Menu

三つ目の日記(2023年8月・9月)|言水ヘリオ

三つ目の日記(2023年8月・9月)

Text by 言水ヘリオ(Kotomiz Helio):Guest

 

本棚に立てかけてある二枚の写真。戻らないものごとが写っている。

 

2023年8月11日(金)
一枚の紙がある。その紙にはひとつのごく小さな穴が開いている。わたしは毎日その紙を眺めているが、穴は消えるわけでも、大きくなるわけでもない。穴は、近づいても遠ざかっても同じ大きさに見えるほど小さい。その向こう側を想像することができない。ただ存在はしている。

 

8月12日(土)
草は一粒の砂に根を張ることができるだろうか。

 

8月13日(日)
毎日が毎日繰り返す。

 

8月14日(月)
朝まで仕事。4時半すぎ、窓の外を眺めると晴れた空のむこうに巨大な雲のかたまりが。雨雲レーダーで確かめると、その下では激しく雨が降っているらしい。

 

8月15日(火)
案内状も作品のうち、という言い方がある。そういうことではなく、案内状と作品のあいだにあるような案内状、というのはあまりないように思う。今日、そういうものが届く。展示のDMとそれに付随する紙片がひとまとまりになっていて、会場に展示されているのであろう作品からの呼び声がする。

 

8月18日(金)
夜中、シャンタル・アケルマンの『アンナの出会い』を見る。5分くらい外出する。その後、激しい空腹を感じ、パン、卵焼き、シリアルなど食べる。そういえば映画には、食事を想起させるだけの場面が何度もあり、実際に食事する場面はなかった。麦茶を煮出し、ネット通販の食材カタログから商品を選ぶ。すっかり空が明るくなっていた。

 

8月22日(土)
雷が鳴っている。しばらくして雨の気配。夕方、傘を持って外出する。新宿三丁目駅で下車し歩く。階段でビルの4階のギャラリーへ。
神奈川県の三浦半島。海岸に洞窟状の「陣地跡」がある。その内部から開口部の先に見える海を撮った写真。あるいは内部の壁面などを撮った写真。あるいは海岸から陣地跡を撮った写真。
内部から開口部に切り取られて見えている海と空。かつてここに身を潜めた誰かが見た光景との隔たりはあるだろうか。内部の壁面の掘削跡の様子からは、昨日今日掘られたのではない時間の経過が感じられる。岩の表面に見られる地層にまで着目すれば、途方もない時間がそこには重なっているだろう。洞窟のなかに、遊具が打ち捨てられていたり、小石が置かれていたりするのは、比較的現在から近い時期に行われたことの痕跡だろう。陣地跡の入口付近に、漂流の末辿り着いた木材と思われるものが写っている写真がある。そしてこの、外側から撮った写真がもっともあたらしい撮影のものであり、陣地跡の内部から、その外部へと関心が傾いてきたのかもしれない、と作者は言う。

 

 

篠田優写真展 Long long, ago
photographers’ gallery
2023年8月21日〜9月3日
https://pg-web.net/exhibition/yu-shinoda-long-long-ago/
https://shinodayu.com/

 

8月23日(水)
ルイ・マルの『鬼火』を見る。ベッド脇の小机に伏せてあった、海にヨットが浮かんでいる縦長の写真の載った絵はがきを、横の小さな電気スタンドに立てかけて写真面が見えるように置き直す。なにかが記されているかもしれないその裏面は見えなくなったということでもある。写真の伏せてあったところには、代わりに拳銃を置く。電気スタンドをつける。なにげなく見ていたこの場面。この小さな場所はその後もほとんどの場面で画面に映っていた。読み終えた本を小机に置く。その本が何であるかが、背の部分に半分見えているタイトルと著者名で示される。終末へと至るにつれ小机の上に設置されていくいくつかのもの。そこに一枚の絵はがきが置かれたということ。

 

9月2日(土)
写真の展示と関連のトークのために出かける。地下鉄を赤羽橋駅で降りる。初めての場所だが迷うことなく会場のPGIに着く。「存在するとは別の仕方で 森下大輔作品展」を見て、「森下大輔×さとう陽子トーク 知られなくても 起こっている」を聞く。トークのタイトル「知られなくても 起こっている」という文言に、よく考えることを重ねる。終了後、今日のゲストであるさとうに、「自分しかいないところで行為を起こしたとき、そこでは変化らしきことが起こっている。ではその行為によって世界は変わったのだろうか」と問いを投げる。さとうはしばらくのあいだ考え、「行為を起こすに至るそれまでのこと、が重要なのでは」と返す。これは答えというよりは仮説のようなことばかもしれない。写真に写っているけれども説明されないこと。写真に写っていないけれども実行されていること。などに関する森下の発言もあわせて、帰宅して反芻する。

 

9月7日(木)
5分おきのアラームが1時間半鳴ってようやく目覚める。着替えてバッグを手にし、扉の鍵を閉め、駅へ向かう。目的地最寄りの駅に着く。雑踏にまぎれる。展示をひとつ見て、自分が先入観でものを見ていることを思い知る。その後目黒駅へ移動し、別の展示へ。
入口の面がガラス張りになっていて、道路から作品が見える。上空には雲。真ん中では小さな山が寄り重なって大きなひとつの山をなしている。どちらも、素材はキルト生地。雲は全体に薄い灰色がかった色調。山はほとんどが白く、淡い色で縁取られている。白も一色ではない。キルト生地の質感が影響してか、布、といっても弾力がありそうで、立体的に感じる。その手前左側には、白と黒の二体の人形が、山を斜めに見ているのか、山の向こう側を眺めるような方向に向いているのか、並んで立っている。
会場内の壁面には、やはりキルト生地を素材としたナップサックが展示されている。口のところをキュッと絞ってひもを肩に通すこのかたちのナップサックは、自分にとっては懐かしのものである。ひもがついていない状態で壁に並んでいたのは、ドローイングとしての展示、ということを示していたのかもしれない。掲示されていたテクストには、「『縫う』ことによって描かれるドローイング」と記されていた。ひもやファーを縫うことで、あるいは入口の山のようにキルト生地を縫うことで、描かれているさまざまな絵。
テーブルがあり、その上に、肩ひものついた状態の作品がいくつか置かれていた。背負ってみてよいとのことだったので、白いふわふわで背の面がシルバーのナップサックを試す。人にとってはそれが背負うものでも、ほかの存在にとってはただからだの一部にすぎないかもしれない、と、ふと亀や羽根を持つ生命のことを思う。また、魔除けの「背守り」を想起する。作者である山﨑稚子のこれまでの作品の載ったファイルに目を通す。衣類を纏った人体像、スパンコールに覆われたお面をつけた像の写真などのほか、服を一度ばらして再度縫製する、という内容のテクストも収められていた。
深夜、窓をあけて雨の音を聞きながら、今日のことを記す。

 

 

Over the Mountains
金柑画廊
2023年8月19日〜9月10日
アーティスト:山﨑稚子
キュレーション:岡田翔
デザイン:相島大地
協力:Rondade、遠藤祐輔、高田怜央
https://kinkangallery.com/exhibitions/3111/
https://www.yamazakiwakako.com/
●山﨑稚子「Over the Mountains」インスタレーションヴュー、写真:中島宏樹

 

9月20日(水)
リンゼイ・アンダーソンの『八月の鯨』を見る。招いた客が来る前の時間。老姉妹が各自の部屋で過ごす。ふたりとも、思い出の物品をしまってあると思われる箱を開ける。思い出は、亡き夫にかんするものだろうか。郵便物を取り出して封の中を確かめる。郵便物の下には数枚の写真がある。写真は見られるわけでもなく、ただそこにおさめられている。

(2023/10/15)

————————————————-
言水ヘリオ(Kotomiz Helio)
1964年東京都生まれ。1998年から2007年まで、展覧会情報誌『etc.』を発行。1999年から2002年まで、音楽批評紙『ブリーズ』のレイアウトを担当。現在は本をつくる作業の一過程である組版の仕事を主に、本づくりに携わりながら、『etc.』の発行再開にむけて準備中。