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三つ目の日記(2023年7月)|言水ヘリオ

三つ目の日記(2023年7月)

Text by 言水ヘリオ(Kotomiz Helio):Guest

 

複数の人の作品がひとつの会場に展示されている。そして、そのなかのひとつの作品に特別な関心がむいてしまうことがある。

 

2023年7月6日(木)
銀座にある柴田悦子画廊にて「線と余白とその間 vol.4 足立正平 立尾美寿紀 直野恵子 佛淵静子」を見る。四名の日本画家による展示で、佛渕雀羅の句「あぢさゐのまりころがりて日の海へ」がテーマになっているという。壁の作品を一周、右回りに見てゆき、横に長い大きな絵のところへ戻った。このような絵を見たのははじめてかもしれないという思いと驚き。それは青い山の連なりに見え、山自体は生命体として鼓動しているように、色をおびていた。そして山なのではなく、ほかの、なんらかの存在のようにも思われた。上空にたまっている薄暗いものは、下方へと部分的に降りてきている。立尾美寿紀によるその絵のタイトルは「薔薇に山が見える─わけいっても─」。山と見ていたものは、薔薇の花弁を描いたものであるという。それを聞いて、像のとらえかたが二つ重ねになり、薔薇の花びらの縁の部分としても見えるようになる。そして、それらのほかのなにか、そのありよう、ということへも開いてゆく。椅子に腰をおろして画廊の方と話をする。何を話したか覚えていないのだが、その間も私はこの絵の方を向いていたような気がする。

 

●立尾美寿紀「薔薇に山が見える─わけいっても─」 60.6×182.0cm 鳥の子紙・岩絵の具・墨 2023年制作

 

7月20日(木)
20時に起きる。最寄りのファーストフード店で食事。ハンバーガーである。帰りにスーパーでアイスとすいかととうもろこしを買う。アイスを食べる。8分の1に切られたすいかを7つに切って食べる。とうもろこしのレンチンの仕方をネットで調べて調理して食べる。

 

7月28日(金)
病院で定期検診。腎臓の機能をあらわす値に問題があるらしい。水をたくさん飲むようにとのこと。あと減塩。
地下鉄で六本木へ。今日はこの街でいくつかの展示を見ることにしている。ギャラリーでの展示と、インテリアショップでの展示。いつものように、好きな位置に立ち、好きなだけの時間をすごす。訪れる人も大勢ではない。ところが国立新美術館で「テート美術館展 光 ── ターナー、印象派から現代へ」の展示室に入るとうってかわってのにぎわい。半分くらいの人はスマホ片手に写真を撮りながらめぐっている。ここでは自分がふだんしているようには見られない。人山のうしろから、作品解説も読まずに眺め歩く。図版でしか知らなかった作品が目に入ってきたりする。やがて、マーク・ロスコ、バーネット・ニューマンの絵があり、その次にゲルハルト・リヒターのものと思われる絵があらわれた。昨年、別の美術館での個展に訪れた際には途中であきてしまって早々に会場を出たものだったが、今日はそのおなじ人の絵の前で足が止まった。いったん近づいてキャプションにリヒターの名が記されているのを確認し、離れた位置からその絵を眺めなおす。あたりにはソファが置かれている。それはどちらかといえばロスコのために設置されたものかもしれないが、それでもこのあたりの作品を腰をおちつけて見るという提案とうけとることもできるだろう。リヒターの作品は「見ること」を拒みはしないのかもしれないし、いまはそうすることでしか関係をもつすべがみつからない。その絵と自分とのあいだでなにかが起こる。立ち上がる空間。絵の前に立つ人々。たかい天井と壁。撮影可の作品だったので写真を何枚か撮る。

 

 

 

7月30日(日)
終わった展示の案内状を処分し、これからの会期の案内状の束から、来週開催のものをよりわける。日曜日の深夜。

 

7月31日(月)
おととい、ジャン゠リュック・ゴダールの『女と男のいる舗道』を見た流れで、溝口健二の『赤線地帯』を見る。吉原で娼婦としてはたらく母が、故郷から上京してきたばかりの息子に同居をせまる場面。母は息子に振り払われ激しくのけぞるように地面に倒れる。バッグが手から離れ飛んでいく。走り去る息子。追いかける母。母の行手を遮るようにあらわれる三輪トラック。

(2023/8/15)

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言水ヘリオ(Kotomiz Helio)
1964年東京都生まれ。1998年から2007年まで、展覧会情報誌『etc.』を発行。1999年から2002年まで、音楽批評紙『ブリーズ』のレイアウトを担当。現在は本をつくる作業の一過程である組版の仕事を主に、本づくりに携わりながら、『etc.』の発行再開にむけて準備中。