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五線紙のパンセ|第3回 AI、作曲、楽譜、現代音楽、などなど|篠田昌伸

第3回 AI、作曲、楽譜、現代音楽、などなど

Text by 篠田昌伸(Masanobu Shinoda):Guest

第1回、第2回と、自分の演奏や作品についての駄文を書かせて頂いた。今回は、最近考えていたことを、方向性もなく連想のままに書いてしまい、結局何が言いたいのか自分でもわからなくなってしまっているが、素直に自分の頭の中を晒して、パンセ最後の回としたい。

(「Three political polyphonies 」より)

近頃、落合陽一氏が彼の番組で、作曲することは選ぶことだ、という主旨のことを言っていたのを聞いた。AIがアルゴリズムを使って、たった1分間で、4分の長さの曲が100曲作れるというのだ。むしろ、それを聞いて選ぶ方が大変だ、と。これを聞いてかなりショックをうけた。100曲出来るという事実にではない、彼はそれを本気で作曲だと思っているのか、ということに、だ。
しかし、考えてみれば、限られた音の組み合わせを駆使して、組み上げることが作曲であるとすれば、そこに人が介在するかに関わらず、作曲といえるのかもしれない。曲、というアウトプットが成立さえすれば、それは作曲ということになるのかもしれない。
一時話題になった、佐村河内氏が新垣氏に送った交響曲の設計書のようなものを見て、これは作曲と同じだ、そもそも楽譜だって記号のようなものだ、という意見をそのまま受け取る人がかなりいることもショックだ。それは、あくまで比喩に過ぎない。そこでケージの図形楽譜を引き合いにだしたりすると、余計に誤解を生んでややこしくなる。彼(S氏又はN氏)の交響曲はチャンスオペレーションでもなんでもなく、演奏家が一音一音実際に書かれた楽譜を弾いているのであり、台本の言葉を一語も書かず粗いイメージの妄想を図にしたものを、楽譜、作曲と言うのは、根本的に違う。アラビア文字を見て、読めないからといってこれは絵のようなものだ、と言うのは恥ずかしいはずだ。そこにはちゃんと意味が書いてあるのに。どうしてこんな当たり前のことが伝わらないのだろう。

ところで、楽譜、というものは今後どうなっていくのだろう。最近知ったのだが、どうやらポピュラー音楽の世界では、作曲家とは、できあがった音源をまるごと提出できる人のことで(当然様々な機材も持っている)、ただ楽譜を書いて演奏者に渡す人ではないようだ。それを考えると、12音技法は、音を一音一音選び、楽譜に書き落とすことが作曲である、という前提で行われた音楽的実験であり、その前提が崩れれば、その実験性は意味を失う。

(「Groovy monsters」より)

近頃は、自分の頭の中で音を想像し、それを楽譜に落とし込む能力がなくても、曲というアウトプットができるようになった。多くの楽譜作成ソフトは、書いた音を再生できる。頑張って脳内で想像する必要がないのだ。テクノロジーの進化が齎すものは、フェアネスである、という話を聞いたことがある。音楽に置き換えれば、いままで必要とされていた様々な音楽的能力がなくても、結果がだせるようになったのだ。
幸か不幸か私は、大体の楽譜から、それが鳴る音をそれなりに脳内で再生することができる。作曲科受験の際も、何もない部屋で8時間でソナタ形式の楽曲を作らなければいけなかった訳で、それが作曲家としての当たり前の能力だと思っていた。では、全ての作曲家が完璧なソルフェージュ能力がないと、よい曲が書けないかというと、全くそうではないだろう。むしろ、想像力を阻害することもあるかもしれない。著名な作曲家の何人もが絶対音感がない、ということも知っている。必ずしも必要条件ではないのだ。
これから、楽譜を介さない創作が主流となったら、いわゆるソルフェージュ能力はもちろん必要なくなるだろう。もっと別の能力にとって変わられる可能性もある。今使われている楽譜だって太古の昔からあったわけではないし、多くの民族音楽にはそれに代わるものがいくらでもある。

一時期、簡単にできる作曲アプリ、というものが自分のSNSに繰り返し表示されたことがあった。試しにダウンロードしてみたが、いくつかのジャンルのテンプレート音源が用意されていて、それをミックスしたり、テンポやリズム、時間を変えたりするだけで、まさに「選ぶ」作業だった。これは、動画製作者が、自分に都合のよい時間軸で、なんとなくイメージにあったような音楽を、「オリジナル」として使うことが目的だ。大事なのは著作権フリーであることなのだろう。要は音楽にお金をかけたくないのだ。多くの動画製作者がこれで満足なのであれば、作曲家は本当にいらない。そもそも他人の注文、イメージどおりの曲を作るのは難しい。であれば、商業的に流通するための仕事としての作曲は、煩わしいだけだ。どんどんいらなくなるだろうし、もともといらなかったのかもしれない。

ちなみにコンピュータ演算を援用した作曲というのは、今に始まったことではない。乱数を用いたり周波数を計算したりして、作曲に役立てることはずっと前から行われていたことだ。しかしそれは、人間には到底できない大量の計算などを駆使することで、より未知のものに近づくためだ。または、人間が習慣的、感覚的に排除してしまうものを、機械が選択することによって、新たな可能性が生まれることもある。対位法的楽曲をAIがどこまで美しくつくれるか、ということにも興味はある。そうではなく、ここで話題にしているのは、人間でもできることの、手間を省くことの為にテクノロジーを使うことだ。作曲をAIにやらせたい人は、もともと作曲などしたくなかったのだろう。
なぜ、自分が作曲をするのかといえば、自分が創作する行為が楽しいからだ。自分の感性、今までの経験、新しい経験、それらを総合して、なんとか捏ねくり回して作りだす行為が、楽しいからやっているのだ。一番おいしいところをAIに任せてどうするんだろう。それは「結果」だけが早く必要な世界、流通することが最も重要な世界だけに、役立つものだ。自分は音楽が何かに「役立つ」ことに、ほとんど興味が持てない。
流通といえば、現代音楽ほど流通に向かない音楽もないだろう。資本主義においては、流通しないものは無価値である。多くに流通するものほどAIが作れるのだとすれば、個人が作曲する行為は、もはや作曲する人それぞれのためにしか価値がないことになるだろう。そして、それでよいのかもしれない。では、他人の音楽は必要ないのかというと、そんなことはない。ひとが短い一生の中で出来る限られた経験の中で、それぞれの人間の中で蓄積された音楽が、発酵して出てきたものを聞くことは、楽しいのだ。それが、他人の音楽を聞く喜びなのではないだろうか。

ところで、自分はいつから現代音楽を「聞ける」「楽しめる」ようになったのだろう。そしてそうなった今、その前の感覚にはもう戻れなくなってしまっている。掛け算を知ってから、足し算の世界に戻れと言われても難しい。中高生のころ、背伸びをして積極的に現代音楽を摂取しようとした時期があった。それは、自分の聴覚をどんどん更新、アップデートしていく感覚であり、未知の音が心地良さに変わっていく経験は、自分が成長しているようで快かった。いま現代音楽にそんな憧れを持っている学生はほぼいないのではないか。何故かといえば、それはお世辞にも、それが世の中の最先端で未来の方向性を表している、とは思えなくなってしまったからだ。これはこれから来る!と思えたからこそ、自分の聴覚を更新しようとしたのであって、それがなければ苦痛なだけだ。
しかし、前述の通り、流通や未来と関係なくても、音楽が個人的なものであるなら特に問題ない。そして、これからも自分の知らない他人の音楽をインプットし続け、個人的なアウトプットを繰り返し、そこに幾許かの共感が生まれればもっとよい、くらいに考えている。
そもそも、音楽の共感はそんなになくてもよいのかもしれない。1万人動員とか、1億回再生とかいうが、そのうちの何人がちゃんとそれを聴いているのだろうか? その数字は資本主義的なブーストがかかっているだけで、ほんの数百年前までは、それぞれの音楽の聞き手は、それぞれのコミュニティに留まって、1億人に広がる必要性はなかった。だからその方が自然なのかもしれない。

悲観的だか楽観的だかわからない結論になってしまった。最終回は本当にとりとめのない文章になってしまったが、このへんで終わりにしようと思う。3回にもわたって、好きなことを書かせていただくという、こんな機会をくださった、メルキュール・デ・ザール、に感謝いたします。お読み下さった方、ありがとうございました。

(2023/8/15)

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・ホームページ
https://ballad-filter.jimdofree.com
・作品、その他動画(youtubeプレイリスト)
https://youtube.com/playlist?list=PLwOQSHL_25Jhj3v1yrJdgx0eJ-MqIqqwb
・演奏動画(youtubeプレイリスト)
https://youtube.com/playlist?list=PLwOQSHL_25JhctLvDa0uVCRrLSLBxPWr-
・作品収録CD
「街の衣のいちまいしたの虹は蛇だ」篠田昌伸現代合唱作品集 (299MUSIC)
「和の歌 日本の歌によるピアノ作品集」(camerata)
「クロノイ・プロトイ×クァルテット・エクセルシオ 弦楽四重奏の可能性」 (Sound Aria Records)
「作曲家グループCue×大田智美 現代アコーディオン作品集」(ALM Records)
「これが俺たちの音楽だ 東京混声合唱団」(fontec)
「Composer Group Cue works」(ALM Records)
・コンサート予定
2023年11月11日 両国門天ホールにて
ソロコンサート「Contemporary Piano Showcase #1」開催
Neuwirth,Furrer,Eggert,Lang作品、稲森(委嘱)作品、等を演奏予定
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篠田昌伸( Masanobu Shinoda)
東京藝術大学音楽学部作曲科卒業、同大学院修士課程修了。作曲を尾高惇忠、土田英介、ピアノを播本枝未子、大畠ひとみの各氏に師事。 第22、27回日本交響楽振興財団奨励賞、第74回日本音楽コンクール作曲部門第1位、第1回イタリア文化会館日本国内作曲コンクール審査員特別賞、第9回佐治敬三賞、等受賞。06年just composed in YOKOHAMA委嘱作曲家。11年武生国際音楽祭にて作品が招待される。複数の作曲家グループやプロジェクトに参加し作品を発表する他、著名な演奏家、団体等の委嘱などによっても作品が発表されている。近作では、室内楽「Different tunes」シリーズ、合唱曲「言語ジャック」等があり、ピアノ曲「炭酸」は全音楽譜出版社より出版されている。また、ピアニストとして、新作初演、声楽、器楽とのアンサンブル、ダンスとのコラボレーション、レコーディング等、幅広く活動している。