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九州交響楽団第414回定期演奏会|柿木伸之

九州交響楽団第414回定期演奏会
The 414th Subscription Concert of the Kyushu Symphony Orchestra

2023年7月27日(木)19:00開演/アクロス福岡シンフォニーホール
July 27, 2023 / ACROS Fukuoka Symphony Hall
Reviewed by 柿木伸之(Nobuyuki Kakigi)
写真提供:公益財団法人九州交響楽団

〈演奏〉        →foreign language
指揮:沼尻竜典
管弦楽:九州交響楽団
〈キャスト〉
サロメ:田崎尚美
ヘロディアス:谷口睦美
ヘロデ:福井敬
ヨハナーン:大沼徹
ナラボート:清水徹太郎
ヘロディアスの小姓:山下裕賀
ユダヤ人1:小堀勇介
ユダヤ人2:新海康仁
ユダヤ人3:山下康寛
ユダヤ人4:澤武紀行
ユダヤ人5:加藤宏隆
ナザレ人/カッパドキア人:大山大輔
ナザレ人2:大山信之
兵士1:大塚博章
兵士2:斉木健詞
奴隷:渡辺玲美

 

荒々しいリズムが鎮まった後、オーボエからフルートに受け継がれる旋律は、揺らめきながら踊りの舞台を明滅させる。冷ややかな月明かりに照らされたその舞台が、サロメのヨハナーンへの欲望と、踊る彼女への欲望とが渾然となった弦楽の艶やかな響きで満たされると、「七つのヴェールの踊り」が高まっていく。リヒャルト・シュトラウスの楽劇《サロメ》(作品54/TrV215)の全曲が演奏会形式で上演された九州交響楽団の第414回定期演奏会において、何よりも印象的だったのはこの舞踊の音楽の豊かさだった。
面紗のなかから顔をのぞかせる動きを暗示するようなヴァイオリンの旋律は、サロメの肢体の運動へ注意を促す。ヴィオラの独奏によって始まり、徐々に強まっていくそのリズムとともに高揚する舞踊がいったん静まると、「七つのヴェールの踊り」を見つめる者のあいだに興奮が広がっていくさまが、シュトラウスの精巧なオーケストレーションによって描き出される。沼尻竜典が指揮する九響は、その過程を、息を呑むような緊迫感をもって、かつ鮮やかに響かせていた。扇情的な旋律の艶やかさも際立っていた。

ヨハナーンが幽閉されている古井戸を見やる動きを暗示するモティーフがはかなく響き、くずおれるようにサロメの踊りが終わると、踊りを求めたヘロデが、褒賞に何を望むかを彼女に尋ねるわけだが、そこからのヘロディアスを交えた三つどもえの遣り取りは、今回の《サロメ》の上演のなかでとくに聴き応えがあった。なかでも、ヘロデの腹の底にある願望や負い目をえぐり出すヘロディアス役の谷口睦美の力強い声は、その眼差しの強さとともに印象に残った。それと対照的に浮かび上がるのが、ヘロデの権勢の空虚さである。
ヘロデ役を歌った福井敬は、文字通り熱に浮かされて権力にしがみつくこのガリラヤの領主の虚勢とその裏で錯綜する欲望を、巧みに声色を使い分けながら浮き彫りにしていた。そのような表現の説得力も、オペラの結末を用意する場面の緊迫感を高めていた。その一方で、サロメ役を歌った田崎尚美の歌唱からは、ヘロデの再三の説得にもかかわらず、執拗にヨハナーンの首を望む必然性が伝わってこない。もちろん、その声は幕切れまで充分に力強く、また表情も多彩だった。しかし、そこから鬼気が漂ってこないのである。

この問題の伏線をなすと考えられるのが、第三場でのサロメとヨハナーンの二重唱である。そこでサロメは、彼の肉体を魅惑的な物として手に入れようとする。それに対してヨハナーンは、肉体への愛を拒絶しながら、神の子の到来に備えよと説く。そのような二人のあいだに、対話は成り立っていない。ここにあるのは、いずれも「人間らしさ」を越えた次元にある、物体への欲望と真理への愛の平行である。そして、オスカー・ワイルドの原作も、シュトラウスの音楽も、これらがそれぞれに崇高に響くように書かれている。
にもかかわらず、今回の上演におけるサロメとヨハナーンの二重唱は、あまりにも人間的な対話に還元されてしまっているように見えてならなかった。ヨハナーン役を歌った大沼徹は豊かな声の持ち主で、井戸の奥からの預言──舞台の奥からエコーを加えて歌われた──を力強く響きわたらせていたが、第三場での彼の舞台上での身ぶりは、サロメにあまりにも接近しすぎていた。他方で彼女の側からも、物としての肉体を求める鬼気が伝わってこない。その欲望は、あまりにも人間らしく響いた。

いずれも「非人間的」な側面を持つサロメの欲望と、ヨカナーンによるその拒絶の両方が崇高に響く──このことが20世紀初頭に生まれた一幕の「楽劇」の際立った特徴をなしているはずだ──ためには、舞台上演だったとしても、両者のあいだの一定の距離と身ぶりの抑制、ないしは抽象度を高めたその造形が求められる。しかしながら、今回のコンチェルタンテでの《サロメ》の上演における歌手たちの舞台上の動きはかなり多く、かつそれは全体的に、人物の「キャラクター」を分かりやすく描くことに比重を置くものだった。
出自ごとにスカーフの色を変えることに示されるその方向性は、作品に対する一貫したアプローチを示すものとは思えず、かつあまりにも「オペラ的」であるように思えた。それによって、作品に潜む差別が目に見えるものになった面もある。もし人物を身ぶりを含めて造形するのであれば、演出家が加わる必要があるのではないか。そうでなければ、歌手は独唱と重唱に集中するべきではないだろうか。今回の《サロメ》の上演に関しては、シュトラウスの音楽に耳を澄ましたかった。それだけでもドラマは充分に伝わる。

沼尻竜典と九州交響楽団の演奏は、このことを雄弁に示していた。シュトラウスの色彩豊かな描写を見通しよく響かせる沼尻の指揮は、ドラマの展開とその情景の転変を説得的に伝えていた。ヘロデの宴の場へ導くコントラファゴットの独奏が、欲望のうごめきを見事に響かせていたのも印象的だった。これをはじめ、ドラマの展開の鍵となるモティーフの響きが繊細に造形されていたことは特筆されるべきだろう。「七つのヴェールの踊り」から先のオーケストラの響きは、不協和音のそれを含め、深みがあって作品にふさわしかった。
その踊りの前までのオーケストラの響きには、さらなる一体性を求めたいところもあった。ピアニッシモの響きが研ぎ澄まされるなら、歌手の言葉の重みが伝わったのではないだろうか。歌手では、ナラボート役を歌った清水徹太郎が、その柔らかな声だけでサロメへの憧れを見事に響かせていたのが心に残る。今回の《サロメ》の上演は、作品の音楽的な魅力をよく伝えるものだったが、上演自体の焦点が絞られていない感も拭えない。このことは、「コロナ禍」の下で広がった演奏会形式のオペラの上演に、問いを投げかけていると思われる。

(2023/8/15)

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[Performers]
Conductor: Ryusuke Numajiri
The Kyushu Symphony Orchestra
[Cast]
Salome: Naomi Tasaki
Herodias: Mutsumi Taniguchi
Herod: Kei Fukui
Jochanaan: Toru Onuma
Narraboth: Tetsutaro Shimizu
Page of Herodias: Hiroka Yamashita
Jew 1: Yusuke Kobori
Jew 2: Yasuhito Shinkai
Jew 3: Yasuhiro Yamamoto
Jew 4: Noriyuki Sawabu
Jew 5: Hirotaka Kato
Nazarene 1/Cappadocian: Daisuke Oyama
Nazarene 2: Nobuyuki Okawa
Soldier 1: Hiroaki Otsuka
Soldier 2: Kenji Saiki
Slave: Remi Watanabe