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山澤慧無伴奏チェロリサイタル マインドツリーvol.9 バッハツィクルス4|齋藤俊夫

山澤慧無伴奏チェロリサイタル マインドツリーvol.9 バッハツィクルス4
Kei Yamazawa Cello Recital “Mind Tree” vol.9

2023/7/21 トーキョーコンサーツ・ラボ
2023/7/21 Tokyo Concerts Lab
Reviewed by 齋藤俊夫(Toshio Saito)
Photos by (山澤1人)撮影、提供:梅本佑利、(客席)提供:東京コンサーツ

<曲目>        →foreign language
(全て山澤慧独奏チェロ)
ジルベール・アミ:『Ein…Es Praeludium』
J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲第4番
平川加恵:『RUSH TO THE PAST!』
ソフィア・オウヤン:『Liminal/ity』
梅本佑利:『aug.hocket』
波立裕矢:『Petit Partita』
ハインツ・ホリガー:『シャコンヌ』

 

去年の何時頃か、twitter上で良く描けたスチームパンク風の絵を見つけたら、作者が自動生成AIだと知った時の驚き、不安、いや、恐怖の感覚は忘れがたい。既存の、つまり人間が描いた絵のビッグデータから帰納的に絵を生成しているという点で、ゼロから創造する人間の力を真似ることはできても厳密な意味では越えることはできない、と現段階では言われている。だがいつシンギュラリティ・ポイント(技術的特異点)を越えてAIが人間から自律した活動を始めるかは誰にもわからないのではないか、と筆者はSF的期待と恐れを抱いてしまう。
このように長々と枕を書いたのは、梅本佑利『aug.hocket』(augmented hocket:拡張されたホケット)がまさに生成AIを用いたことに大きな意義がある作品だったからである。まず前半は生の現実のチェロでは届かない音域をMIDI音源によるヴァーチャルなチェロ音で補って合奏し、そこにボーカロイド(人工音声)初音ミクの歌声が被さる。ここから連続的に繋がる後半では、作曲者の入力した短文を基にしてAI「GPT4」が生成した詩が初音ミクによって歌われ、それと山澤慧のチェロ(MIDIも加わっていたかもしれない)が合奏する、という作品であった。
前半は聴いていて特に違和感はなく面白く聴いたが、違和感がないということは作者や演奏家が抱くべき疑問や問題も聴き取れなかったということでもあり、つまり安直だったのでは、との思いも浮かんでくる。
傾聴し思索すべきは後半、GPT4によって生成された詩が初音ミクによって歌われる部分である。何故ミクは、現在のバージョンのミクとすれば不自然なほど人間離れした幼稚な発声法で詩を歌わねばならなかったのか? 作曲者のコントロール技量の不足によるものではなく、これこそが作曲家が聴かせたかったミクであったはずだ。筆者は創作における作者のエゴという観点からこの不可解を解きほぐしたい。
GPT4に詩作を任せ、初音ミクに歌唱を任せた本作後半は、あとチェリストと作曲家だけが〈人間〉としてわずかに作品に携わっている存在である。ここで作曲家には2つの選択肢がある。自分の人間としてのエゴを手放さずに〈人間〉と拡張機器を合奏させるよう作曲するか、徹底的に拡張機器に全て――作詞、作曲、演奏(発音)――を任せて作品から〈人間〉としてのエゴをゼロにしてしまうか、である。どうやっても「作曲をしよう」というスタートの意志は作曲家のエゴから離れることができないが、それでも技術的な事は既に――質の高低はあれど――拡張機器に全てを委ねることが可能だ1)。本作品では梅本が作曲家という人間のエゴを捨てないよう選択したのか、非人間的なもの(ミク)をわざとさらに非人間的にしてチェロとぶつけたのか、その2路のどちらがどこにどのようにして現れたのか旧人類たる筆者にはわからなかった。
おそらく音楽作品全てを拡張機器に委ねた作品を誰が書くかは「早いもの勝ち」の段階にあると思うが、梅本が「早いもの勝ち」のレースに乗るかどうか、あるいはあくまで作曲家としてのエゴを手放さないどうか、興味と期待を持って見守りたい。

ここから演奏順に。

ジルベール・アミ『Ein…Es Praeludium』、バッハの無伴奏チェロ組曲第4番の序曲となるべく書かれた作品。バッハの4番の序曲がこんなに孤独な音楽になるとは思ってもいなかった。場面によっては華やかな箇所もあるのだが、次第に複雑化しつつ同時に色を失いつつ、音楽的にパタリと倒れ伏し、了。

アミを継いでJ・S・バッハ:無伴奏チェロ組曲第4番変ホ長調BWV1010、力強い! 逞しい! 低音域のゴリゴリとした硬い質感と、高音域の耳に刺さる刺激が否応なく魂と響き合う。優しいところ、ウキウキとしたグルーヴ感に満ちているところ、繊細優美なところ、遊び心と茶目っ気を見せるところ、等々様々な楽想が満ち溢れているのだが、その背中に一本鋼鉄の杭が刺さっており、全てがその鋼鉄の逞しさに帰結する。いつもながら山澤のバッハには心を震撼させられる。

平川加恵『RUSH TO THE PAST!』、足踏み、弦を強くはじく特殊奏法、弓で通常とは異なる位置の弦を弾く、などの特殊奏法を目一杯奏でつつ、その音楽たるやハードボイルド。ドビュッシーか? いや、ラヴェルか? それともコダーイか?と楽想が音楽史的にさ迷うが、その心意気やハードボイルド。最後はバッハに帰り、最低音域をギリッとハードボイルドで決める。渋い。憧れる。

ソフィア・オウヤン『Liminal/ity』、弓の圧力を極めて強くして「ギリ、ギリ、ギリ」という軋んだ低音で始まり、以後もはっきりとした音が発せられない軋んだ音が進んでいるのか立ち留まっているのか判然としない音楽が続く。なにもわからない音楽が帯びる神秘、儀式性を感じた。ラストは何がなんだかわからない特殊奏法の乱舞で突然終了。「通常」を異化する強烈な力を感じた。

波立裕矢『Petit Partita』、スブ・ポンティチェロ、スル・ポンティチェロ、スル・タストなどの特殊奏法で「ギ・ギ・ギ・ギ・・・」と弾いて届くその音楽に何らかの怨念めいたものを感じざるをえなかった。その後の遅いテンポでも速いテンポでも音自身が自らを切り刻み、それを聴いている聴衆も切り刻まれる。我々はどうすれば良いというのか、と答えの無い問いを投げかけたくなる。今回の新人たちの作品中でも最も攻撃的な音楽を物したと評価したい。

締めを飾ったのは巨匠ハインツ・ホリガー『シャコンヌ』だが……これは何なんだ? 特殊奏法の転換があまりにも速すぎて認識不可能。だが微妙に陽気であったり、何故か儚かったり怪獣が吠えるかのような轟音が鳴り響いたりと、とにかく音楽が乱反射する。なのに極めて知的にコンポジションしていることが聴いていてわかる。第7曲の両指での指板ピチカート(山澤慧はよくこんな無茶苦茶を再現できるものである)が終結して、充実の極みでメインプログラムは終わりを迎えた。

アンコールのヴァインベルクはショスタコーヴィチその他のパロディで一粒で何度も美味しいお得な小品。

山澤慧には毎度すごいものを聴かされる。世界の若手の音楽家が集まる得難い世界的人的ハブとしての活躍に今後も注目し続けたい。

1)やや古いが、デイヴィッド・コープ『人工知能が音楽を創る 創造性のコンピュータモデル』音楽之友社、2019年、に音楽の生成AIが詳しく述べられている。
蛇足ではあるが、その作曲時においてすでに人間外の要素が多分に含まれている松平頼暁の作品などは、どうやっても人間を真似ることを目標とするAIではたどり着けないのではないかと筆者は考えている。ただし松平の音楽をAIが理解したときがシンギュラリティ・ポイント以後の開始点なのかもしれないとも言っておく。

(2023/8/15)

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<pieces>
(All Pieces are played by Kei Yamazawa)
Gilbelt Amy: Ein…Es Paraeludium
J.S.Bach: Cello Suites No.4, BWV 1010
Kae Hirakawa: RUSH TO THE PAST!
Sofia Ouyang: Liminal/ity
Yuri Umemoto:aug.hocket
Yuya Haryu: Petit Partita
Heinz Holliger: Chaconne