評論|伊福部昭―独り立てる蒼鷺―12.ゴジラ、この不気味なもの ……『SF交響ファンタジー第1番』|齋藤俊夫
12.ゴジラ、この不気味なもの
Godzilla, the eerie.
Text by 齋藤俊夫(Toshio Saito)
「伊福部昭ってどんな人?」と尋ねられると、「ゴジラの作曲家」と応えてしまうのは筆者だけではあるまい。本当はゴジラの音楽だけではなく広大な領野を拓いた作曲家で、等々もっともっと語りたいのだが、どうしても「ゴジラの作曲家」とかいつまんで言ってしまう。それはゴジラという映画の偉大さが伊福部の音楽の偉大さとセットで日本人の(あるいは世界的な)共通認識となっているからである。
ゴジラは1954年公開の初作『ゴジラ』から2016年公開の近作『シン・ゴジラ』までで計29本撮られた(これら日本製の作品群とは別に、今までにアメリカで4作品撮られた)とても息の長い怪獣映画である。その歴史の中でゴジラは宿敵とも言える黄金の飛行三つ首竜キングギドラや、ゴジラの分身的存在たるメカゴジラなど様々な怪獣と戦い続けてきた。その闘いと大破壊に血湧き肉躍らせられた1人が筆者であることは否定しない。1989年作『ゴジラVSビオランテ』のビオランテの造形美、1991年『ゴジラVSキングギドラ』における東京都庁大破壊の一連のシークエンスの迫力、1993年『ゴジラVSメカゴジラ』のラドンがいなければメカゴジラが勝っていた最終決戦のドラマツルギーの巧みさ、1995年『ゴジラVSデストロイア』のゴジラ最期のメルトダウンに被さる伊福部聖歌の神々しき悲しさなどなど、語って良ければいくらでも語っていられる。
だが、このようなオタク的享受と消費を映画そのものが拒むゴジラ映画がある。それこそが1954年公開の元祖『ゴジラ』である。映画評論家・川本三郎の今読んでも切れ味鋭い批評、「ゴジラは何故「暗い」のか」にはこうある。
『ゴジラ』には破壊のカタルシスもないし、水爆や原爆の恐怖すらもスペクタクルの遊びにしてしまう荒唐無稽さもない。それはあくまで、のちの『ゴジラ』シリーズに出てくるものであって、第一作の『ゴジラ』にはない。「子供なんて事はひとつも考えてない」1)で作られた『ゴジラ』にあるのは、ただ「暗さ」である。2)
また戦争が起こるかもしれない、また東京空襲のような惨劇が繰返されるかもしれない。『ゴジラ』はその恐怖がモチーフになっている戦争映画なのである。(略)事実、本多猪四郎監督は、神保記者に「あれ(ゴジラの襲撃)は東京大空襲のイメージだ」と語ったという。3)
この「ゴジラ=戦争映画」説を裏付けるように、映画内のイメージにおいて、元祖『ゴジラ』だけにあり、その後のゴジラ映画、さらには東宝特撮映画群では現れない類のカットが存在する。その一部を列挙してみよう4)。
57分10秒 群衆がゴジラの放射熱線で殺される。
58分00秒 ゴジラが下を覗き込む顔を真下から見上げたカット、つまりゴジラに真上から覗き込まれている人々の視点のカット。
58分39秒 人々がゴジラに追われているが、道の分かれで直進したグループはおそらくゴジラに踏み潰され、曲がったグループは将棋倒しになりながらも辛うじて一命を取り留める。
62分00秒 街の燃え落ちていく中、母親が子供3人に「もう、お父ちゃまのそばに行くのよ。ねえ、もうすぐ、もうすぐ、お父ちゃまのところに行くのよ」と言っている。
65分58秒 テレビ塔がゴジラに倒され、落ちていく人物の視点による地面などを映した高速ショットが連なる。
上に挙げたものが全てではないが、『ゴジラ』のこれらのカットはゴジラが生身の人間たちを殺すところを限界まで直截的に映し出しており、このような表現はその後の東宝特撮映画では鳴りを潜めることになる5)。ただし戦車や戦闘機などは『ゴジラ』からそれ以後も破壊の映像の対象となった。
さらに川本の論を辿ろう。
川本は『ゴジラ』の末尾に流れる伊福部の音楽を指摘して
最後、ゴジラが海に消えてゆくところに流れる曲は、戦中派なら「海ゆかば」を思い出すことだろう。
そしてこのとき、『ゴジラ』は「戦災映画」「戦禍映画」である以上に、第二次大戦で死んでいった死者、とりわけ海で死んでいった兵士たちへの「鎮魂歌」ではないのかと思いあたる。ゴジラは、戦没兵士たちの象徴ではないか。(略)東京の人間たちがあれほどゴジラを恐怖したのは、単にゴジラが怪獣であるからという以上に、ゴジラが”海からよみがえってきた”戦死者の亡霊だったからではないか。6)
と指摘し、さらに論末で
平田昭彦扮する芹沢博士の死後、おそらくは明るく結ばれるであろう宝田明と河内桃子たちの世代がやがて次々に、明るい「空想を空想として楽しむ」怪獣映画を作ってゆくのである。それは、日本社会が「戦後は終った」と宣言して、高度成長の時代に入ってゆく過程と見合っている。その裏で、”みづくかばね”となったゴジラと芹沢博士が「死者を忘れるな」と言い続けているに違いない。7)
と結んでいる。
戦前・戦中の歴史があってこそ戦後(そしてやがて戦前?)があるということを忘れた、(今ではこの語を見つけるのも古い本の中だけだが)明るい戦無派の世界の中に氾濫する、「人間の形をした明るいゴジラたち」に向けて放たれる「自分たち=死者=本物のゴジラを忘れるな」というメッセージ。初代『ゴジラ』のこのメッセージは日本人に今なお重くのしかかる。いや、重いと感じねばならない。その義務が戦後日本人には課せられている。
この怨念を抱いた川本の「ゴジラ=戦没兵士」説を引き継いでさらに論を深めたのが加藤典洋『さようなら、ゴジラたち』所収の「さようなら、『ゴジラ』たち」である。8)
加藤は「ゴジラは、なぜ南太平洋の海底深く眠る彼の居場所から、何度も、何度も、日本にだけ、やってくるのか」9)と問いを立て、それに対して
その理由は、ゴジラは、亡霊だからである(略)ゴジラが亡霊であること、ゴジラが第二次世界大戦の日本における戦争の死者、より具体的には戦場に行ってそこで死んだ死者たちの双同物(体現物)にあたっている可能性を、示唆しているのである。10)
第一作の『ゴジラ』が日本人の観客に強く訴えた理由は、当時の日本人――いまもそうかも知れないが――にとっての戦争の死者の多義性を、このゴジラという怪獣が、このうえなく見事に体現しているからである。11)
ゴジラ=戦争の兵士の死者たちの亡霊が抱く多義性、それは、孤島大戸島をゴジラが襲う/日本軍兵士がアジアを襲うというアナロジー、日本の国家の自存自衛と東洋の白人支配の打倒のための戦争に散った兵士/アジア諸国を蹂躙し二千万の死者をもたらした侵略戦争の先兵のイメージの亀裂、東京大空襲の米軍/アジア空爆の日本軍の相似、原水爆の落し子/原水爆そのものの破壊的大怪獣というゴジラの存在の逆説性、といったように、相容れないもの・ことが多重に同居・内在していることを指す。このゴジラの多義性は決して解けず、また、解いてはならない問題であろう。どちらか一方に問いを引き寄せて解を得た瞬間に、我々はその問いを忘却する。少なくともデスクに座って本を読んでいるだけの我々に許されているのはそれを自分に関係あるものとして感じ、忘却に抗う、それだけだ。
加藤の論を追おう。
なぜ、『キングコング』が米国において特別の存在であり続け、『ゴジラ』が日本において、特別の存在であり続けるのか。(略)
フロイトは、自分に身近なもの、親しいものが、いったん排除され、抑圧され、隠されると、それは「不気味なもの」として再来してくる、と言っている。
(略)
日本人にとってのゴジラが、(略)不気味で恐ろしいもの、しかし、いったん撃退され、殺されてみると、急激に安堵とともに、後悔の念とはいわないまでもある後ろめたさ、あるいは悲哀の感情を喚起する特別の存在なのは、それが、日本人にとり、”unheimlich”(引用者注:不気味な(独語))なもの――かつては親しかったが、いまは抑圧され、遠ざけられたものの、再来する形――だからなのではないか。ゴジラは、おぞましい。そして恐ろしい「不気味なもの」として、一九五四年、ふいにスクリーンの上に現れた。12)
この「不気味なもの=ゴジラ」を、加藤は先述のとおりアジア・太平洋戦争での日本軍兵士だとみなす。何故彼(ら)は不気味なのか。それは先述の亡霊の多義性を持ちこたえることから日本人・日本社会が逃げ続けたからである。ゴジラという不気味なものが形をなす以前の死者から逃げ、ゴジラという形をとった不気味な亡霊を殺害した「日本の社会は、代替的に、戦争の死者という宙に浮いた「不気味な存在」を、以後、無害化しようと努めるのである」13)。かくしてゴジラは唯一の怪獣ではなくなり、アンギラス、ラドン、キングコング、モスラ、キングギドラといった同輩が多数現れ、ミニラという子供まで持つに至り、「不気味な存在」はただの一般的なキャラクターの1つにまで希釈され無害化される。
では今回取り上げる、ゴジラの音楽を使用した伊福部昭『SF交響ファンタジー第1番』(以下SFSF#1と略)は我々の内でどのように響くのであろうか。
まずSFSF#1で使われた音楽の原曲を時系列順に並べたのが以下の図表1である14)。
ざっとこの作品の構造を見ると、恐Track1~4→愛Track 5→恐track 6~7→闘(勝利)Track 8という物語的構造を持っていることがわかる。着目すべきは後半の「恐→闘(勝利)」の、特撮映画、怪獣映画の定石とも言うべき構造(だからこそ本作品でこの構造が取られたのだろうが)が、映画『ゴジラ』では否定されているということである。『ゴジラ』ではゴジラに歯向かう術はなく一方的に東京は蹂躙されつくす。ゴジラを殺せる唯一の超兵器オキシジェン・デストロイヤーは、発明者の芹沢博士がそれとともに自らの命を断つことによって製造法を世に知らしめないようにする。言うなれば芹沢博士は自らを人身御供とすることによってゴジラを殺したと言える。また、ゴジラも原水爆によって怪獣化した存在であり、映画の結末の山根博士の「このゴジラが最後の一頭だとは思えない」という台詞が示すように、人類が原水爆という最悪の兵器に頼るかぎりゴジラ(たち)にも安息はない。『ゴジラ』のこの結末はあくまでも悲劇、誰にとっても悲劇なのであり、「闘(勝利)」の晴れやかさはどこにもない。そのことは映画『ゴジラ』のエンディングに凱歌ではなく祈りの歌を当てた伊福部にもわかっていたはずだ。だがSFSF#1は勝利のエンディングを迎える。
川本三郎が論じたような「敗戦国」日本の戦争映画――戦争が悲劇と敗北で終わる――は元祖『ゴジラ』のみであり、あとは全て特撮SF娯楽映画――破壊と戦争の快楽を味わう――だった、と書いても概ね間違いではあるまい。逆説的だが、伊福部昭の罪は観客の幼児的好戦性を覆い隠す、圧倒的な迫力の音楽を書き続けてしまったことにある。
だがそれでも、伊福部音楽の中に加藤の論ずる「不気味なもの」を見出すことができる。譜例1はあまりにも有名な怪獣ゴジラのライトモチーフであるが、この5小節は12音で書かれているのである(ただしシェーンベルクらの12音技法ほど厳密に12音は使われていない)。このライトモチーフは音高をずらしても12音で現れる。筆者はここに伊福部がゴジラに寄せる多義的な感情を聴き取る。共感と憎しみと祈り、そのようなものが綯い交ぜとなったこの12音モチーフがゴジラに捧げられている、そう思えるのである。
ゴジラの圧倒的存在感を支えてきたのは伊福部昭に違いない。だが、商業ベースに乗ったゴジラの裏切りと歩を同じくしたのもまた伊福部昭ではなかったか。だがそれでも、伊福部の音楽に快楽以上のものを求めたい、それは筆者だけではあるまい。
1)竹内博・山本眞吾編『完全・増補版 円谷英二の映像世界』実業之日本社、2001年(原著1983年)、84頁の本多猪四郎のコメントを川本三郎が引用。
2)川本三郎『今ひとたびの戦後日本映画』岩波現代文庫、2007年(原著1994年)、78頁。
3)川本、前掲書、83頁。
4)参照したのはBD『ゴジラ』、TOHO、2019年。
5)人の死を直截的に映した例外的な作品として1966年本多猪四郎監督作『フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ』、1971年坂野義光監督作『ゴジラ対ヘドラ』が挙げられる。
6)川本、前掲書、86-87頁。
7)川本、前掲書、88頁。
8)加藤典洋『さようなら、ゴジラたち』岩波書店、2010年。
9)加藤典洋「さようなら、『ゴジラ』たち」『さようなら、ゴジラたち』岩波書店、2010年、148頁。
10)加藤、前掲書、148頁。
11)加藤、前掲書、149頁。
12)加藤、前掲書、166-167頁。
13)加藤、前掲書、171頁。
14)参照録音&ブックレット:広上淳一指揮、日本フィルハーモニー交響楽団、「SF交響ファンタジー第1番」、 キングレコード 、CD『伊福部昭の芸術 20周年記念BOX 第4巻』ブックレット42頁、を参照して、適宜修正を加えた。
参照録音:ユーメックス『完全収録 伊福部昭 特撮映画音楽 東宝篇 1、2、5、6、7』
使用楽譜:伊福部昭「SF交響ファンタジー第1番」フルスコア、日本近代音楽館所蔵。
動画:石井眞木指揮、札幌交響楽団:伊福部昭SF交響ファンタジー 第1番
(2023/8/15)