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BOOKS|ジャン=ピエール・デュピュイ『カタストロフか生か コロナ懐疑主義批判』|齋藤俊夫

『カタストロフか生か コロナ懐疑主義批判』
La catastrophe ou la vie, Pensées par temps de pandémie

ジャン=ピエール・デュピュイ 著
渡名喜庸哲監訳
田中康平、牛田悦正、蓮子雄太、村山雄紀、谷虹陽、神宮司博基訳
明石書店
2023年1月出版

Text by 齋藤俊夫(Toshio Saito)

今回取り上げたジャン=ピエール・デュピュイは日本では東日本大震災後からその「賢明な破局論」で注目を集めるようになった哲学者で、本書『カタストロフか生か コロナ懐疑主義批判』は2020年5月から2020年12月までに書かれた13篇の、彼が「コロナ懐疑主義」と呼ぶ、COVID-19を過小評価しパンデミックを否定する知識人たちへの強烈な反駁の記録である。反駁といっても、なりふり構わぬ感情的な言説ではなく1)、あくまで哲学的な分析と考察にのっとった論である。

デュピュイを評者が知った『ツナミの小形而上学』2)から一貫して彼の哲学を貫くテーゼは「預言者の問題」である。預言者が神から「災厄が起こる」という預言を受けた時、預言者はその災厄を回避するべく行動しなければならない。だがその行動が成功して、神の「災厄が起こる」という預言が外れた時、預言者と彼が受けた預言は偽物とされてしまうのである。
この「預言者の問題」が近年実際に発生したのがITシステムのいわゆる2000年問題(デュピュイはY2K問題と略する)である。1999年から2000年に年が変わるときに、下二桁、99なら1999年、00なら1900年しか想定に入れていなかったシステム(それこそ核ミサイルの発射装置など)が一斉にバグを起こす可能性が持ち上がり、全世界でそれを避けるべく多大な労力が費やされたのである。だが、無事に2000年が訪れると、今度は2000年問題に費やされた労力など無駄だった、2000年問題などなかった、と言われるようになってしまったのである。
この問題の詭弁をデュピュイはこう記している。

予防が成功したとすると、予防すべき出来事が実現しないのだから不可能であった〔そもそも起こりえなかった〕ことになるため、予防はただちに失敗したことになってしまう。予防は成功した瞬間に無駄であったことになってしまうのだ。これこそが詭弁である。3)

また、コロナ懐疑主義者たちのあいだではコロナに対抗する保健政策は自由(彼らにとってこれの最たるものは経済活動の自由だ)を侵害するものだと批判し、(註1)に挙げたアガンベンなども)コロナの脅威は実在しない社会構築物であり、言葉によって捏造されたもの、パンデミックと言われなければただの感染症の一種で済んだものだとする。彼らにとってはマスクをつけることは自分のマスクをつけない自由の侵害となるのだが、デュピュイは次のような三段論法でマスクを付ける倫理を示している。

一 私がマスクをするならば、私はあなたを守る
二 あなたがマスクをするならば、あなたは私を守る
三 私たちは自分がウイルスを保有しているか否かはわからない4)

自己の取り分を最大化する利己的なゲーム理論では、この三段論法では総体的に満足いく状況は得られない。何故なら自己を守るのは自己ではなく「あなた」だからだ。だから利己を超えたコロナ禍の倫理ではこの論が実際的に有効、いや、必須となるのだ。

デュピュイは祖国フランスの自由・平等・博愛の理想の品位を汚されてしまったとして次のように述べている。

自由とは、それが全体の不幸につながる場合には、したいことを何でもすることではない。平等とは、ケーキに毒が入っているときにそれを等しく分配することではない。(中略)われわれが恐れを抱いていたこと、そのことが一時期われわれを互いに結びつけていたことを誰が否定しえようか。これもまた博愛である。5)

評者の見る所、デュピュイが言う所の「博愛」、「われわれが恐れを抱いていたこと」、すなわち恐怖の中にコロナ禍を生きる倫理と方法がある。例えばトランプ、ボルソナロ、ジョンソンらの「威勢の良さ」とは対極にあるこの臆病さこそが人類には必要なのではないだろうか。

気楽に「コロナ感染しちまった」などと笑いながら言えるほどにカジュアル化した現在のコロナ禍、しかし「ペスト菌は決して死ぬことも消滅することもないものであり、数十年の間、家具や下着類のなかに眠りつつ生存することができ、部屋や穴倉やトランクやハンカチや反古のなかに、しんぼう強く待ち続けていて、そしておそらくはいつか、人間に不幸と教訓をもたらすために、ペストが再びその鼠どもを呼びさまし、どこかの幸福な都市に彼らを死なせに差し向ける日が来るであろうことを」6)とカミュが『ペスト』の最後を締めた通り、今回の災厄が人類の歴史上最後のものではないことは明らかである。あまりにも急速にほんの少し前のあの不安と恐怖を忘れつつある我々が次のパンデミックを生き延びるためには、起こりつつあるパンデミックを本物のパンデミックと認識し、破局を破局と見極める、勇気ある賢明な臆病さが必要となる。本書はその導き手となろう。

1)感情的な論はむしろデュピュイの論敵たるコロナ懐疑主義者の言説に見られると評者は感じる。例えばジョルジョ・アガンベン『私たちはどこにいるのか?政治としてのエピデミック』高桑和巳訳、青土社などを参照。
2)ジャン=ピエール・デュピュイ『ツナミの小形而上学』嶋崎正樹訳、岩波書店。
3)本書40頁。
4)本書120頁
5)本書237-238ページ
6)アルベール・カミュ『ペスト』宮崎巌雄訳、新潮文庫、458頁。

(2023/11/15)