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シリーズ「新しい視点」/庄司紗矢香 音楽とことば 未来への回帰|加納遥香

シリーズ「新しい視点」
庄司紗矢香 音楽とことば 未来への回帰
音楽とことばのダイアローグで紡ぐ「新しい」協奏曲のカタチ
Series “New Perspective”
Sayaka Shoji Music and Words Return to the Future
A new form of concerto spun through a dialogue between music and words

2023年9月20日 神奈川県立音楽堂
2023/9/20 Kanagawa Prefectural Music Hall
Reviewed by 加納遥香(Haruka Kanoh):Guest
Photos by ヒダキトモコ/写真提供:神奈川県立音楽堂

〈出演者〉         →Foreign Languages
庄司紗矢香(ヴァイオリン)
モディリアーニ弦楽四重奏団:アムリ・コエトー(ヴァイオリン)、ロイック・リョー(ヴァイオリン)、ローラン・マルフェング(ヴィオラ)、フランソワ・キエフェル(チェロ)
ベンジャミン・グローヴナー(ピアノ)
平田オリザ(作・演出)
渡辺香奈・井上三奈子・大竹直(俳優・青年団)

〈プログラム〉
武満徹:妖精の距離
ドビュッシー:ヴァイオリン・ソナタ
ヴェルディ:弦楽四重奏曲 ホ短調
ショーソン:ヴァイオリン、ピアノと弦楽四重奏のための協奏曲 ニ長調 作品21
※ショーソンの作品は、演劇「庄司紗矢香 音楽と言葉の旅『ふるさと』」(作・演出:平田オリザ)とともに演奏。

 

神奈川県立音楽堂主催シリーズ「新しい視点」がはじまり2年目を迎える。今回の演奏会は世界的ヴァイオリニストの庄司紗矢香が企画する、「音楽とことば」を主題とするプログラムだ。出演者は庄司のほか、パリを拠点に活動するモディリアーニ弦楽四重奏団、英国出身のピアニスト、ベンジャミン・グローヴナー。そしてプログラム後半では、青年団の3名の役者―渡辺香奈・井上三奈子・大竹直が加わる。

第1曲目は、シュールレアリストの詩人・滝口修造の詩作「妖精の距離」に着想を得て武満徹がヴァイオリンとピアノのために作曲した小品「妖精の距離」。冒頭、プログラム後半のために用意されたであろう舞台左手の小さな芝生の空間に一人の役者がやってきてベンチに座り、「うつくしい歯は樹がくれに歌った 形のいい耳は雲間にあった……」と詩を朗読する。それから庄司とグローヴナーが、どこかもの寂しく不安げで、しかし温かく、武満の音楽を響かせた。静寂の中にまっすぐ伸びる最後の音は、武満の音の世界をドビュッシーへと接続する役割を果たしているかのようで、透明感ある空気を引き継いだまま、クロード・ドビュッシーのヴァイオリン・ソナタ ト長調が続いた。
前半最後はジュゼッペ・ヴェルディの弦楽四重奏曲ホ短調。モディリアーニ弦楽四重奏団の生みだす響きは筆者にとってはまったく初めての体験で、音の芯たるものを耳で探ってもつかみどころがなく、4人の音が融合したその振動に全身の肌を撫でまわされるような感覚であった。そのなかで、まるでアリアのように歌い上げられる第3楽章のチェロの優美な旋律に、筆者は陶然となった。
休憩をはさんで後半は予定上演時間70分。曲目は、エルネスト・ショーソンのヴァイオリン、ピアノと弦楽四重奏のための協奏曲 ニ長調 作品21。本公演では各章の間に演劇をはさむという画期的な挑戦がなされた。武満が詩からインスピレーションを受けて作曲したのに対し、ここでは劇作家の平田オリザが音楽からのインスピレーションをもってことばを紡ぎだした。
第1楽章が終わると、喪服に身を包んだ女性が2人、舞台上に現れた。1人は鞄を携え、1人は手ぶらだ。漠然と「ことば」といっても、内容はおろか、本格的な演劇なのか詩の朗誦に近いものなのかといったことすら事前情報がまったくなかったが、平田が19世紀後半のフランス・ロマン派の作品からインスパイアされてつくったのは、平易で日常的な現代言葉でなされる劇であった。2人の会話から、タケルという人物の法事の日の田舎町を舞台としていることがわかる。2人の女性はベンチに座り、4歳になった子どものことや学生時代の思い出話など、たわいのない会話をはじめ、しばらくするともう1人の幼馴染の男性がやってくる。タケルと登場人物3名はみな幼馴染同士で、そのうち鞄を持たない女性がタケルの妻アズサ、残りの2人は久々に帰郷した様子である。このようにして劇がはじまり、2人あるいは3人の何気ない会話は、終始淡々と、しかし親密さをもって展開した。
音楽に演劇を挟むという試みから、筆者は大きく2つのことを感じた。1つ目は、音楽と演劇の相克だ。演奏が終わり、静寂の中で役者が最初に発する一言には、音楽空間から演劇空間へと一瞬にして変える力があった。一方劇が終わったあとの演奏は、演劇、ことばから音楽の空間を取り戻そうとする運動のように聞こえてくる。両者のせめぎあいのなかで、筆者はことばを理解する脳と音楽を聴く脳のモードの切り替えがうまくできないという感覚に陥った。音楽とことばは、たとえば歌で、オペラで、結合されているのだけれど、普段どのように聴き、理解しているのだろうか、という疑問が頭をよぎった。
2つ目は、鑑賞後にその記憶を反芻するなかで思い至った解釈である。観劇中は物語を把握するので必死だったが、後から振り返ってみると、親密でありながらも(あるいは親密であるからこその)気まずさを紛らわそうとするような軽さが感じられる3人の会話は、タケルの急病による死、そして彼を失った心の痛みや悲しみという「核心」になかなか触れることができず、それを迂回していたようにも思われる。
それに対して第3楽章の悲し気に響く独奏ヴァイオリンの音色は、タケルの法事の日の3人の様子を俯瞰する第三者の語りのようであり、まるで「触れられなさ」を含めた当事者たちの喪失感や痛みを代弁し、なんの変哲もない日常に潜む人々の痛みを掬い上げるよう。それに導かれるように、第3楽章の演奏後に続く劇の最後の最後の場面で、アズサが心の痛みをほんの少しだけ表面化させたのではないだろうか。

庄司は公演に先立ち、「いつもの演奏会とは違った形式で、聴衆のみなさまに何かしらのひらめきやインスピレーションを感じ取っていただけたら」と述べていた(神奈川県立音楽堂公式ウェブサイト掲載の動画より)。終演後に音楽堂から桜木町駅に向かう道中には、多くの聴衆/観客が今目にしたばかりの舞台について語り合う様子がうかがえ、それぞれの人がそれぞれに十人十色の「ひらめきやインスピレーション」を感じ取ったのだろうと思う。上記のように受け取った筆者もまたその1人であり、もう1度同じ舞台を体験すればまた違う感覚や解釈が広がるような気もする。同じ企画であれ新たな企画であれ、音楽とことば、音楽と演劇を反応させるこのような舞台をまた経験したいと思った。

(2023/10/15)

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加納遥香(Haruka Kanoh)
一橋大学社会学研究科特別研究員。博士(社会学)。専門は地域研究、音楽文化研究、グローバル・スタディーズ等。主な地域はベトナム。修士課程、博士後期課程在籍時にはハノイに滞在し留学、調査研究を実施し、オペラをはじめとする「クラシック音楽」を中心に、芸術と政治経済の関係について領域横断的な研究に取り組んできた。

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<Players>
Sayaka Shoji (violin)
Modigliani String Quartet: Amuri Coeteau (violin), Loic Ryo (violin), Laurent Malfeng (viola), François Kiefer (cello)
Benjamin Grosvenor (piano)
Oriza Hirata(Production/Direction)
Watanabe Kana, Minako Inoue, Nao Otake (Actor/Seinendan)

<Program>
Toru Takemitsu: Distance de Fée
Debussy: Violin Sonata
Verdi: String Quartet in E minor
Chausson: Concerto in D major for violin, piano and string quartet Op.21
* Chausson’s work will be performed with the play “Sayaka Shoji Music and Words Journey ‘Furusato'” (written and directed by Oriza Hirata).