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三つ目の日記(2023年11月)|言水ヘリオ

三つ目の日記(2023年11月)

Text by 言水ヘリオ(Kotomiz Helio) : Guest

 

ささやかな提案と約束。先入観の自覚と行動。現地へ赴くこと。空席のめだつ乗りもの。50mmのレンズ。フレーバーティー。

 

2023年11月2日(木)
電車の3人掛けのシートに座る。左隣の女性がピンク系のバラの花束を胸のところで左手ににぎりしめている。奇異を感じる。ラッピングのない裸の状態で、花を上にして持っているからだ。定かではないが、なんらかの行為ではないかと考える。尋ねてみようか……。話しかけることはできず、電車を降りる。

 

11月18日(土)
約3時間かけて静岡県の沼津駅へ。まず食事する。居酒屋のような店。店内は閑散としていて、店員がそこにいるのにタッチパネルで注文する仕組みになっている。食べ終えて、目的地の方向へ歩く。公園があり、デモのための集会が行われている。通り過ぎると、別の団体の人から「沼津に城があったのを知っていますか」と訊かれ、唐突な質問に驚く。橋を渡る。下に流れているのは狩野川。強い風が吹きつけてくる。向こう岸に着くと、鳩が落ち葉のすきまから地面の土をつついている。
14時前、目的地に着く。かつては印刷工場だった建物。ここで展示が行われている。見はじめてすぐ、ここはギャラリーの空間とはぜんぜん違うのだ、ということを思う。それでも、白い垂直な壁がしつらえられているのはどうしてだろう、と考える。作品と自分との磁力の釣り合いのようなものを求めて移動を重ねる。釣り合う位置というものは得られず、作品から若干離れた場所でゆらゆらと浮かぶ。作品の置かれていない、印刷工場由来の部分に目をやる。天井の板がところどころ剝がれている。
2階へのぼる。展示がなされているのは、ふたつの部屋と、ひとつの広大な空間。やがて、大きな空間の西向きの窓ガラスから陽が入ってきて、閉ざされていながら開放を志向する蕾のように作品が様相を変えるのを目の当たりにした。
会場で偶然会ったしりあいとともに帰りの電車に乗る。途中、海が見える。窓の外がだんだんと暗くなっていく。

 

 

游 位置のエクササイズ-Ⅱ 大村雄一郎×長橋秀樹×向井三郎
DHARMA沼津
2023年11月3日、4日、5日、11日、12日、18日、19日、23日、25日、26日
https://www.facebook.com/Numazu.EN

 

11月22日(水)
京橋のギャルリー東京ユマニテbisで「上田高弘展」を見る。作品への関心がことばにならない。よく見ようと試みる。見たはずのものごとがこぼれていく。受け取る器を持たないからだろうか。そんな具合に対面する。
昭和通りを歩いて、銀座七丁目と八丁目の間の道を左折。浜離宮朝日ホールへ向かう。「ヤメン・サーディ ヴァイオリン・リサイタル」。最初のヴァイオリンの音にからだが反応する。だがじょじょに慣れてしまったのか、なにかの訪れを待つような時間ののち、休憩になった。
休憩を経て最後の曲。演奏の印象は前半と変わりなかったのだが、聞いている途中で、感情とは関係のない涙がひとすじ流れた。
演目の曲が終わり、アンコール。これまでとはぜんぜん違う演奏のように感じられる。もう一曲アンコール。短い黙想のように終わる。

 

11月24日(金)
なにが起こっていたのだろう。絵があった。自分はそこにいた。なにをしていたのだろう。からだは静止を続けたのち、数センチ、あるいは数歩移動した。見ているのだろうか。見えているのだろうか。絵は、語られることを求めているだろうか。ただ、眼差しを求めているだろうか。大きなキャンバスの油彩画。紙に描かれ額装された作品。いつまでもここにいればよかった。だが唐突に会場をあとにしてしまったのはどうしてだったのだろう。目前にした瞬間あらわれた「絵」が、いまもこだましている。新江古田のノハコで「exhibition 不二について 髙橋圀夫|Kunio TAKAHASHI─偶景─」を見て。

 

11月27日(月)
10時58分、福島県の郡山駅に着く。駅からバスに15分ほど乗り「希望ヶ丘入口」で降りる。トトノエルgallery cafeへ。「うつくしいくにのはなしⅢ 理想郷(ユートピア) 中根秀夫/写真」を見る。10月に来たときは前期会期で、写真と映像の展示だったが、後期は写真のみが9点。福島県双葉郡楢葉町の海岸風景、福島県双葉郡富岡町の常磐線夜ノ森駅前の「ゲームセンター理想郷」、夜ノ森の桜街道、作者のすまいのベランダに咲く花など。もしかしたらいまはもうなく、あらたなものにかわられているかもしれない風景。静止しているように見えても刻々と時は流れていく。中根は2013年から浜通りに通い、撮影した風景の写真を、東京などで展示してきた。今回は、福島県内の、木造復興住宅モデルとして建てられた建物の、ギャラリーカフェの壁面に作品が並んでいる。訪れた人が、喫茶しギャラリーの人とことばを交わし、帰っていく。コーヒーを飲みながら、風景を眺めるときのように、作品のある空間を眺める。大きなガラス窓とエントランスから、まぶしい陽が差し込んでくる。水の入ったコップが光を集めてテーブルの上に映し出している。
高速バスに乗り仙台へ移動。
仙台に来るといつも行く古書店で、J・L・ボルヘス『詩という仕事について』、石牟礼道子『苦海浄土 わが水俣病』を購入。夜、しりあいと食事。めずらしく地震のときの話をしなかった。

 

 

うつくしいくにのはなしⅢ 理想郷(ユートピア) 中根秀夫/写真
トトノエルgallery cafe
2023年11月4日〜11月29日(後期展示)
https://side-b.hideonakane.com/side-b/7191-2/
https://hideonakane.com/works/2023TBC3.html

 

11月28日(火)
10時30分、せんだいメディアテーク着。「自治とバケツと、さいかちの実 ─エピソードでたぐる追廻住宅─」の展示を見る。1階のカフェで食事して、午後は別の階の「細倉を記録する寺崎英子の遺したフィルム展」。宮城県北西部の栗原市にあった細倉鉱山。そこに暮らしていた寺崎英子は、閉山が発表されたのをきっかけに、カメラを手にして町で写真を撮り始める。人びと。その多くは、撮られることに構えずうつっている。そのほかに、風景、犬や猫、植物。定点での風景の変化と人の往来。臨場感のある、家屋解体最中の様子。あるいは、閉山後の、かつてなにかがあったことをうつすような写真、など。これらは、プリントはなされずに、現像したネガフィルムとして残された。撮影した本人も、小さな、ネガの状態のフィルムしか見ていないということになる。それでも、撮影ノートのメモ書きには、写真の出来の良し悪しを判断していると思われる記述がみられる。
展示されているのは、託された膨大なフィルムを「寺崎英子写真集刊行委員会」の面々がスキャンし、出力したもの。2023年3月には、写真集『細倉を記録する寺崎英子の遺したフィルム』が刊行されている。
「委員会」のメンバーと思われる方から話をうかがい、東京から来ていることを伝えたのをきっかけにその話が世間話になり、写真を撮ることも忘れて展示会場を出る。
仙台駅近くの、東京方面へのバス乗り場まで歩く。ごく微細な雪が舞ってきて、頬にあたる。

 

 

細倉を記録する寺崎英子の遺したフィルム展
せんだいメディアテーク7階ラウンジ、スタジオa
2023年10月31日〜2024年1月22日
https://www.smt.jp/projects/hosokura/2023/08/content.html
●資料提供:せんだいメディアテーク

 

11月29日(水)
エリック・ロメールの『冬物語』を見ていたら、台詞の日本語訳のなかにしっくりすることばがあったので、この日記内に使った語句をそれに換える。

(2023/12/15)

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言水ヘリオ(Kotomiz Helio)
1964年東京都生まれ。1998年から2007年まで、展覧会情報誌『etc.』を発行。1999年から2002年まで、音楽批評紙『ブリーズ』のレイアウトを担当。現在は本をつくる作業の一過程である組版の仕事を主に、本づくりに携わりながら、『etc.』のその後の展開を模索中。