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Books|市民オペラ|大田美佐子

『市民オペラ』

石田麻子 著
集英社新書
2022年10月/ 1050円 ISBN 978-4087212358

Text by 大田美佐子 (Misako Ohta)

288頁、ずっしりと内容が濃い。著者の石田麻子は、日本のオペラ劇場運営、アーツカウンシル、上演の評価、助成基金のあり方などについて、現場と研究を往来して追究してきた舞台芸術政策のエキスパート。これまでも『クラシック・コンサートの基礎知識』(編者, ヤマハミュージックメディア, 2013)、『クラシック音楽家のためのセルフマネジメント・ハンドブック』(共著, アルテスパブリッシング, 2020)、『芸術文化助成の考え方: アーツカウンシルの戦略的投資』(美学出版, 2021) などの本で、演奏家や舞台を制作する側と助成する側との間に相互理解を育むような書物を世に問うてきた。またオペラ関連では『日本オペラ年鑑』という、オペラ上演を俯瞰する充実した年次報告書の主筆を務めていて、本書でも、全国のオペラ上演の現場に足繁く通った著者ならではの豊富な知識と磨かれた感性が問題意識に鋭く反映されている。

著者によれば、「市民オペラ」の盛況は、日本独特の現象だという。その背景には、「社会制度における歌劇場の位置づけや歌劇場自体の制度が明確になる前から、オペラやバレエなどの舞台公演が先行して行われてきた」という現実があり、そこから欧州のオペラ劇場などには備わっている劇場内の機能を、「劇場外の組織」が分散して役割を担ってきた事情があったという。これは単純に考えてしまうと、劇場としての未熟さや欠陥としてマイナスにも捉えられる。だが一方で、海外のオペラ劇場のプロダクションを丸ごと再現するような、本場のほんまもんの「引っ越し公演」を聴衆が楽しむことができ、オペラに魅了される人々が生まれただけでなく、その公演を下支えする優秀な専門職の人々をも育むこととなった。「市民オペラ」とは、確立された制度のなかから出てきたものではなく、「歌劇場を持たないままオペラを上演するにはどうすればいいのか?」という人々の情熱と、市民と専門家たちとを繋ぐネットワークが、試行錯誤のなかでその世界を切り開いてきたのである。

本書では、「100の市民オペラ公演があれば、100の物語、あるいはそれ以上の物語がある」という市民オペラの多様な特性と「なぜ市民オペラが日本で興ったのか」という問いを、序幕と終幕に幕間、開演前と終演後を含んだ四幕構成で丁寧に解き明かしていく。そのプロセスは、時にオペラ上演を観ているかのようにドラマチックだ。著者自身が育んできた現場での経験が、貴重なインタビューに活かされている。文化行政の現実と時代の変遷を客観的に記述しつつ、「ハコ」ではなく「人」が中心となった「オペラ運動」としての市民オペラを、当事者の生の声でも描いていく。

今年2023年に50周年を迎え、《ウィリアム・テル》《リエンツィ・最後の護民官》など日本での初演も担ってきた藤沢市民オペラに関わる人々、政治家や音楽家たちへのインタビューなど、その生の声は時代の当事者としての臨場感が溢れる。「市民オペラ」の舞台は若い芸術家にとって、レパートリーを増やす修業の場でもあり、市民にとっては専門家との協働でオペラの実践を体験できる楽しい場でもあり、このプラットフォームがいかに地域の文化に重要な役割を果たしてきたのか、にあらためて気づかされた。

冒頭に著者が掲げた日本のオペラ制作の経緯を語るための四つの観点、「オペラ公演に関わる組織や人の問題」「自治体文化政策を背景とした資金面の確保」「各地での公共ホールや専用ホールなどの建設」「オペラ上演機運の醸成」を通して明らかになっていくのは、「市民オペラという日本固有のあり方から見た市民社会の形成と展開」の様相であり、戦後日本社会における市民と芸術文化活動の実態、「公と民」との一筋縄ではいかない相互的な関係性である。特に自治体の文化政策に関して、「行政の文化化」という文言は、「市民オペラ」の領域を超えて、現代の市民の文化活動にとっても重要なキーワードだ。大阪万博が話題になる関西の地で、果たして市民はどう位置付けられているのだろう?

その市民オペラも、コロナ禍で上演の困難を経験した。評者も地元関西の「堺シティーオペラ」「みつなかオペラ」「芦屋市民オペラ」などを通して、地域における市民オペラの存在感をあらためて感じている。「市民オペラの未来」を考えるうえでも、市民社会にとっての「オペラ」という芸術の潜在的な可能性を考える意味でも示唆に富む、満を持して登場した必読の書である。

(2023/8/15)