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日本フィルハーモニー交響楽団 第248回 芸劇シリーズ|藤原聡

日本フィルハーモニー交響楽団 第248回 芸劇シリーズ

2023年11月26日 東京芸術劇場コンサートホール
2023/11/26 Tokyo Metropolitan Theatre Concert Hall
Reviewed by 藤原聡 (Satoshi Fujiwara)

<プログラム>        →foreign language
小山清茂:管弦楽のための木挽歌
プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第3番 ハ長調 op.26
(ソリストアンコール)
坂本龍一:Aqua
チャイコフスキー:交響曲第6番 『悲愴』ロ短調 op.74

指揮:カーチュン・ウォン
ピアノ:福間洸太朗
コンサートマスター:扇谷泰朋
ソロ・チェロ:門脇大樹

 

この9月に日本フィルの首席指揮者に就任したカーチュン・ウォン。彼がこれから同オケと注力していくと明言するレパートリーとして日本人作曲家(や他のアジア圏)の作品がある。その筋で言えば今までにも伊福部昭や武満徹を取り上げたり、あるいは首席指揮者就任に際しての記者懇談会では細川俊夫や諸井三郎なども研究する、などの発言も。今回の芸劇シリーズにおいても最初に小山清茂の管弦楽のための木挽歌が演奏されたが、これは作品の真価に改めて気付かせるような名演奏だったと言える。親しみ易く分かり易いメロディと明快な構成を持つこの曲は、演奏次第では通俗的な側面が前面に出ることもある中で、カーチュンはこれを極めて理知的かつ緻密に演奏することにより、日本的情緒云々とはまた別の、こう言っては変かも知れぬが「純音楽的」な完成度の高さをレアリゼしたのだ。指揮者の国籍とその音楽を結び付けるのは安易ではあるが、とは言えこれは日本人の指揮者からは聴けない類いの演奏だったと思う。演奏者と作品の「距離感」が新たな音楽的感興をもたらしたと換言してもよい。

第3楽章の主題に長唄の「越後獅子」からヒントを得た、と巷間言われている(だが信憑性は?)プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番を次の演奏曲に選んだのは、何も1曲目と共通する「日本」を念頭に置いてのものでもなかろうが(演奏者の意図とは別に聴き手としてあれこれ想像を巡らせるのもまた楽しいものだ)、それはともかくソロを務めた福間洸太朗共々、実に洗練の極みとも言える演奏が展開された。福間のタッチはベタ付かず非常に明解で粒立ちも抜群であり、プロコフィエフの入り組んだテクスチュアを非常な透明感を以て音化していく(但し、東京芸術劇場のアコースティックのためか総奏ではオケにマスキングされる箇所もありその点は残念)。プリミティヴな迫力という点では洗練され過ぎていて角がない、とも捉えられるにせよ、演奏の1つの方向性としては相当に突き詰められて納得できる。カーチュンの指揮も同傾向だが、例えば第3楽章中間部で聴かれたような木管楽器の音彩の感覚的な冴えなどは、土俗的な迫力に傾いた演奏からは聴かれぬものであり、ここでもこの指揮者の鋭い感覚が浮き彫りになる。

プロコフィエフ終了後には福間洸太朗がソロアンコール、意外にも坂本龍一の『Aqua』。「…坂本龍一氏のAQUAにプロコフィエフのモチーフが、、と言いたいところですが、音楽的な繋がりはなく、日本で初披露となるこの曲を、芸劇のこの空間で響かせたかった、そして今も紛争が止まない地域に早く平穏な日々が訪れますようにという想いを込めて奏しました。」(御本人のSNSよりそのまま引用)。極めてリリカルかつ祈りに満ちた美しい曲で、アンコールとしての効果は絶大だったと思う(但し曲を知らない人が聴いても「クラシック」ではないと分かる作品であり、その辺りで頑迷なクラシックファンがどう思ったのかは知らぬが)。

後半の『悲愴』は圧巻の名演奏であった。まず弦楽器の少しくぐもった音色の作り方。特にこの曲でキモとなるヴィオラ以下の低弦の絡み合いにおけるバランス作りの妙味には冒頭から耳を奪われよう。あるいは第1楽章の第2主題における深い呼吸と巧みなフレージング。非常に情感がありながらも曲の「形」を常に聴き手に意識させる知的さ。これはまさにチャイコフスキーその人が求めていたことなのではないか。であるからこそ提示部と明確な対比を意識したであろう展開部での爆発と急速なテンポは いやが上にも効果を発揮するが、しかしいっときも音が飽和したり汚くならない辺りはカーチュンの耳の良さと抜群のバトンテクニックの賜物だろう。展開部の頂点に向けてはスコアに指示のないリタルダンドを交えてエモーショナルな演出。それまでの構成に必然性があるからその演出も作為的なものを感じさせずに音楽内容の表出に貢献する。

続く第2楽章はいささか速めのテンポを取る主部に対し中間部での陰鬱な表情と細やかなフレージングへの配慮が心憎く、スケルツォでは主題が2度目に総奏で戻って来る際にほんの僅かな減速をかけたのが意外(昔の指揮者でここで大見得を切るようにオーバーに減速させる人もいましたね)。カーチュン、予測が付かぬ。

終楽章は第1楽章と並ぶ良い演奏、濃厚だがやり過ぎない歌と要所で効果を発揮する長めの休止、絶妙の間合い。ラストに向けてのカタストロフの抉りを効かせた深みある響きは全く忘れ難い。このような演奏をされては聴衆もすぐに拍手をする気になどなるまい、カーチュンがタクトを下げるまで十分過ぎるほどの静寂が確保される。

筆者は10月に行われたカーチュン・ウォンの「日本フィル首席指揮者就任披露演奏会」におけるマーラーの交響曲第3番で初めてカーチュンの実演に接しその実力に(今さらながら)感嘆したのだが、この芸劇シリーズでも端倪すべからざる力量を見せつけた。今後も可能な限りカーチュンのコンサートを追うだろう。

(2023/12/15)

〈Program)
KOYAMA Kiyoshige:Kobikiuta
Sergei PROKOFIEV:Concerto for Piano and Orchestra No.3 in C-major,op.26
(Soloist encore)
SAKAMOTO Ryuichi:Aqua
Pyotr TCHAIKOVSKY:Symphony No.6 “Pathétique” in B-minor,Op.74

〈Player〉
Japan Philharmonic Orchestra
Conductor:Kahchun WONG
Concertmaster:OGITANI Yasutomo,JPO Solo Concertmaster
Solo Violoncello:KADOWAKI Hiroki,JPO Solo Violoncello