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Back Stage|behind the scenes―フランチェスコ・トリスターノ|大塚真実

behind the scenes―フランチェスコ・トリスターノ ピアノ・リサイタル@三鷹市芸術文化センター風のホール

Text by 大塚真実 (Mami Otsuka) :Guest 

初めまして。公益財団法人三鷹市スポーツと文化財団の大塚真実と申します。当財団はJR三鷹駅から約1㎞南方に位置する三鷹市芸術文化センターを拠点にしており、私は同センター及び三鷹市公会堂での主催音楽事業の一端を担っています。三鷹市芸術文化センターはコンサートホール(風のホール)と多目的ホール(星のホール)、展示創作室、四つの音楽練習室を備えた複合文化施設。お蔭様で2025年に開館30周年を迎えます。
​​風のホールは、残響時間1.8秒(500Hz満席時)のコンサートホールです。初めてホールの響きを体感した日のことを今も鮮明に覚えています。舞台上のピアノの音を聴いた瞬間、脳裏に浮かんだのが“The Most Beautiful Sound Next to Silence”(静寂に次ぐ美しいサウンド)―静謐で透明感のある響き、美しい余韻を特徴とするECMレコードの創始者、マンフレート・アイヒャーが掲げたレーベル・コンセプトです。ECMからはジャンルの垣根を越えたアルバムも数多くリリースされており、洗練されたデザインのジャケットも魅力的。ECMのCDやvinylを通じて親しむようになった音楽が、少なからず今の仕事に影響を与えています。
就職して暫くすると、企画立案に関わるようになりました。公立の音楽ホールとしての役割や風のホールの音響特性―音の空気感、響き、余韻、音場空間―を踏まえたうえで、音楽の手触り・質感・構造を大切にしたいという思いを共有できるアーティストに出演を依頼し、リスナーとの出会いの場を増やせたらと思うように。おのずと頭に浮かんだのは、アーティストやレパートリーが音楽、地理、文化その他あらゆるボーダーを越境するECM(のNew Series)から想起されるイメージでした。東京都多摩地域東部に位置し、その四方を武蔵野市、小金井市、調布市、世田谷区、杉並区と隣接する三鷹市の地理的・文化的なイメージとリンクするかな?と思ったのです。少々強引かもしれませんが・・・。

■フランチェスコ・トリスターノとの​​出会い

仕事柄クラシック音楽のコンサートに足繁く通うようになるにつれて、学生の頃から親しんでいたクラブ・ミュージックからはすっかり遠ざかってしまったのでは?とぼんやりと考えていたある日、アンテナに引っかかったのがフランチェスコ・トリスターノ(当時はフランチェスコ・トリスターノ・シュリメ)でした。
彼の音楽を知るきっかけとなったのはデトロイト・テクノ創始者の一人、デリック・メイの「Strings of Life」を1台のピアノで演奏した映像(YouTube)やデトロイト・テクノの第2世代、カール・クレイグと共に手掛けたアルバム≪Idiosynkrasia≫(2010年)。エレクトーンからピアノを経て小学生でシンセサイザーに興味を持った音楽歴の自分にとっては、彼のようなアーティストの出現が「新時代の到来」を予感させたの​​です。
・ジュリアード音楽院の修士課程を修了
・2004年オルレアン(フランス)20世紀音楽国際ピアノコンクールで優勝
・2001年にJ.S.バッハの『ゴルトベルク変奏曲』でCDデビュー
・ルクセンブルク出身で現在はスペイン・バルセロナを拠点とする
・デリック・メイの『Strings of Life』をピアノで演奏
・2008年カール・クレイグがフランソワ=グザヴィエ・ロト指揮レ・シクエル・オーケストラとともに手がけた“ヴァーサス・プロジェクト”に参加
古典的なトレーニングを受けたクラシック音楽のピアニストがジャズやポップスのアルバムを出している例はあるとはいえ、ここまで徹底的にクラシックとテクノの架け橋となるような音楽活動を​軽やかにごく自然に行うアーティストがいること、当時まだ20代でありながらクラシック音楽のこれまでのピアニストにはない存在感を放っていることに驚きました。
生演奏に初めて接したのは2012年2月の「リユニオン ゴルトベルク変奏曲」(ピアノ:フランチェスコ・トリスターノ、演出・照明・ダンス:勅使川原三郎、ダンス:佐東利穂子)、初めてご挨拶をしたのは2013年12月、ルクセンブルク大公国大使公邸でのプライベート・コンサートでした。その時に幸運にも至近距離で演奏に接することができたのですが、その衝撃といったら!「一体どのように演奏したらピアノからこんな音が出るの?そもそもマイクもエフェクターもないのに」。
三鷹は2014年6月に初めてお迎えすることになっていました。8か国語に堪能なフランチェスコが(時折簡単な日本語を混ぜながら)フランス語と英語を自在にコードスイッチングしながら談笑する姿を見て二度驚いたのは言うまでもありません。さて、何語でご挨拶をすべきだろう? そういえば過去に読んだインタビュー記事に「母方の祖父母が南イタリアの出身」と書かれていたし。私自身が英語よりも自然なコミュニケーションが図れるイタリア語で話すことに。それが功を奏したかどうかはわかりませんが、現在に至るまでイタリア語で(現在は適宜日本語も混ぜたりして)会話をしています。
その日を境にして、主催公演にご登場いただく他のアーティスト同様にリリースされている音源を見つけては次々と耳を傾けるようになりました​(主催公演のラインナップを考えるうえで欠かせないプロセスです。)。ドイツ・グラモフォンからリリースされた「bachCage」(2011年)、​​「Long Walk」(2012年)、ポスト・クラシカルを代表するアーティストの一人、オーラヴル・アルナルズとのコラボレーションでも知られるピアニスト、アリス=紗良・オットとのデュオによる「Scandale」​(2014年)を聴き、Infine、Transmat、​Get Physicalなどテクノ・ミュージックのレーベルからリリースされたアルバムを遡って全て。音源や映像に続いて「これは!」と思う公演を見つけた時には​​可能な限り内外問わず出かけるようにしているのですが、フランチェスコ・トリスターノの場合はリサイタルの後、同日夜にクラブでのライヴセットを披露するということもあります。文字通り「体力勝負」となるわけです。以下は一例です。
Francesco Tristano presents p:anorig feat.Derrick May(2016年10月/東京)
Goldberg City Variations(2016年11月/スイス・ベルン)&クラブでのライヴセット
Carl Craig’s Versus Synthesizer Orchestra(2017年6月/スペイン・バルセロナ)
Piano Circle Songs UK Premiere (2017年9月/イギリス・ロンドン)
(M)eine Winterreise(2017年9月/ドイツ・フランクフルト)
Glenn Gould Gathering(2017年12月/東京)
Tokyo Stories レコーディング(2018年10月/東京・Sony Music Studios)
​Tokyo Stories German Premiere(2019年5月/ドイツ・ベルリン)
​​on early music(2023年1月/ルクセンブルク)
etc.

様々な現場を拝見する機会が増えるにつれ、宣材写真やMVのクールなイメージからは想像がつかない人懐こさ、滲み出る聡明さが相まった独特なキャラクターであることもわかってきました。アーティストがどういう生い立ちで、どういう社会を生きて、どういう価値観の中で思想を醸成していったのかを知ることは、その音楽を理解し、共感を得るために大切なプロセスの一つだと考えています。余談ではありますが、フランチェスコ・トリスターノとはたまたま好きな食べ物や好みの味付けが共通していたこともあり、コミュニケーションを図る中でもラーメンにエスプレッソ、パスタにオリーブオイル、唐辛子などの食材や料理談義に大いに助けられたような気がします。

(c)Junta Shirai

■2023年10月15日 フランチェスコ・トリスターノ、三鷹で4度目のリサイタル

フランチェスコ・トリスターノが当館でリサイタルを行うのは、コロナ禍を挟み実に6年ぶりとなりました。リサイタルのたびに搬入されるYAMAHAのコンサートグランドピアノ、CFXが風のホールの空間に馴染むように、両者をまるで交信させていくようにリハーサルを入念に行います。開場は13時15分。開演まで45分とたっぷり時間があるため、ご来場のお客様もゆったりとくつろいでいる様子が印象的です。開演時刻が近づくと、さて、今日のお客様はどんな感じかな?と​舞台袖の小窓からホールの中の様子を窺う。客席の照明が完全に落ち、ピアノが暗闇の中にあたたかな発光体のように浮かびあがる。まるで漆黒の宇宙に揺蕩う小さな宇宙船のようです。
“​Sei pronto?” “Daijoubu😊” “Va bene, allora…divertiamoci!”(「準備はいい?」「大丈夫。」「了解、楽しみましょう!」)私はホール上手袖のずしりと重いドアをゆっくりと開ける。

(c)Junta Shirai

(c)Junta Shirai

プログラム前半は、彼のトレードマークでもあるヨハン・ゼバスティアン・バッハ​の演奏から始まりました。今年立ち上げた自身のレーベル、intothefutureからのリリース第1弾に選んだ​バッハの「イギリス組曲」から第2番と第6番、間に自作曲「セルペンティーナ」(後述のアルバムに収録)を挟んだ構成。
舞台袖の小窓から時折舞台に視線を向けると、音がホールの空間全体に放たれる瞬間を楽しんでいる様子のトリスターノの姿、音楽にあわせて体を軽く揺り動かしているお客様の姿が。耳から伝わる音が心拍に響き、自然に踊りだしたくなるようなグルーヴィーなバッハとオリジナル曲。

(c)Junta Shirai

後半は「組曲~オン・アーリー・ミュージック」と名付けられたDJミックスさながらのプログラム。2022年1月にSONYからリリースした3枚目のアルバム「on early music」に収録した自作曲とルネサンスから初期バロックに活躍した作曲家兼鍵盤楽器奏者の作品をシームレスに繋げて演奏されます。クラシック音楽と等しくクラブ・ミュージックにも精通するフランチェスコのもう一つの魅力を存分に堪能できるスペシャルな時間の始まりです。
1曲目は、フレスコバルディの作品から引用されたベースラインを基に作曲された「第2チャッコーナ」。トリスターノが「最愛のコンポーザー」というフレスコバルディは、イタリアが生んだ初期バロックにおける鍵盤楽器のスーパー・スター。トリスターノはフレスコバルディとの対話を試みるという独自のコンセプトで、フレスコバルディのトッカータ第1集からの12曲と自身の即興演奏を組み合わせたアルバム「Frescobaldi Dialogues」を2007年にリリースしています。軽やかな足踏みが心地よく耳の中を泳ぐこの作品の終盤にダンパーペダルを踏みこむ。広がるように豊かなリ残響を維持したまま、その中から静謐なタッチでフレスコバルディのトッカータを立ち上らせる-まさにトリスターノ独自の音響世界に耳が喜ぶ瞬間といえましょう。トッカータ第2集の第4番、第9番、第8番は2016年の三鷹でのリサイタル「Ciacona」ではブクステフーデの「チャコーナ」BuxWV160とフレスコバルディの「ラ・フォリアに基づくパルティータ」の間に挟まれるようにプログラミングされていたので、その時の印象とまた違って聴こえてくるのも楽しい、と実感。
クラシック音楽の演奏において楽章と楽章、曲と曲の間を続けて演奏することをattaccaと言いますが、トリスターノのそれは必ずしもattaccaであるとは限らず、むしろクラブ・ミュージックのDJが曲と曲を繋げる手法―曲と曲が途切れないように二つのターンテーブルとミキサーを用いてミックスするDJの手法―をピアノで実践しているのです。これは必見&必聴ポイント​​!前述のようにダンパーペダルを使用するだけでなく、共通の音や和声を長く伸ばして継ぎ目なく次の曲に移行させることも。これらはクラブ・ミュージック好きには思わず唸ってしまう、興味深い瞬間です。次に来るのは何だろうと聴き手のときめきを加速させる瞬間でもあるのだから。
そして、フレスコバルディの第8番のトッカータを締め括るハーモニーが鳴り響く中で自作曲「リトルネッロ」のドの連打が始まる。スウェーリンクの「ファンタジア ニ調 SwWV259」に続いて、演奏されたのが闘病中の友人の快復を祈りながら書いた「RSのためのアリア」。リリカルで儚げ、消え入るような弱音で紡がれるメロディに改めて心打たれました。“RS”は今年3月に惜しまれつつこの世を去った​​坂本龍一さんでしょうか。最初の音が鳴るやいなや、2017年12月に坂本さんのキュレーションのもと開催されたGlenn​ ​ Gould Gathering(以下、GGG)を思い出しました。これは、カナダが生んだ孤高の音楽家、グレン・グールドの生誕85周年とカナダの建国150周年という記念すべき年に行われた企画展、コンサートから成る特別なイベントでした。そのコンサートの出演者の一人として選ばれた際、自身のTwitter(現X)で日本のファンに向けて日本語でメッセージを出したいと相談され、翻訳したことも。フランチェスコを介してGGGの打ち上げにお招きいただき、坂本龍一さんにご挨拶する機会が叶いました。満面の笑顔で迎えてくださった「教授」との出会いが最初で最後になってしまうなど、この時は全く考えてもみませんでした。全公演に出席したことをお話しすると目を丸くして驚いた坂本さん。(GGG及び同年の三鷹でも演奏された)ギボンズの4曲に続き、決然と華やかなメロディとエネルギッシュに超高速で駆け抜けていく爽快感が魅力の自作曲「トッカータ」で客席のヴォルテージは頂点に。
アンコール・ピースは、ピアノの弦に触れたり、ピアノのフレームをパーカッシヴに叩いたりと様々な表現(内部奏法)を用いる自作曲の「Hello」。思わずヘドバンしてしまいそうなロックでファンキーな演奏に、客席から歓声も上がりました。
サイン会を終えて楽屋に戻ると、フランチェスコから楽譜が手渡されました。なんとそれは前半で演奏された「セルペンティーナ」の手書きの譜面(コピー)。「次に会う時までに練習しておいてね」とのこと。あの曲はとてもインテンポで弾けないでしょう? しかしミッション、しかと受け取りました。

■おしまいに

(c)Junta Shirai

(c)Junta Shirai

音楽を聴くこと・演奏することによって​、壮大な物語が潜む歴史書を読み解くのと等しい、またはそれよりも一瞬にして時空を飛び越え心を大きく揺さぶる旅へと誘われることがあります。音楽を構成する一つ一つの音、リズム、ハーモニーから、気が遠くなるほどの時間の積み重なりや人間の日々の営みが聴こえてくる、見えてくる。それらに思いを馳せ、想像力を働かせて「今」と繋がる普遍的なものを見い出し、音にする。バロックはバロック、古典は古典、現代は現代などと区別するのではなく、古の音楽を現代の音楽をその審美眼で等しく並べ「過去から未来に生き続ける音楽」、「タイムレスな魅力を放つ音楽」へと聴かせる抜群のプログラムセンスは唯一無二。
緻密なコントロールをもって緩急自在に音の強弱やテンポを支配し、繊細なタッチから繰り出されるクリアでメカニックなピアノの音の反復から生まれるユーフォリックなグルーヴで満たされた約2時間。演奏家と聴衆の弛まないコミュニケーションから生まれる一体感に胸が熱くなる。一見するとかけ離れているかのように見えるレパートリーが、実はとても自然に共生していることを自らの演奏を以て証明する様​の潔さ、清々しさといったら。バッハや彼の先達が切り拓いた鍵盤音楽が、​数百年の時を経ていることを全く感じさせない! なんということでしょう。
ピアノ1台だけで時に静謐を湛えた瞑想的な空間へ、またある時はダンス・フロアのように躍動感あふれる空間にコンサートホールを一変させる、“トリスターノ・マジック”。引き続きご期待ください。

大塚真実
公益財団法人三鷹市スポーツと文化財団 音楽企画員
Mami Otsuka,
Producer, Mitaka City Sports and Culture Foundation

(2023/12/15)

※フランチェスコ・トリスターノ ピアノ・リサイタル[2023年;終了]
https://mitaka-sportsandculture.or.jp/geibun/wind/event/20231015/
※フランチェスコ・トリスターノの過去に行ったインタビュー
https://mitaka-sportsandculture.or.jp/interview/20170709/

【最新情報】
フランチェスコ・トリスターノ ピアノ・リサイタル
2024年7月7日(日)14時開演
三鷹市芸術文化センター 風のホール
(発売日、プログラムなど詳細は後日発表)