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Q『弱法師』(豊岡演劇祭2023)|田中 里奈

Q 『弱法師』(豊岡演劇祭2023)
城崎国際アートセンター、2023年9月15日~17日(鑑賞日:9月15日)

Q “Yoroboshi: The Weakling“ (Toyooka Theater Festival 2023)
Kinosaki International Arts Center, September 15-17, 2023 (Visit date: September 15, 2023)

Text by 田中 里奈(Rina Tanaka)

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劇作・演出:市原佐都子

坊や:畑中良太
母:川村美紀子(怪我のため降板)
父:大崎晃伸
継母:中西星羅
語り:原サチコ
音楽・琵琶:西原鶴真

共同制作:Theater der Welt 2023, Festival d’Automne à Paris, DE SINGEL, 高知県立美術館、豊岡演劇祭、シアターコモンズ、城崎国際アートセンター(豊岡市)
助成:公益財団法人セゾン文化財団

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2023年6~7月、ドイツ国内で3年に一度開催されている世界演劇祭 Theater der Weltのクロージングプログラムとして世界初演を迎えた、市原佐都子率いるQの『弱法師』。その日本初上演が、同年9月に高知県立美術館および豊岡演劇祭2023で行われた。

新作『弱法師』への注目度は国内外で非常に高く、ドイツ語の老舗演劇専門誌『テアーターホイテ Theater heute』10月号の表紙を飾ったことは記憶に新しい。劇作・演出の市原佐都子は、日本国内でのこれまでの受賞歴——第11回AAF戯曲賞優秀賞を受賞した『虫』(2011)、第61回岸田國士戯曲賞候補作となった『毛美子不毛話』(2017、のちに同賞を受賞した際、作者の女性性を強調した選評について、市原自らが受賞スピーチで触れていた)、そして同戯曲賞を受賞した『バッコスの信女―ホルスタインの雌』(2020)——に加えて、日本国外でも、韓国・香港との共同制作作品『私とセーラームーンの地下鉄旅行』(2018)を皮切りに、前述の『バッコスの信女』が前回の世界演劇祭2020に招聘され(主催側の予算の都合で直前にキャンセルされた1)、スイス・ノイマルクト劇場との共同制作『Madama Butterfly』(2021)がクンステンフェスティバルデザールやヴィーン芸術週間ほかに招聘されるなど、近年ますます旺盛な活躍を見せている。なお、市原は『弱法師』の豊岡公演の会場となった城崎国際アートセンターの芸術監督を2021年から務めてもいる。

ただし、その高い知名度に反し、市原の作品は決して万人受けするものではなく、ある種の鮮烈な不快感や嫌悪感を催させるという特徴がある。それは、劇場で話題にすら上がることの乏しい現代日本社会のさまざまなタブーや、タブーと見なされないほど自明的に看過されてきたスティグマ、あるいは、演劇というフィクションの装置にくるまれてきたアーティスト個々人のアイデンティティや劇場との契約すら、容赦なく舞台上で直に扱う態度に起因するものだ2。しかもその手法が、キッチュで音楽劇的で演劇的なのである。

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Q『弱法師』は、能や文楽、歌舞伎、小説などで繰り返し扱われてきた説話「俊徳丸伝説/弱法師」に着想を得た作品だ。子の無い長者の夫婦のもとに、清水観音の願掛けの甲斐あって生まれた息子・俊徳丸が、継母の呪いで病を受けて失明し、落魄したのち、四天王寺の観音への祈願で快癒したという伝承である。

Q版では、これを現代日本の田舎で交通誘導員とその妻との間に起こった出来事に翻案している。一見すると、タイトルや解説の情報から、この作品は能の『弱法師』を下敷きにしているようにみえる。例えば、最後に息子の視力が回復したのは錯覚だったとする謡曲版のオチを踏襲している点がそれだ3

だが、作品の参照元はそれだけに留まらない。Q版の息子(「坊や」)は継母から包丁でメッタ刺しにされて失明するのだが、このあたりは継母が神木に136本の釘を打って義理の息子を呪う説経節を彷彿とさせる。二部に登場する風呂は、同じく説経節に出てくる「熊野の湯」とも取れる——説経節の中で、熊野の湯に言及するのも、息子の病の快癒をサポートするのも観音の役割であることに鑑みれば、Q版に出てきた異形の性感マッサージ師は観音の化身ということになる。たしかに、観音は男女両方の姿を取ることがあるし、衆生を救う目的で手が多かったり顔が多かったりするので、そのように解釈することはあながち間違いではないのかもしれない。

それでも、人形劇として提示されるこの作品の構造上、文字通り多面多臂(というか多性器)の姿で登場する人形たちは、観音よりも映画『トイストーリー』(1995)に登場するおぞましい改造おもちゃを直感的に連想させた。それらの人形が、自己改造を通じて自ら望んだ身体的特徴を獲得し、満足しているのだと、台詞と歌で説明されてもなお。このあたりの描写はあからさまに露悪的である。

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この現代版『弱法師』の最たる特徴は、それが一風変わった、しかしその構造を大いに活用した、文楽のオマージュとして上演されている点だ。すなわち、原サチコによる義太夫節風の語りと、西原鶴真の薩摩琵琶による音楽のコンビネーションが物語を支え、さらに、乙女文楽のような一人遣いの人形芝居が、語られている内容を舞台上で視覚的に演じてみせもする4。くわえて、引幕や、のっぺりと平面的に描かれた書き割りの存在、場面の所々に見える三色といった舞台装置が、文楽「っぽさ」に拍車をかけている。

戯曲としてのQ『弱法師』(『悲劇喜劇』2023年9月号掲載)に、登場人物が全員人形であることが冒頭に記載されていたが、舞台上で実際にラブドールや交通誘導人形が登場し、それらを肌色のボディースーツを着た人形遣いたちが動かしてみせることの効果は強烈だ。交通誘導人形の父親がダッチワイフの母親相手にセックスする様子(性交後に脱着式オナホールをきちんと洗浄してすらいる)は現実にしばしば起こりうる一方通行的な性行為を連想させる5。そのオナホールから生まれた息子が百均の着せ替え人形をいたぶるくだり(「絶対にあなたを傷つけない いつでもあなたに傷つけられる […]子供に限らず大人のあなたも そんなものをいつでも探してると思いませんか」)は親密な関係における支配的構造を指さす。それは、ラブドールが動き出す映画『空気人形』(是枝裕和、2009)の切なさが覆っていた部分を直に描くものだ。もちろん、人間らしさの参照のみならず、人形の登場するホラー物のお約束(「人間になりたい人形」や「頭が飛んでも動く人形」)をベタに踏むことも忘れない。

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ドイツの劇評のひとつは、Q版の語り物的要素を「伝統に対する音楽的なひねり」と評したが6、私も同意見だ。本作の語り役は、義太夫風にも現代日本風にも語って聞かせ、時にJ-POP風に歌い、ドイツ語の歌唱もこなす。それは原サチコの卓越した技術と唯一無二のキャラクターが成せる業にほかならない。クリストフ・シュリンゲンジーフの『Rosebud』でドイツ語圏デビューを果たし、ニコラス・シュテーマンやルネ・ポレシュといったドイツ現代演劇を代表する演出家たちの舞台で活躍してきた原の姿を思い出すと、Q版におけるずば抜けた語りは、彼女の本領発揮を見るようである。

原が金髪のウィッグにリカちゃん人形のコスチュームのような服装で泰然と現れ、声色を変幻自在に使い分けて巧みに物語ることにより、人が人形劇を語るという文楽の構造ではなく、人形が人形劇を語るという、この作品独自の構造を成立させている。それになんとなく納得してしまうのは、リカちゃん人形ひとつとっても、1967年の初登場以来、ごっこ遊びの中で幾世代の遊び手それぞれの声でアテレコされ、遊び手の家庭環境を色濃く反映した多種多様な物語りを経験し、その身に蓄積してきた存在だからだろうか。

西原鶴真の薩摩琵琶もまた、音によって生み出される緊張感が見た目こそポップでコミカルな場面を引き締め、原サチコの語りを支えつつ、この作品に独特の雰囲気をつくり出していた。琵琶の音色をアコースティックに鳴らしたかと思えば、エフェクターを介して夢幻的な和音を出したり、激しいノイズで舞台上の暴力性を音響的に現出したりする。上演の半ば、西原が語る場面もあるのだが、原の語りに耳が慣れ、「こういうものだ」と認識しつつあった私は、西原の強度のある琵琶歌に衝撃を受けた。人形による人形劇に生命を吹き込んでいるのが原の語りだとすれば、西原の音楽は人形と人間との境目をあえて曖昧にし、そのむなしさやおそろしさのようなものを絶え間なく支えていたように思う。

Q『弱法師』の語りと音楽は、この作品のおぞましさを増幅して観客に届けることもあれば、語られる内容から一時的に距離を取ることを観客に許してもいる。この種の演出は、市原の過去作でもしばしば見受けられたものだ。『バッコスの信女』では、コロスの合唱からカラオケ風歌唱、そして爆音の狂乱まで、音楽が上演の強いアクセントをつくり出していた。前作『Madama Butterfly』では、悪意のある内容を舞台上で扱うための装置として、メタ演劇的な意匠が用いられていた。

このような様式の戦略的利用は、しばしば市原作品から連想される現代日本文学の読後感——高瀬隼子の『おいしいごはんが食べられますように』(2022)の立ち直れなくなるような読後感や、グレゴリー・ケズナジャットの『鴨川ランナー』(2021)における無邪気な追い詰めの描写——と市原演出の舞台版とを大きく隔てているように思う。ただし、観客に途中で席を立たせずに最後まで観せるに足る演劇的強度と、作中に描かれる出来事の倫理的侵犯の問題は、まったく別個に語られるべきであろう。

それで思い出したのが、ドイツ・フランクフルトのオンライン文化誌『ファウスト・クルトゥーア Faust-Kultur』が世界演劇祭での『弱法師』のていねいな劇評に続けて載せた、次の文章だ。

グローバル化と国際的なフェスティバルに反して、テーマや演劇的形式には各国の特殊性がつねに付きまとい、それゆえに、「他所で」簡単に理解され、受け入れられるものではない。それでも、まずは知る機会を持つことだ、ひょっとしたら将来興味を抱くことになるかもしれないのだから7

Q『弱法師』にとって、「他所」ではない場所はいったいどこにあるのだろうか。なるほど、登場するキャラクターや場所、使われている題材や形式のそれぞれに大なり小なり馴染みのある観客が、城崎の客席には確かにいただろう。だが、そうであってもなお、この作品は容易に理解され、受け入れられるものではあるまい。作品自体に含まれる攻撃性を見過ごすべきではないのだが、少なくとも、テーマや形式、あるいは衝撃性や話題性で消費してしまうには、この作品は余りあるし、その異質さを地域性に起因すると断じてしまうことはミスリードだろう。

ところで、会場となった城崎国際アートセンターは、湯治場として長い歴史を持つ城崎温泉にある。客席には旅館のタオルを首から下げた観客もちらほら見受けられ、劇場から一歩外に出れば、浴衣姿の観光客が多数見受けられた。そんな場所で、人形が浸かれば人間になれる風呂の演劇を観るというのは、なかなかに怖い話だと思う。

(2023/10/15)

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  1. Jürgen Berger. „Das Ding mit der Brille“. Theater heute, Nr. 10, Oktober 2023. なお、世界演劇祭は開催年ごとに新たな芸術監督を設け、プログラム構成も一新されるのだが、『バッコスの信女』はデュッセルドルフ(2020年)で招聘中止となったのち、次回のフランクフルト/オッフェンバッハ(2023年)のオープニングを飾るという、異色の作品となった。
  2. 芸術に対する市原の考えについては、彼女が芸術監督を務める城崎国際アートセンターの2022年度アーティスト・イン・レジデンス プログラムの選考に際して市原が発表したメッセージも参照のこと。
  3. 市原佐都子による作品コメントを参照(Q『弱法師』城崎国際アートセンター、2023年9月15-17日、当日配布資料)。
  4. 本作の人形と人形遣いの関係については、山崎健太による評を参照のこと。また、人形劇におけるタブー性については、人形劇ラジオにおける佐藤譲の紹介が参考になる。
  5. ただし劇中で、父親の性交後のルーチンワークが、自己犠牲的な恋愛ばかりしてきた継母の琴線に触れている点も見逃せない。
  6. Judith von Sternburg. „‚Yoroboshi‘ beim Theater der Welt: Die Tränen einer Puppe“. Frankfurter Rundschau, 16. Juli 2023. 邦訳は引用者(以下、ドイツ語記事からの引用はすべて同じ)。
  7. Walter H. Krämer. „War da was? Betrachtungen zu und über das Festival ‚Theater der Welt‘“. Faust-Kultur. 9. August 2023.


Q “Yoroboshi: The Weakling“ (Toyooka Theater Festival 2023)
Kinosaki International Arts Center, September 15-17, 2023 (Visit date: September 15, 2023)

Direction, Writing: Satoko Ichihara
Narrator: Sachiko Hara
Puppeteer: Terunobu Osaki, Ryota Hatanaka, Seira Nakanishi
*Mikiko Kawamura, one of the puppeteers, left the stage due to an injury.
Music, Biwa: Kakushin Nishihara

Co-production: Theater der Welt 2023, Festival d’Automne à Paris, DE SINGEL, The Museum of Art, Kochi, Toyooka Theater Festival, Theater Commons Tokyo, Kinosaki International Arts Center (Toyooka city)
Supported by The Saison Foundation