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ヨハン・ヘルマン・シャイン 『イスラエルの泉』全曲|大河内文恵

~出版400年メモリアルイヤーに聴く~ヨハン・ヘルマン・シャイン 『イスラエルの泉』全曲
Johann Hermann Schein 《Israels Brünnlein》

2023年11月10日 五反田文化センター 音楽ホール
2023/11/10 Gotanda-Bunka Center Music Hall
Reviewed by 大河内文恵 (Fumie Okouchi)
Photos by 伊藤厚光 Atsuko Ito(Studio Lasp)

<出演>        →foreign language
ソプラノ:中江早希
ソプラノ:鈴木美登里
アルト:布施奈緒子
テノール:中嶋克彦
テノール:板谷俊祐
バス:渡辺祐介
オルガン:新妻由加
ヴィオローネ:布施砂丘彦
バロックハープ:伊藤美恵
ドゥルツィアン:鈴木禎

 

バロックの3Sと言われる3人の作曲家(シュッツ・シャイン・シャイト)のなかでも、シャインはとりわけマイナーな存在である。本日の演奏会は「初期ドイツ・バロック音楽のネガティブなイメージを払拭するところから始めたい」とプログラムノート(三ヶ尻正による)にもあるように、シャインのイメージを一新させる結果となった。

ザクセン地方で生まれたシャインは、父の死によって7歳でドレスデンに移り、聖十字架教会の合唱団で才能を見出され音楽教育を受ける。最終的にはライプツィヒの聖トーマス教会のトーマスカントルとなった。J.S.バッハの約100年前、5代前の前任者である。イタリアへ留学したシュッツがドイツへとイタリアの音楽様式を持ち込んだことがよく知られている一方、シャインはイタリアへ行ったことはなかったものの、当時のイタリアの様式を知悉しており、それは《イスラエルの泉》にもよくあらわれている。

「イスラエルの」とあるのは、もちろん現在の国家としてのイスラエルを指すわけではない(イスラエルの建国は1948年)。楽譜上の編成はソプラノ2名、アルト、テノール、バスの5名に通奏低音のみ。器楽はあくまでも伴奏であって、器楽だけの曲はもちろん、前奏や間奏・後奏などはない。本日の演奏でテノールを2名にしているのは、6番のように上3声と下3声とに分かれて掛け合いになる際に、アルトがずっと歌い続けるよりも、3声ずつに分けたほうが良いと判断したためと思われる。

元の楽譜に楽器の指定はない。オルガン、ヴィオローネ、ハープ、ドゥルツィアンという本日の編成は、この作品の宗教上の意味合い(シャイン自身の作詞である19番を除くすべてが聖書から取られた詩句を歌詞としている)をあらわすオルガンと、ニュアンスを加味するハープ、低音の補強としてのヴィオローネとドゥルツィアンと絶妙なバランスを保っていた。

前述したように、シャインの作品にはドイツ・バロックの伝統とイタリアから取り入れられた最新の様式とが混在している。それは第1曲の「おお主よ」からすでにあらわれている。重厚な対位法的なテクスチャーで始まるが、中間部ではイタリアのカンタータを思わせる軽妙な下行音型のやりとりが展開され、再びポリフォニーに戻ったときには冒頭の重厚さは軽減され、ドイツ的な手法とイタリアのカンタービレな旋律が見事に組み合わされている。この1曲目だけでシャインがどれだけの技量と才能を持ち合わせていたかが演奏で示された。

2番は縦に揃った響きが印象的だが、実は全声部は揃っておらず、少しずつずらされていて、ポリフォニーとホモフォニーのミックスされた状況。これを指揮者なしに阿吽の呼吸で合わせていくのは至難の業だと思うが、こともなげに進んでいく。3番は典型的なフーガが展開される。途中weinen(泣く)という歌詞のところで不思議な響きがする。これが音画かと納得する。最後の部分は3拍子になる。このような調子でどの曲も短いながら凝っていて、一瞬たりとも厭きる暇がない。

7番では女声の時にはハープが、男声の時にはヴィオローネとドゥルツィアンが入り、それぞれの部分の性格づけが強められている。8番はポリフォニックにうねうねと進んでいき、後半は3拍子になって3声ずつ進むなか、一瞬全声部が揃う。その瞬間の
迫力が「ここ気づいてね」というシャインの配慮のように感じられた。

10番はほぼ全声部が歌っていてホモフォニーのように聞こえるのだが、じつは1声1声が少しずつずらされていて、ポリフォニックな構造になっている。そのため、音のシャワーを浴びているようで、外からではなく内側から揺さぶられているような感覚になった。この曲ではund verschied(息絶えた)の部分をソロにしたり、und weinet(泣き)の部分の音の揺れが慟哭を連想させるなど、歌詞を音楽として描くシャインの意図が的確に表現されていた。

聴いているうちに、1つとして同じ形で書かれたものがないことに気づく。それはテクストがさまざまな箇所から取られているからというだけでなく、シャインが自分の技量の全てをつぎ込んだからなのではないだろうか。プログラムノートにおいて三ヶ尻がこの作品の作曲の目的の1つの可能性として転職の宣伝を挙げているのは理にかなっていると思われる。

同時に、バロック時代以前のドイツは音楽の後進国でイタリアやフランスの様式を取り入れていたという通説を疑ってみる必要があるのではないかと思えてきた。これだけの作品を書ける作曲家がいて、本当に後進国なのか?と。この企画はドゥルツィアンの鈴木禎が中心になったOld instruments Research Projectの一環だという。おそらく本日の演奏は氷山の一角で、見過ごされてきたけれど演奏されるべき作品はまだまだ山のようにあるのだろう。次の企画が楽しみである。

(2023/12/15)

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<performers>
Soprano: Saki NAKAE
Soprano: Midori SUZUKI
Alto: Naoko FUSE
Tenor: Katsuhiko NAKASHIMA
Tenor: Shunsuke ITAYA
Bass: Yusuke WATANABE
Organ: Yuka NIITSUMA
Violone: Sakuhiko FUSE
Baroque Harp: Mie ITO
Dulzian: Tadashi SUZUKI