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湯浅譲二 作曲家のポートレート―アンテグラルから軌跡へ―|齋藤俊夫

湯浅譲二 作曲家のポートレート―アンテグラルから軌跡へ―
Joji Yuasa Composer’s Portrait

2023年8月25日 サントリーホール大ホール
2023/8/25 Suntory Hall, Main Hall
Reviewed by 齋藤俊夫(Toshio Saito)
Photos by 飯田耕治/写真提供:サントリーホール

<演奏>        →foreign language
指揮:杉山洋一
東京都交響楽団

<曲目>
エドガー・ヴァレーズ:『アンテグラル(積分)』小オーケストラと打楽器のための
ヤニス・クセナキス:『ジョンシェ(藺草(イグサ)が茂る土地)』大オーケストラのための

湯浅譲二:『哀歌(エレジイ)』オーケストラのための(編曲世界初演)
湯浅譲二:『オーケストラの時の時』オーケストラのための
湯浅譲二:『オーケストラの軌跡』(全曲世界初演)

 

ヴァレーズ『アンテグラル(積分)』3つの部分に分かれた第1部、テトリスのように大きな立方体が積み上げられていく音像がはっきりと浮かぶ。音像は我々の印象のみに残りつついつの間にか消えていく。立方体が次々に落ちてきて、積み上がり、消えていくというサイクルが伸縮しつつ続く。いつの間にか第2部に入り、ストラヴィンスキー的オリエンタルな旋律が現れる。これは積み上がることなく流れていく。と思いきや、複雑な構造体が木管主導で造られていくが、金管に潰されたりもする。美味にして珍妙なり。第3部に入って立方体と構造体は失せ、各楽器がめいめい自己主張し、オーボエからトランペットが音場の中心で何かを叫ぶが、金管の轟で全て潰されて了。
生きたままの音による建築、彫刻をその場で聴かせてくれた杉山洋一・都響に俄然、心を奪われた。

次のクセナキス『ジョンシェ(藺草(イグサ)が茂る土地)』、弦楽器のグリッサンドで始まる第1音からクセナキス音楽以外のなにものでもない。「ふるいの理論」なるものによって選ばれた音はジャワ・ガムランのペロッグ音階に似ているらしいが、なんとなく日本伝統音階にも近い。密集したポリフォニーのうねりでこちらの感覚が狂ってきたところでバスドラムが全てを圧する強打を繰り返す。テナードラム、スネアドラムなどの膜鳴楽器と金属打楽器、金管、木管、弦楽器、全てが叩き、刻み、吠える。金管がポリフォニーを奏でているようで、お互いに溶けあって液体的に拡がっていき、さらに咆哮する。音が熱すぎかつ厚すぎとんでもない大災厄を見ているようでありながら心は沸き立ち音を楽しんでしまう。最後は他の楽器が去っていく中、ピッコロが篠笛のような至極高い音を吹き、天に昇るようにして終わる。
この作品でもまた杉山・都響の音の解析力に唸らされた。音がただの塊にならずに藺草(イグサ)の茂る大地に吹きすさぶ嵐のようなスピードと量感を兼ね備えていたのである。楽譜を見るだけで発狂せんがばかりのクセナキス作品をかく料理できるとは……。

後半からメインの湯浅譲二作品である。

『哀歌』、哀しみなんてものではなく、全てが終わったかのごとき悲痛な叫びが、拳も砕けろと地を叩くようなバスドラムとオーケストラのフォルテシモで喚き立てられる。何を訴えるのでもなく、ひたすら直截的に悲しみが歌われる。人はここまでの悲しみを抱き、それに耐えることができるのだろうか? この激しいフォルテシモは一旦止み、弱音でのメロディ――それでも痛切な――が連なっていく。歌われる感情はそのままに弦楽器のテクスチュアが複雑化していき、さらにヴィブラフォンの音が加わり、「あはれ」とでも言うべき感情が舞台全体に覆い被さる。筆者は「あはれ」という感情がどのようなものか正確には言うことができないが、それの中に「全ては無常である」という感情が含まれていることは確かだと思う。でもそれが救いなのか、絶望なのかはわからない。わからないまま、「あはれ」にこの音楽は終わる。

『オーケストラの時の時』、第1部:ヴァレーズ、第2部:クセナキス、第3部:統合、と、まとめられそうでまとめられないのが本作。ヴァレーズの音響ブロック体、クセナキスのうねり蠢くグリッサンド、は確かに本作を構成しているが、それを超越したところに湯浅の音のエネルギーが存在している。
それは誰もが度肝を抜かれるに違いない本作のイントロダクションにつとに現れる。なんと輝かしい音響か! そこから曲の構造体である音響ブロックが新しく現れるたびにそれまでの音響ブロックと浸潤しあう。ヴァレーズは音楽的に生真面目だが、湯浅は奔放だ。ヴァレーズ『アンテグラル』第2部にあたる細やかな旋律による構造体は湯浅には現れない(と筆者には聴こえた)が、音響ブロック全体を長いスパンで聴くと、そこに旋律的な秩序があり、さらにランダムなように聴こえるごく短い音の群れ、そこにも湯浅の音楽の秩序がある。
クセナキス的な第2部、まずは弦楽器のグリッサンドで鈍く光り、やがて音が深く沈み込み淀んだ響きが流れていると思わせておいて、錯乱しつつ轟くクレッシェンドから音楽を讃するファンファーレ的トゥッティが!
第3部をヴァレーズとクセナキスの統合とまとめるのはいささか乱暴に過ぎるかもしれない。ここではヴァレーズの手法もクセナキスの手法も下位手段であり、その上位に湯浅による魔術的音楽構造がある。しかし何がどうなってるのかは筆者にはわからない。各個の音楽的単位はそれぞれバラバラな謎の欠片ばかりなのに、それらが繋がって構造をとると色彩豊かな音の光がほとばしる。全くもってなんという音楽だ。

『オーケストラの軌跡』、今年の完成までに7年も費やした本作、冒頭から実に力強く、聴いていてのけぞるほど。不思議な音階? いや、旋法か? いや、そもそも旋律と捉えるべきなのかこれは? 叩きつけられる音の群れは猛々しい荒ぶる神々への霊的讃歌。大音量の前半の後にひそやかな弱音の後半が続くが、弱音でもその厳粛さには畏れを抱かざるを得ない。音楽を生きるとは、いや、聴くだけでもかくも業の深いことであったのか。

このような巨匠と幾許かでも同じ時を過ごせたことを心から喜びたい。また重ねるが、杉山洋一・都響の仕事は湯浅再現として今までにないほどのものであった。こちらにも感謝を。

(2023/9/15)

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<players>
Conductor: Yoichi Sugiyama
Tokyo Metropolitan Symphony Orchestra

<pieces>
Edgard Varèse: Intégrales for Small Orchestra and Percussion
Iannis Xenakis: Jonchaies for Large Orchestra

Joji Yuasa: An Elegy for Orchestra [World Premiere of the Arranged Version]
Joji Yuasa: TIME of Orchestral Time for Orchestra
Joji Yuasa: Locus of the Orchestra [World Premiere of the Full Version]