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プロムナード |「なか」と「そと」と| 大田美佐子

「なか」と「そと」と 
The “In” and the “Out”

Text by 大田美佐子 (Misako Ohta)

プロムナードとは「歩いてきた、歩いていく道」のこと。今、私の歩く道は、毎日、景色が変わっていく。突き動かされる現場に出かけ、感じ考え続けるために。

先回のプロムナードは2022年7月、春に勃発したロシアによるウクライナへの侵略戦争と冷戦後の経験をめぐり、「音楽の持つネガティブ・ケイパビリティ」について書いた。今秋はパレスチナとイスラエルの戦禍で、世界に暗雲が立ち込め続けている。先日、ニュースでイスラエルの元兵士だったというダニー・ネフセタイさんがイスラエルから「そと」に出て気づいたことを語っていた。「平和な」日本での暮らしを経験してみて、自分の置かれていた状況を問い直し「武力で国を守れない」と気づいたという。そして、「反戦」を訴えることを諦めてはだめだ、と。「そと」に出て経験して知る「なか」の窮屈さ。(https://d4p.world/news/23615/)

(写真1) 劇場と美術館が集まるミュージアム・クォーター/ ウィーン

「外から見えてくるものがある」とは、島国に生きる民にはよく言われてきたことだ。今年も秋に、勤務先の大学で展開しているカリキュラム「グローバルスタディープログラム」の一環で、大学生を引率して、ウィーンの芸術教育と文化行政を学ぶサマーコースを実施した。プログラムは毎年、参加者の関心に合わせてウィーンのEDUCULTというNPO法人と話し合いながら作っている(写真1)。昨今の学生は、インターネットで国境を超えて、バーチャルで様々な情報をスピーディーに会得するが、結局のところ、切り取られた情報では、奥行きが見えてこない。現地に出かけて、どういう志を持つ人が、どのような工夫をして何を伝えようとしているのか、が初めて包括的に見えてくる。例えば、「むき出しになった分断」を繋ぐために、どのように文化の多様性にアプローチしているのかを、エジプトやアメリカが出自でウィーンで働く若者たちとの出会いを通して学ぶ。新しい音楽劇の祭典「Musiktheatertagewien」で経験した3つの音楽劇は、礼拝堂、天井が高いパルテノン風の内装を想起するオデオン劇場、レオポルトシュタットの小劇場など、「音楽劇」を上演する場とテーマとの関係性の重要性にあらためて感じ入ったようだった (https://mttw.at)。私自身、王宮礼拝堂で参加して聴いたミサの「儀式」としてのハイドンの「大オルガン・ミサ」の自然な存在が、劇場の舞台で「作品」として演奏されるものと、まったく意味が異なることをあらためて体感した。「場」が持つ豊かさに気づけば、地元で行われている試みにも自然と視線が向く。自分たちの「場」、自分たちの「街」を大切にする試みに、エールを送りたくなってくる。「そと」から「なか」へと。

(写真2)ヴァイル祭 2023 渋谷ロフト・ヘブン アフタートーク
大熊ワタル, 木暮みわぞう, 筆者, あるす・あまとりあ (無礼人, 奇島残月) (写真: 石田昌隆 )

「なか」とは、自分に近い場所。自分の国、住んでいる街、家族、自分の仕事など。例えば研究テーマで専門性を高めていくと、「専門家」として認められるようになり、「なか」の人になっていくものだが、そこには長所短所がある。「なか」の人だから見えているものも、「なか」の人になると見えなくなってしまうこともある。11月3日に渋谷のロフト・ヘブンで行われた「ヴァイル祭 2023」で感じたこと(写真2)。クルト・ヴァイルという作曲家を研究するうえでは、「なか」と「そと」を常に意識せざるを得ない。クラシックからポピュラー、現代音楽、ジャズ、民謡に至るまで、あらゆるジャンルやスタイルと接続する面白さや可能性が広がるか、広がらないかは、受け止める人の度量にかかっているのかもしれない。「なか」と「そと」を分断せずに、繋ぐ広がりを作りたい。

最後に、「なか」にいると見えなくなるものを、問いかけてくれた旅について。10月8日、岡山県のハンセン病療養所、長島愛生園にある収容所(回春寮)でのシンガーソングライターの沢知恵さんと美術家の山川冬樹さんのパフォーマンス「こえ聴こゆ、ことばの果てに」に出かけた(写真3)。車で岡山市内から緑の鬱蒼とした田舎道を抜けて、かつては架かっていなかった人権回復の橋、「邑久長島大橋」をわたり、その場所に着くと、その旅のプロセス自体がすでに「音楽」であったようにさえ感じられ、自然と二人のパフォーマンスに繋がった。日本という「なか」にいてもずっと見えてこなかった「そと」は、社会という「そと」に出ることを許されなかった「なか」に閉じ込められていた人々の声だ。「こえ聴こゆ、ことばの果てに」というパフォーマンスは、その「こえ」を丁寧に拾い、再び紡いで光を注ぐ作業のようだ。その声を届ける沢知恵さんの表現はどんどん自由に、ますますしなやかに、声は優しく、思いは強くなっていく。長年積み上げられた研究 (その成果は昨年末に『うたに刻まれたハンセン病隔離の歴史 園歌はうたう』岩波書店にまとめられている)と表現のインターアクションから生まれるその世界は、沢さんだからできる仕事、境地…。人の「なか」と「そと」をシームレスに繋いでいく、驚くべき豊かな表現世界だ。山川さんとのコラボレーションも丁寧に準備されたもので、多様な発想で投げかけられる言葉から、かき消されてしまった声やその人の生きてきた実像が浮かび上がってきた。魂が震える体験だった。

(写真3)長島愛生園の資料館 (左)と「こえ聴こゆ, ことばの果てに」が行われた収容所 (回春寮)(https://news.yahoo.co.jp/articles/1c3041ad829014fa4b2d1003eb2004eac3976f9d)

(2023/11/15)