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パリ・東京雑感|残酷さの感染をねらうイスラム・テロ|松浦茂長

残酷さの感染をねらうイスラム・テロ
When Health Care Services Are Destroyed, They Are Destroyed Forever

Text by 松浦茂長(Shigenaga Matsuura)

イスラエル軍がガザ地区の病院を攻撃するのはなぜだろう? 最初のうちイスラエルは、「ハマスのミサイルが間違って病院に落ちたのだ、イスラエルは爆撃していない」と弁明したり、「病院とその地下が、ハマスの武器庫や司令部になっているからだ」と言いわけし、地下のトンネルらしきものの写真を公開したりしたが、やがて病院攻撃はルーティーン化し、釈明も聞こえなくなってきた。
ガザ地区北部の病院は、電気もない、水もない、食料も医薬品もないので、ほぼ全部閉じてしまったし、南部の病院も安全ではない。欠乏状態の中で医者たちは、新兵器によるとみられる難しい負傷と取り組まなければならない。子供達は飢えて体力がなく、ほとんどが病気。でも医者に診てはもらえない。
医療が崩壊すると、感染症が蔓延し、医者の指示なしに抗生物質をのむので、抗生物質の効かない恐ろしい耐性菌が生まれる。国境なき医師団は、ガザ地区でも薬の効かない細菌の脅威が迫っていると警告しているが、かつてアメリカ軍のイラク侵攻とISイスラム国との戦いによって、医療態勢が崩壊したイラクでは、イラキバクテルAcinetobacter Baumanniiという耐性菌が誕生した。傷口からイラキバクテルに感染すると、敗血症や髄膜炎を引き起こし、死に到る。現在最も危険とされる6つの耐性菌があわせて数百万人の命を奪うといわれ、その一つがイラキバクテルだ。
とりわけモスールでは、ISイスラム国を撃退するため、米・イラク軍がいまのガザ地区のように激しい空爆を加えた。病院を狙い撃ちしたところもガザ地区に似ている。13の医療センターのうち9つが破壊され、最近現地を視察したイラク出身の医学者オマル・ダワチ氏によると、戦闘から6年経っても再建されないまま。医療崩壊の結果、モスールは耐性菌感染が最も深刻な町になってしまったという。耐性菌はイラクの人々を苦しめるだけではない。負傷兵によってアメリカの病院にまで運ばれ、さらに地球上を拡散して行く。

 

米軍に爆撃され42人の死者を出した『国境なき医師団』の病院(アフガニスタン)

ガザ地区の病院爆撃のニュースを読んだとき、ロシア軍がしきりにウクライナの病院を狙ったのを思い出したが、よく考えると、病院を破壊し医療を崩壊させる陰惨な戦術は、ウクライナ戦争で始まったわけではない。20年ほど前から、<テロとの戦い>の大義名分のもとに、病院攻撃が急増した。WHO 世界保健機構は、シリア内戦中、少なくとも930人の医療従事者が殺されたと報告している。シリア・ロシア軍は、テロリストを狙うと称して、病院を攻撃したのである。
ほかに病院がことさら攻撃目標にされた国を数え上げると、イエメン、スーダン、エチオピア、リビア……ショッキングなのは、2015年アメリカ軍がアフガニスタンにある国境なき医師団の病院を爆撃し、42人を殺したことだ。(パリ・東京雑感|国境なき医師団の病院爆撃と愛の革命)
しかし、医療破壊のチャンピオンはなんといってもロシアである。ウクライナ侵略開始以来、1,110回の医療施設攻撃を行い、WHOに「最多」のレッテルをはられた。ロシアのやり方は病院爆撃だけでなく、医療従事者の拷問、救急車襲撃など、医療システム全体を狙う徹底した破壊である。

ロシアとイスラエルによって病院爆撃はすっかり見慣れた光景になってしまった。戦争中に病院を攻撃するのはジュネーブ条約で禁止されているのだが、これからの戦争では真っ先に病院が破壊されるものと、覚悟しなければいけないのだろうか?
新型コロナが蔓延したとき、私たちも医者に頼れない不安を経験した。感染の勢いが病院の能力を超え、高熱があっても「自宅でじっとして治るのを待ちなさい」という事態。誰もが惨めな気持にさせられたけれど、病院が破壊された町の住民の不安はそれどころではない。敵国の医療態勢を滅茶滅茶にし、誰も医者に頼れない状況におとしいれるのは、敵国民の心が折れるのを狙っているのだろう。伝染病、さらに耐性菌によって、敵国民をじわじわと苦しめて殺すことも出来る。おまけに、オマル・ダワチ氏によると、「戦争中に病院などのインフラと医療の専門的知識・能力が破壊されると、しばしばそれら医療システムは永久に失われてしまう」。敵国を長期にわたって弱体化させるために、病院攻撃はコスト・パフォーマンスの高い戦術なのだ。

さて、イスラエルの攻撃があまりに残酷なので、ハマスがイスラエルに仕掛けたテロ攻撃の異様な残酷さは陰に隠れてしまった。しかし、ユダヤ人の子供を親のいる前で殺し、あるいは殺したユダヤ人の首を切り落とす一部始終を自分で撮影して公開する。赤ちゃんを奪い去り、あるいは、恐怖で硬直した高齢の女性を、人質として無理矢理に引きずってゆく様子を撮影して公開する。女性への暴行、服を剥がされた女性の死体の映像……あの念の入った残虐性誇示は何だったのだろう?
イスラエル人を怒り狂わせ、イスラエル軍がガザ地区に対し常軌を逸した猛烈な復讐攻撃をかけるよう誘い込むのが狙いだったのだろうが、残酷さを見せびらかすテロは、これが最初ではない。この種のテロに関して、ハマスはむしろ後輩。残虐テロのスペクタクル化は、イスラム原理主義テロリストが身につけた、新しい行動原理なのだ。

崩れ落ちた世界貿易センターで応援を求める消防隊員

2001年9月11日ニューヨークの世界貿易センターに旅客機を突っ込ませ、世界に同時中継されるテレビカメラの前で、高層ビルを瓦解させたあの時以来、イスラム原理主義者のテロはスペクタクルの強度を競うようになった。破壊、恥辱、拷問、苦悶のありさまをできるかぎり衝撃的な映像に仕上げて公開する。ISイスラム国は、<不信仰者>の首を切って処刑する映像、鉄格子のおりの中に入れた敵を焼き殺す映像、捕虜を血まみれにするリンチの映像を続々と制作・公開。やがて、イスラム原理主義テロリストのあいだで、人を殺すありさまを、どのように効果的に映像化するかのサディズム美学と、冷酷な見せびらかし技法の基本が共有されるようになった。
イスラム原理主義には、本来それなりの思想があったはずなのだが、テロのスペクタクル化につれて、思想は片隅に追いやられ、有無を言わさず衝動から衝動へ訴える非理性主義が支配するようになった。

その危険について、パリ大学名誉教授エリック・マルティはこう書いている。

ハリウッド映画さながらに、ニューヨークのツインタワー(貿易センタービル)が、全世界生中継の真っ只中で倒壊……そびえ立つ高層ビルは正しい信仰を持たない者の支配力を象徴し、そのあっけない崩壊は不信仰者の支配が一瞬で無力化されることを、当然のように指し示す力があった。このとき、アルカイダによって新たなパラダイムへの転換が行われ、そこから、極めて特異な政治的実践が導き出されることになる。それは、欧米スペクタクル社会に対する、政治的イスラムのあざやかな弁証法的応答と言って良いだろう。
私たちは、まだそのアイロニーの威力を理解できていないが、説明し、弁明し、自己を正当化する手間を省く、言い換えれば言語化に背を向け、ひたすら映像に向かうスペクタクル主義の行き着くところを、ハマスのテロからも読み取ることが出来る。
その映像は、人間対人間のコミュニケーションを永久に断ち切る。それは、言葉のない一方的メッセージであり、メッセージを受け取る側は、あ然として言葉を失うほかない。あらかじめ相手からの応答を無効化し、反論を不可能にするメッセージなのだ。

いささか気取った、回りくどい文章だが、要するに、イスラム原理主義テロの残虐性を、どの戦場でも見られる残酷さと同じ次元で受け取ってはいけないと警告しているのだ。これまでも、戦場の兵士は敵を殺すとき、サディスティックな喜びを感じ、殺害に熱狂したかも知れない。しかし、その残酷はその場かぎりで完結し後を引かない。(本人の心に癒やすことの出来ない傷が残るかもしれないが)
ところが、テロリストが人を切り刻み、暴行し、はずかしめ、殺すだけで満足せず、彼の行為そのものをメッセージとして注意深く映像構成し、世に送り出すとき、<残酷>は別物になる。残酷はもはや殺害の熱狂にともなう刹那的要素ではなく、その<行為=メッセージ>に独立した命を与える本質的要素なのだ。残酷の衝動がいわば一人歩きして、次の残酷を誘発……疫病のウイルスが感染を拡大させるように、残酷性が世界に増殖する。
冷酷無残な劇場型犯罪として、フランス人に忘れることの出来ない衝撃を与えたのが、2012年3月のメラ事件だ。モハメド・メラ(23才)が、3月11日トゥルーズで軍人一人を射殺、15日モントーバンでさらに軍人2人を射殺、19日にはトゥルーズのユダヤ人学校で小学生3人と先生1人を殺した。メラは自分の体にカメラを装着し、殺戮のすべてを収録、音楽とコーラン朗読をつけて編集した上で、カタールのテレビ局アルジャジラに送ったのである。
あどけない3才、5才の子を撃ち殺す冷徹さは、ヨーロッパのイスラム・テロリストを奮い立たせたに違いない。メラの犯罪以後、彼らテロリストの頭の中で、ユダヤ人はいわば<理想的>攻撃対象、メラがやったようにどんな冷酷な殺し方も許される敵とされるようになった。メラ事件後のテロリストは「昔からイスラムの教えで子供を殺すことは禁じられてきたけれど、ユダヤ人にかぎって、この禁止は解かれた」と考える。ユダヤ人は<人間>の範疇の外に置かれたのだ。
しかし、メラには確固とした反ユダヤの信念があったのだろうか? 警察は、初めのうち極右の犯人像を想定したくらいだから、宗教・政治的信条はお粗末だったに違いない。いや、もしかしたら、思想性の弱さがプラスして、彼の犯罪行為がより純粋なスペクタクルに仕上げられたのかもしれない。テロ行為の出来映えが良ければ、映像の衝撃が、いくつもの模倣テロを誘い出すだろう。伝染病の流行が止まらないように、メラの引き起こしたユダヤ人殺しの<思想なき>行為、<言葉なき>メッセージは増殖を続け、やがてハマスのユダヤ人殺しにつながるのだ。

イラン最高指導者ハメネイ師と会うハマスの指導者ハニヤ氏(中央)とアルーリ氏(左、1月2日イスラエルに殺される)

本来のハマスは、イスラム同胞団から出た宗教団体で、教義の合理性を尊重し、出来るだけ多くの一般信者を惹きつけるために、言葉を大切にしてきた。ところが、10月7日、ハマスは突如言葉を捨て、アルカイダやISイスラム国と同じスペクタクル・テロを演じたのである。
エリク・マルティの言うように、彼らの犯罪は、人間的コミュニケーションを断ち切り、応答を無効化した。言語を失った世界を律するのは力――イスラエル国民の圧倒的多数(12月初めの世論調査で87パーセント)が、これまで通りのやり方で戦闘を続けることを支持している。ガザ地区の人々の苦境には思いが及ばないようだし、厳しい国際世論に不安を感じる余裕すらないようだ。
パレスチナとの共存を説いてきた人々も、言葉を失った。『わがパレスチナ隣人への手紙』という本を書いたハレビ氏は、イスラエル人とアラブ人が力を合わせて築く未来を思い描いてきたのだが、10月7日以後、未来を想像することが出来なくなったと言う。ユダヤ教の信仰を持つものとして、いつもパレスチナ人のためにも祈ってきたハレビ氏、いまは、義務的に祈りを唱えるだけで、感情移入は出来なくなったと嘆く。

言葉を失わせるスペクタクル・テロの始まりが2001年であり、病院爆撃もやはり20年前からさかんに行われるようになった。人類はこのころ人間性の根幹部分を損傷したに違いない。私たちは、たがの外れた時代の戦争を目撃しているのだ。

(2024/01/15)