののちゃん』を第1巻から読み通すと、そのことが確認できる。「ののちゃん」は、ある時までは日本のどこにでもいる中流家庭の日常を反復する内容で、新規のキャラクターはあまり活躍する機会がなかった。そもそも新聞連載の4コマ漫画には特有の制約がある。メインの登場人物たちは年をとることができない。全国紙であるため、内容も過度に地域色のあるものであってはならないことだろう。
のの子は夏休みの宿題をやらないし、のの子の兄・のぼるはテストの成績があまりよろしくない。そんな二人の子の体たらくを案じる母・まつ子は毎日の献立の手を抜くし、一家の大黒柱・たかしの日曜大工は常に失敗する。同居する祖母・しげは活動的なちょっぴりひねくれもので、そんな一家の様子をいつもどこか小ばかにしたようにみている飼い犬・ポチ……作品世界の出来事といったらいつもこういった出来事の反復で、これらの定番ネタがストイックに反復される様を通読していくと、この世界がさながらギャグ漫画の実験装置のように思えてくる。
だが連載が回数を重ねるうちに、そのときどきで入ってくる新規のキャラクターにより、作品世界には変化が訪れることとなった。その多くは「女」である。のぼるに好意を寄せる、謎の異形の転向生・富田月子、野球部に入って来た俊足の女児・島田、そして吉川露花。
作品世界の変質を一番大きく感じられるのは、2009年頃である。この頃から、この物語の舞台が「たまのの市」であることが明らかにされるようになり、土地に根付いた具体的な設定が加わるようになった(たかしは、この小さな港町にある造船会社に勤めていること、など)。
「ROCA」世界の「この町ではかつて海難事故で連絡船が沈没し、多くの人が亡くなった」という設定が、並々ならぬ重要性を帯びてくるように思われる。ロカと美乃の共通点は、その海難事故で両親を亡くしたということにある。彼女ら二人の最初の出会いは慰霊祭だった。「ROCA」はこの土地に残された者が過ごした時間を描いた物語なのである。新聞連載の4コマ漫画という、時事ネタを含ませることはできても本質的に無時間的な世界像から、本書のような物語が生まれてきたという、このことの意義はその決定的な「時間性」の相違という、このことにある。
飛び立った者、残された者、失われた者。作品世界が私小説的な色彩をもち始めて以降、いしい漫画のキャラクターたちはその3つの対比に沿って生きるようになったのではないかと、筆者はそんなことを考えている。
2009年の「ののちゃん」において、重要な出来事が他にもある。通し番号4247番、かねてから登場機会に恵まれていなかった、富田月子がとうとう消失するのである。「学校へ行きたかったんだけど……」とのぼるに言い残し彼女は作品世界から消失するように退場する。吉川ロカと思しき人物が初めて登場するまで、それからあまり時間を要さない。「ROCA」世界にも、富田月子とはまったく別の仕方で「失われた」者がいる。美乃の弟である柴島宗勝である。彼は実のところ「ののちゃん」世界ではかなり早い時期から活躍していた古参キャラクターで、中学を留年する不良少年でありながらも、のぼるの野球部の先輩として後輩の初心者である島田に、なんとか野球ができるようになるよう指導するなど、面倒見のいい側面もあった。だが「ROCA」世界ではかなり様子が異なる。支配人は当初、会社を宗勝に継がせようとするが、宗勝の人格上の問題につき、叶わなかった。そして彼は、ある決定的な行動を起こすこととなる。(ちなみに、柴島宗勝の造形は、かつていしいが野球選手・元木大介に与えていた造形に似ている。)

ある者は郷里から飛び立ち、ある者は郷里に残され、そしてまたある者は郷里で消失する。この作者が否応なしに没入していった私小説的な試みにより、4コマ漫画は、もはや取り戻せない時間を、登場人物たちの宿命を、生き生きと描出するようになった。これからまたどのような展開を辿っていくのか。本書『花の雨が降る ROCAエピソード集』は予感に満ちた作品集だ。

(2024/2/15)