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日本フィルハーモニー交響楽団 第754回 東京定期演奏会|藤原聡

日本フィルハーモニー交響楽団 第754回 東京定期演奏会
【首席指揮者就任披露演奏会】

2023年10月14日(土)サントリーホール
2023/10/14 Suntory Hall
Reviewed by 藤原聡 (Satoshi Fujiwara)
Photos by 山口敦/写真提供:日本フィルハーモニー交響楽団(撮影:10月13日)

(曲目)        →foreign language
マーラー:交響曲第3番 ニ短調

(演奏)
指揮:カーチュン・ウォン
メゾ・ソプラノ:山下牧子
管弦楽:日本フィルハーモニー交響楽団
女声合唱:harmonia ensemble(合唱指揮:福永一博)
児童合唱:東京少年少女合唱隊(合唱指揮:長谷川久恵)
コンサートマスター:田野倉雅秋
ソロ・チェロ:門脇大樹

 

2021年3月の初共演から2年半余り、この度カーチュン・ウォンが日本フィルの首席指揮者に就任した。筆者が同コンビの実演に接するのはこれが初だが、既にリリースされているマーラーの交響曲第5番のCDにおいて、カーチュン(オッタビアーノ・クリストーフォリによれば、本人はこう呼ばれるのを好むとのことにて本稿でもそう書く)の確信に満ちた力強い演奏は好悪を超えた強い説得力を発揮していた。今回の首席指揮者就任披露演奏会ではカーチュンが得意とするマーラーの交響曲第3番が取り上げられたが、これは2016年のマーラー国際指揮者コンクールにおいて同曲を振り優勝したという、いわば「勝負曲」である。

カーチュンの逸材ぶりは数多く喧伝されているが、確かに第1楽章が始まって間もなくそれは実感される。基本的には小細工を弄さないストレートな指揮ぶりの中に、意表を突くかのようなダイナミクスの対比やパートバランス、楽器の音色(おんしょく)の追求を聴かせ、それまで余り気に留めていなかったような楽曲の構造が浮き彫りになるといった次第だ。何より、どれだけオケを咆哮させても決して雑然と響かずにまろやかかつ統制された音響を維持するカーチュンの耳の良さは歴然だ。しかし、それゆえにマーラーの第3のような曲においては清潔にまとまり過ぎていて破綻がなさ過ぎる、との意見が出る余地なしとしない。まあこの辺りは好き好きではあろう。日本フィルの演奏も誠に見事なもの、伊藤雄太首席のトロンボーンソロは絶品と言って差し支えない。このパートをこれだけのまろやかな美音で滑らかに吹き切った例もそうそうなかろう。

続く第2楽章と第3楽章でもカーチュンのストレートな音楽造りは変わらない。テンポは終始速めでリズムの溜めも余りない。ここではより豊かな情感の表出を求めたい気もするが、音彩の面白さは炸裂しており、これは第1楽章同様カーチュンの非凡さの賜物だろう。ちなみに第3楽章中間部のポストホルンは演奏を聴いていた最中から恐らくトランペットで代奏されているのだろうと筆者は想像しており、終演後にオッタビアーノ・クリストーフォリがステージ裏から正にトランペットを持って登場したのを見てやはりそうかと思ったが、あの箇所はやはりポストホルンを使用して頂きたかったと思ったのは筆者だけだろうか。ポストホルン特有の音色感と素朴さが欲しい。

第4楽章でのメゾ・ソプラノ、山下牧子は歌い出しこそいささか不安定ながら深々とした美声を響かせて秀逸であったが、ここでも興味深いのはカーチュンの解釈だ。大抵は重々しく神秘的に演奏されるこの音楽を「軽快」と形容しては言い過ぎながら、それに近いような印象を持たせるものとして取り扱う。この音楽にはその詩句「ツァラトゥストラはかく語りき」の作者ニーチェの求める「残酷で陽気な切断」がない、と書いたのは浅田彰だったが、結果として詩句と音楽が、それまでに他の演奏を聴き慣れて来た聴者の感覚に軽い齟齬を呼び起こす。パロディ的と言うか、ともあれこれは面白い。カーチュンがそれを狙った訳でもなかろうが、こういう音楽が出てくるところがこの指揮者の良い意味での「掴みどころのなさ」である。第5楽章での女声合唱と児童合唱は人数が少な目であったこともありより量感が欲しくはあったが歌唱自体は良い。

本演奏の白眉は疑いなく終楽章である。冒頭からヴァイオリンとチェロのバランスが通常聴くものと違いチェロが活かされていた点に軽く驚きを覚えたが、その演奏は中庸のテンポを維持し決して情感に溺れ過ぎずに清澄さを保ち品格がある。殊にコーダの出来栄えは特筆大書すべきもので―7人の奏者によるシンバルの一打!―、練習番号32番の「力ずくでなく、高貴な音で」との指示をこれ程生かした演奏をほとんど思い出せない。柔らかく壮大で包み込まれるようなそれはバーンスタインのような没入による強烈な吸引性を感じさせる演奏とは対極の、しかしまるで物足りなさを感じさせない音楽だった。これをそのまま表していたのがカーチュンの身振りであり、柔らかでむしろ控えめな動きが音楽内容に完全に直結していた。最後の和音が鳴り終わっても会場にはしばしの沈黙が保たれ、やがて控えめな拍手が発生しそれは次第にクレシェンドしていった。

カーチュン・ウォンという音楽家は指揮者としての卓越した「実務能力」と特有のファンタジーの発露との点においてまるで平凡ではない、と明確に実感したこの日のコンサート。今後首席指揮者として日本フィルを頻繁に指揮してくれるが、ちょっとどういう演奏が飛び出すか予測が付かない。しかし、疑いなく非凡である。

(2023/11/15)

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〈Player〉
Conductor:Kahchun WONG
Mezzo Soprano:YAMASHITA Makiko
Orchestra:Japan Philharmonic Orchestra
Female Chorus:harmonia ensemble
(Chorus master:FUKUNAGA Kazuhiro)
Children Chorus:The Little Singers of Tokyo
(Chorus master:HASEGAWA Hisae)
Concertmaster:TANOKURA Masaaki,JPO Solo Concertmaster
Solo Violoncello:KADOWAKI Hiroki,JPO Solo Violoncello

〈Program〉
Gustav MAHLER:Symphony No.3 in D-minor