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フランチェスコ・トリスターノ ピアノ・リサイタル|丘山万里子

フランチェスコ・トリスターノ ピアノ・リサイタル
Francesco Tristano Piano Recital

2023年10月15日 三鷹市芸術文化センター 風のホール
2023/10/15 Mitaka City Arts Center CONCERT HALL
Reviewed by 丘山万里子(Mariko Okayama)
Photos by Junta Shirai/写真提供:三鷹市芸術文化センター

<曲目>         →Foreign Languages
J.S.バッハ:イギリス組曲第2番 イ短調BWV807
トリスターノ:Serpentina
J.S.バッハ:イギリス組曲第6番 ニ短調BWV811
〜〜〜
トリスターノ:Ciaccona seconda
フレスコバルディ:トッカータ集第2集より
    トッカータ第4番 “da suonarsi alla levatione”
    トッカータ第9番 “Non senza fatiga si giunge al fine”
    トッカータ第8番 “Di durezze e ligature”
トリスターノ:リトルネッロ
スウェーリンク:ファンタジアニ調
トリスターノ:RSのためのアリア
ギボンズ:フレンチ・エアー、アルマン、イタリアン・グラウンド、グラウンド
トリスターノ:トッカータ
(アンコール)
トリスターノ:hello

 

終演後、ロビーを埋め尽くしたサイン会の長蛇の列につい並びたくなるほど魅了されてしまった、フランチェスコ・トリスターノ。これまで聴きそびれていたが、やっぱりいい!とウキウキの帰路、このリズムの天才児(1981年生まれだから「児」とは言い難いが)のビートで足元の道も小刻みに揺れているみたい。

三鷹市芸術文化センターは初めて。
ちょっと冒険的演目を組んだり、世界のフォークロア紹介など、彩り豊かな公演を揃えて筆者の目を惹くのだが、つい慣れた都心に足がゆき、であった。が、なるほど武蔵野市民文化会館と並び、背骨の通ったホールと見た。いかにも、なファッションの若者が多いのは無論、テクノ、ロック、ジャズなどジャンル越えトリスターノゆえだが、その空気感がこれまた、いい。
前半はバッハ『イギリス組曲』の第2番、第6番の間に自作『セルペンティーナ』を挿入。後半は《組曲・オン・アーリー・ミュージック》として自作『第2チャッコーナ』から開始、16,17世紀のフレスコバルディ、スウェーリンク、ギボンズの作品を切れ目なく自作で繋げ、最後を自身の『トッカータ』で締めるというファンタスティックな構成。

長身痩躯、スキニーなジーンズに Tシャツ、ジャケット姿で、曲げた片腕を小さく振り、風のように現れてのバッハ。筆者は最近とみに思うのだが、「平均律」を書いたバッハもシェーンベルクの12音技法も、詰まるところは音階音列の話。音の平均律化という思考はいわゆる西洋音楽の根底にあり、そこを破壊しようがしまいが、厳然として存在し続けているのは、例えば近年のベストセラー『サピエンス全史』『ホモ・デウス』(ユヴァル・ノア・ハラリ著)の背後にあるキリスト教文化圏思考と同様だ。だが人類規模で見るなら膨大かつ豊穣な「その他」の文化はそれとは別の思考・規範下にある。
しかし。
トリスターノの『イギリス組曲』は徹底して、そもそも音楽とは音階音列の操作にすぎない、いや、だからこそバッハは今日もバッハたりうる、と宣言する。シンプル極まりない音階の上行下降や付随する装飾音、ほんのちょっとした組み合わせの変化から、どれほど豊かな音の花園が広がるか、バッハ以上も以下も以前も以降もない。全てがここにある、と。
さらに、アルマンド、クーラント、サラバンド、ジーグといった舞曲のまとまりである組曲は、人類の足踏み(筆者『西村朗 考 覚書』でしつこく述べているが、舞踊の始原クマ踊りの痕跡は約6万年前)と同じで、それは今日、私たちが土を踏まなくなった生活であっても、変わらない普遍の律動を実は営々と継いでいる。時間的にも空間的にも。それがリズムの本源というものだ。バッハ以上も以下も以前も以降もない。全てがここにある、と。
筆者がリズム・律動の天才児、と呼んだのは、音階音列操作より遥かにそれは始原と直結する、そのことを自らの身体で彼は知り抜いているからだ。だが、上記2要素をひっくるめて「音の運動」とするなら、彼のなんたるかは明らかだろう。
そうでなくて、テクノもロックもあろうか。
したがって彼のバッハは、なんてポップでロックだったことか。
若者たちが群がるのも当然。古くて新しい、なんてフレーズ、野暮すぎ。
彼は時空を超然とワープする。

そうして後半、自ら編んだ「組曲」は、ルネッサンスからバロックへの移行期3人をフューチャー、どの作品も最後の一音をペダルで響かせ、その残響の消えぬ間に次曲イントロを滑り込ませるという、まさに幻想つづら折だ。
めっちゃ、気持ちいい!(はしたないセリフと言う勿れ)
『第2チャッコーナ』の終音の光芒から、やがてぽろんぽろんとこぼれてくる音の雫は、地球のあけぼの、緑の下草に宿る朝露の、とでも。フレスコバルディ『トッカータ』が3つ、そして自作『リトルネッロ』。そもそもトッカータは、指鳴らしにあれこれの技巧を試し弾きする即興曲のようなものだが、ここでは新たな地平、もう1つの要素たるハーモニーが夢幻となって立ち現れてくる。筆者、オーロラの現物を見たことはないが、おそらくこんな感じだろう。それを卑近なところで、揺蕩う虹、とでもいえばあまりに乱暴だろうが、結局ひとは自然が見せてくれるものからしか、アイデアを学ばない。そしてそれは無尽蔵にあり、それこそ無尽蔵に隠されている。たぶん、それを見つけるひとが創造や表現というやみがたい行為に及ぶのだろう。
ハーモニーなど手垢のついた音楽用語はここでは正しくない。例えば同一連打音をペダルで鳴らし続ければ、その倍音が幾重にも重なり、鐘音(筆者には梵鐘とも)となって全てをくるみ込む。それをエオリアンハープ、あるいはアジアの寺院に下がる風鐸の響きといってもいい。つまり、地球の何処であれいつであれ、ひとがみな親しく聴いている響きであり、無限の色彩の帯なのだ。その色調はシンセサイザーのようでもあり、柔らかに今日の若者たちの肌に染み込んでゆく。オルガンが風の楽器であれば、スウェーリンク『ファンタジア』は、そのまま現代へと吹き通る。私たちはそこで原初の音の夢を見る。
右脳左脳での聴き分け以前、私たちの「全体」(全身でなく)が備えていた聴く力。
なぜ調性が生まれたか(はたまたスペクトラム楽派)。それはオーロラの定着願望であった、と彼は教える。
もう一つ、ギボンズ『イタリアン・グラウンド』『グラウンド』でのリズム感覚、続く自作『トッカータ』は、筆者にはほとんどインドネシアのケチャと聴こえた。ケチャは伝統民俗芸能だが、学者の採譜を見るならその精緻複雑な美しさ(むろん当の演舞者らにスコアなどないが)に圧倒されようが、即興ではなく克明に記譜されているというトリスターノ作品も、間違いなくそうであろうと思う。細分化された律動の漸次微細変化の生み出すグルーブの妙、錯綜変幻するその波の交錯が生む陶酔と熱狂は(足踏みも加わる)、やはり時空を越えるのだ。
そうして名作とは、どのようなアプローチも可能とするやはり無尽蔵の財宝であり、かつ、作品の骨格は何をどうしようが揺るぎない。
この日の全ての作曲家たちは、当時のトリスターノでもあったろう。
バッハの即興演奏が教会の聴衆にとってブーイングものだったように、彼らはどこかに前衛・革新性を潜ませる。それが名匠というものだ。
そうそう、中途に置かれた『RSのためのアリア』は先般逝去した坂本龍一への作とのことで、下降する3連符の繰り返しに優しい子守唄が聴こえるようで、心憎い演出であった。

アンコールも含め、彼のいわば全体音楽は、微細な身体の揺動、とりわけ、顎をクックッと小さく前に突き出す「ノリ」の独特と、馴染み深い西洋音楽の和声進行ドミナント、トニック、サブドミナントの快感をしっかり入れ込みながら、素知らぬ顔でそれらをオーロラ化するポピュラリティで、聴き手を異界天界へと連れ込む。まさにトリスターノ・マジック。
客席の熱狂に、胸の前に手を合わせ深々と腰を折り、手のひらからふうっと小さなキスを送り、ゆっくり一歩横にスライドし(この横一歩のなんとセクシーで意味深なこと)、浮雲の上を歩く貴公子の如くステージを去る。その、あまりにサマになった様子に、筆者は思わず笑ってしまう。なんてエレガントな....。
ふふ、楽しかったぁ。

(2023/11/15)

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Francesco Tristano Piano Recital

<Program>
J.S. Bach: English Suite No. 2 in A minor, BWV807
Tristano: Serpentina
J.S. Bach: English Suite No. 6 in D minor, BWV811
~~~
Tristano: Ciaccona seconda
Frescobaldi: from the second books of Toccata
    Toccata No. 4 “da suonarsi alla levatione”
    Toccata No. 9 “Non senza fatiga si giunge al fine”
    Toccata No. 8 “Di durezze e ligature”
Tristano: Ritornello
Sweelink: Fantasia in D , SwWV259
Tristano: Aria for RS
Gibbons: French Air, Alman, Italian Ground, Ground
Tristano: Toccata
(Encore)
Tristano: hello