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パリ・東京雑感|イスラエルとパレスチナ 死をもたらす心の断絶|松浦茂長

イスラエルとパレスチナ 死をもたらす心の断絶
Between Israelis and Palestinians, a Dangerous Psychological Abyss Grows

Text by松浦茂長(Shigenaga Matsuura)

『ニューヨーク・タイムズ』のコラムニスト、ニコラス・クリストフは、イスラエルがガザを猛攻撃している最中に、ヨルダン川西岸の難民キャンプで、学生時代に青春の夢を語り合った二人のパレスチナ人に、41年ぶりに再会した。
法学部の学生だったクリストフは、リュックサックを背負って中東を旅行中、ヨルダン川西岸のバスの中で二人のパレスチナ人学生と知り合い、彼らの家に呼んでもらえることになった。二人はベツレヘム大学でアラブ文化・文学を専攻。クリストフもカイロでアラブ研究をするつもりだったから、どんな勉強をしたいか、熱っぽく語り合ったのだった。
クリストフは彼ら二人の住所氏名をノートに書き留めたが、41年間一度も連絡していなかった。まだ生きているだろうか? 外国で暮らしているのでは? もしまだパレスチナに住んでいるのなら彼らを探し出し、この暗いときをどう感じているか、二人に聞いてみようと思いついた。

壁に囲まれたパレスチナ

驚いたことに二人とも昔と同じ難民キャンプにいたので、簡単に見つかった。パレスチナ難民は移動性が低いのだ。クリストフは、自分が世界中を旅し、観察し、書いて来た41年間、難民キャンプから抜け出せなかった彼らの境遇を見て、パレスチナ人のフラストレーションを痛いほどに感じる。彼らは、1982年に持っていた自由さえあらかた失ったのだ。
当時、パレスチナ人はイスラエルの中を移動できたから、イスラエルで就職し、週末にはイスラエルの海岸でくつろぐことが出来た。ところが、時と共に、チェックポイントと通行証による締め付けがひどくなり、ヨルダン川西岸内でさえ自由に移動できなくなった。10月7日のハマスの攻撃後、状況は一挙にきびしくなり、マームードさん(60才)は、医者に診てもらうため、ヨルダン川西岸内のヘブロンに行くことも出来ないという。
クリストフが41年前、マームードさんとサレーさん(63才)に会ったとき、二人はキャリアについて高い目標を持ち、明るい将来を信じているように見えた。サレーさんはエジプトの大学で博士号を取る、マームードさんはスペインで学位を取る計画だったが、留学できるような状況ではなくなってしまった。
希望を奪われ、一ヶ所に縛り付けられてきた二人の人生。自由と尊厳を奪われたパレスチナ人の本音は?
マームードさんは「私たちは誰も憎んではいない。ユダヤ人、キリスト教徒、仏教徒、私たちはそのどれも憎んでいません。ただ自分の人生を生きる自由が欲しいだけです」と言う。

サレーさんは「私たちはトラブルメーカーではありません。ただ、世界の他の人たちのように、自由に生きたいだけ。ここの人たちは息が詰まって死にそうなのです。だから通りに出て、自分たちの気持ちを表わさないではいられないのです。」と言う。

1993年のオスロ合意が失敗して以来、イスラエル人とパレスチナ人の心は深い溝によって隔てられてしまった。日常の交流は物理的にはばまれ、お互いの顔が見えなくなった。イスラエル人の目に、パレスチナ人はそれぞれの人生を生きる個人として見えないし、パレスチナ人にとって、イスラエル人は、血の通わない抽象でしかない。

モシェ・ダヤン元参謀総長

しかしさかのぼって、イスラエル建国から8年目、イスラエル軍参謀総長モシェ・ダヤンが、パレスチナ人に殺されたイスラエル兵士の弔辞を述べたとき、ダヤンにとってパレスチナ人は抽象ではなかった。

きょう彼(イスラエル兵士)を殺した者に非難を浴びせるのをやめよう。彼らが我々を激しく憎むことに対し、何が言えるか? 今日まで8年間、彼らはガザの難民キャンプに座り、彼らの目の前で、先祖代々自分たちが暮らした土地、自分たちの村が、私たちイスラエル人のすみかに作り替えられるのを、見つめてきたのだから。

パレスチナ人がイスラエル人を憎悪し、闘いを挑むのには正当な根拠があると、敵を弁護したあと、ダヤンは、だからこそイスラエルの国家建設には、強い武力の支えが不可欠だと説く。

鋼鉄のヘルメットと大砲なしに、私たちは木を植え、家を建てることができない。

ダヤンはもちろんイスラエル建国の正当性を確信している。イスラエルの正当性とパレスチナの正当性、国際的に認められた二つの正当性の間の悲劇的な戦いなのだ。

いまのイスラエルでは、ダヤンの発言のように率直な「パレスチナ人の憎悪と復讐の根拠」を耳にすることはまれだ。敵の正当性を語るどころか、イスラエルのガラント国防相は、ハマスを「人間の顔をしたけだもの」と呼び、ハマスのハニヤ政治局長はイスラエルを「植民地主義勢力に支持されたネオ・ナチ」と呼び、イスラエルのネタニヤフ首相はハマスを「新たなナチ」と呼んだ。
敵はもはや抽象的イメージでしかなくなったから、ハマスの兵士は、殺したイスラエル人を単なる数としか感じない。10月9日の戦闘に参加したマームードという男は10人のキブツ住民を殺したところで、彼が殺したばかりのユダヤ人女性の携帯をつかみ、両親に電話し、「俺が自分の手で何人殺したか見てくれ! 母さんの息子がユダヤ人を殺したんだ。母さん、息子は英雄なんだよ」と報告し、親を歓喜させた。

エルサレム・ヘブライ大学のユヴァル・シャニー教授は、「イスラエル人とパレスチナ人が触れ合う機会があった間は、お互い何らかの共感が生まれました。接触が断たれ、相手の人間性に触れることがなくなると、パレスチナにとって、問題の理想的解決は<イスラエル消滅>ということになってしまいましたし、イスラエル側は、爆撃でも何でもあらゆる手段を使ってガザが消えてなくなることを願うようになりました。」と言う。分断の結果、「敵を殲滅できる」という幻想が、はびこってしまったのである。
敵殲滅の陰鬱な空気の中で、勢力を増したのが、イスラム原理主義ハマスと、イスラエルのユダヤ教原理主義者だ。原理主義者は、聖典を都合良く解釈して杓子定規に実行する人たちだから、双方とも、地中海からヨルダン川までの土地は神から約束された自分たちの領土とみなし、「神さまから頂いた土地なのだから」と、命がけでよそ者排除の闘いに挑む。それが彼らの<信仰>なのだ。
もっとも、『旧約聖書』で神がイスラエルに領土を約束する場面は数カ所あり、広いバージョンから狭いバージョンまで様々だが、一番広いものだと今のイラクの半分を呑み込む途方もない契約である。

主はアブラハムと契約を結んで言われた。「あなたの子孫にこの地を与える。エジプトの川からあの大河ユーフラテスに至るまでの(中略)地を与える」(『創世記』15章18-21)

『コーラン』は、聖地が神からイスラエルに与えられたことを認めた上で、イスラエル人が罪を犯したため神はその土地を取り上げ、アラブ人に与えたと語る。なぜなら

なんじら(イスラム)は、かつて人類に手本として与えられた最良の共同体である。(『コーラン』3-110)

イスラム学者メイア・バー・アッシャーによると、ハマスの対イスラエル闘争には、政治的側面と宗教的側面があるが、本質的なのは宗教闘争である。原理主義イスラムの教義によれば、イスラムの他に聖地を支配する資格を持つ者はいない。だから、イスラエル人を聖地から殲滅することこそ、信仰の証しなのである。

しかし、10月7日以来の狂気の殺戮は何をもたらすだろう?「敵殲滅」は、空虚な幻想にすぎなかった、もう殺し合いはうんざりだと、大多数が思うのではないか? そこから、殺し合うのをやめ、聖地にどうやって共存するか、妥協点をさぐる道が開ける可能性がゼロとは言えない。

『ニューヨーク・タイムズ』に、ガザで生まれ育った青年カマル・アルマシュハラウィさんの投稿が載っていた。カマルさんは、15歳の時「平和の種」という組織のサマー・キャンプに参加するため、生まれて初めてガザを出てアメリカに渡った。ガザ封鎖から7年目の2015年のことで、海外旅行できたのは例外中の例外の幸運だ。
サマー・キャンプで、カマルさんはイスラエル人と一緒に勉強できたし、「ガザの人々がどんな風に生きているかを世界の人に知ってもらわなくては」、「ガザの平和のためにもっと勉強しなくては」、と気付く。ガザの大学で紛争解決について学んだ後、北アイルランドに行って、カトリックとプロテスタントの長い血みどろの闘いをどうやって終らせたか、実際に平和のために働いた人々から聞いてまわった。
カマルさんが選んだ仕事は、太陽光発電だ。ガザは電力をイスラエルに依存しているので、戦争前からしょっちゅう停電した。自前のエネルギー建設は、ハマス政府が真っ先にやらなければならない仕事のはずなのに、かれらは住民の福祉より戦争準備のトンネル掘りにかまけていたのだろう。カマルさんは、電力の仕事のために、サウジアラビアに移ったと書いている。
戦争が始まるとカマルさんの家族85人!は、少しでも安全な場所を求めて彷徨する。水も食料も滅多に手に入らず、子供達は皆病気になる。でも、幸運にも、11月末、カマルさんと家族の一部はエジプトに脱出できた。友人、親戚が恐ろしい思いをしているのに、ガザを出て行くのは苦しかった。彼はこう書いている。

私は共存が唯一の解決だと信じます。もううんざりしました。ガザに住む200万人も紛争にはうんざりしています。壁の向こうで暮らす人々と同じように、私たちガザ住民も平和に生きる必要があるのです。それは可能です。もっと努力しさえすれば実現するのです。

イスラエルの人たちには、壁で隔てられたパレスチナ人が見えない。だからイスラエルが悔い改めて、気の毒なパレスチナ人に人間としての尊厳を回復してやろうと思いつくなどと期待してはいけない。救いは苦しんでいる人たち自身からしか来ないのだ。
南アフリカのアパルトヘイトとの闘いが成功したのは、何を変えれば良いかを、黒人自身が正確につかんだからである。

この「システム(アパルトヘイト)」の下で毎日苦しんでいる人々は、決して騙されない。抑圧される時、自分が他人の犯罪の被害を被る時、悪そのものが正体をあらわし、あらゆる方面から攻撃を仕掛けてくる時、その正体を見極めることができるのだ。悪の正体とその残酷さ、非人間性をまだ一度も体験したことのない人は、まだ騙されるかも知れないが、こんにち(1980年代)の南アの黒人居住区では、人はそれを見てきたし感じてきたので、もう絶対に騙されない。(アルバート・ノーラン『南アフリカにいます神』)

カマルさんは、これまでの人生の苦しみによって、悪の正体を正確に見極めることができた。その結果として、パレスチナ人の闘いは、「イスラエルとパレスチナは共に平和に生きることが出来ると信じること。まず学校の生徒たちの意識を変え、共存のための活動を進めること。こうした運動が北アイルランドに平和をもたらしたのです」と、確信を持って書くことができた。危険な闘いだ。原理主義者に殺されるか、イスラエルに妨害されるか、平和の闘士の多くは命を失う。
かつて、欧米がアパルトヘイトの南アを経済制裁したように、私たちはパレスチナ人の平和への闘いが、こんどこそつぶされないよう、効果的な支援を考える必要があるだろう。

(2023/12/15)