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東京都交響楽団 第978回 定期演奏会Bシリーズ|藤原聡

東京都交響楽団 第978回 定期演奏会Bシリーズ
Tokyo Metropolitan Symphony Orchestra the 978th Subscription Concert

2023年6月26日(月) サントリーホール
2023/6/26 Suntory Hall
Reviewed by 藤原聡(Satoshi Fujiwara)
写真提供:東京都交響楽団事務局

(演奏)        →foreign language
指揮:マルク・ミンコフスキ
コンサートマスター:矢部達哉

(曲目)
ブルックナー:交響曲第5番 変ロ長調 WA105(ノヴァーク版)

 

ミンコフスキと都響のブルックナーといえば2015年に第0番、そして2017年に第3番が演奏されていることはファンであれば先刻承知だろうが、ここに来て第5番を取り上げた。この作品はブルックナーがその創作において全体を貫く堅固かつ有機的な構成感をはっきりと打ち出した記念碑的な作品であり、他方ミンコフスキはフランス・バロックを始めとするいわゆる古楽をそのルーツとする音楽家である。単純なイメージではないのか、と問われればそうかも知れぬが、「剛」の極致たるブルックナーの第5と柔和な横のラインの流れで聴かせるミンコフスキがどう結び付くのかなかなか想像が付かず、実に興味津々である。なお、都響の編成は弦楽器16型で対向配置、木管は倍管、トランペットとホルンも指定より1名増員、この辺りも意外な気がした。

果たしてその演奏は、いわゆるブルックナー指揮者が聴かせるような構築性(別の言い方をすれば楽曲全体の統一性)で勝負するのではなく、誤解を恐れずに言えばまるでバレエ音楽を演奏するようにこのブルックナーの第5を指揮した。都響の響きは入念に練り上げられており、しかしそのしなやかかつ艶やかな音はブルックナーとしてはかなり異色である。

第1楽章において第1主題から第3主題に至るテンポ設定に長いスパンを見据えた一貫性はあまり感じられず、それぞれがそれぞれの部分で魅惑的な表情のもとに自由に振る舞っているとの印象がある。ギュンター・ヴァント辺りを理想とするようなオーセンティック(?)なファンが聴いたら明らかに難を示しそうな演奏ではあるものの、都響の高度な演奏力も相まってこれはこれで大変に見事な出来栄えではある。

第2楽章は神秘性や寂寥感はあまり感じられず、あるいはここでも部分の演奏効果が際立つように演奏されていると聴く(それが顕著なのは分厚く濃厚に歌われた第2主題)。

スケルツォではミンコフスキのリズム感と色彩感が無骨なこの音楽を小躍りするような軽快なものに一新させていて驚く。

ここまで聴いて、確かにミンコフスキはミンコフスキの「ブル5」を余りに明確に打ち立てており、凡庸な指揮者にはこんな芸当は出来まいとは思うものの、こちらの偏狭な感性のためかどことなく受け入れ難いものを感じていた、しかしそれも終楽章に接している最中には雲散霧消していた、と言ってよいほどにこの楽章の演奏は有無を言わせぬ説得力があった。対位法、つまりフーガの扱い。各声部の佇まいは柔らかいのだが、全体の響きの中での優先順位が都度明確にされている=響きが整理されているので音響はごちゃごちゃせずにどれだけ鳴らしても明晰さを保つ。この背後にミンコフスキのルーツたるバロック音楽の対位法への習熟との関連を見出すのは容易だろう。ミンコフスキは単に柔らかいだけの指揮者ではなかった(当たり前?)。そうでなければほとんど指揮したことのない、というこの難曲をこれだけ上手く捌くことは不可能ではないか。全く禁欲的ではない豪華極まりない大音響絵巻の快楽と細部の腑分けの両立は恐るべきものだ。ここまでやられるとぐうの音も出まい。

さてここまで書いて自ら言うが、この奥歯にものの挟まったような文章/文体から、本ブルックナー演奏がその高度な演奏自体には驚嘆しつつも筆者を根本から打ちのめすものではなかった、と読まれるならばそれはあながち外れてはいまい。時間の経過に伴うカタルシスに欠けているように思われるから。

(2023/7/15)

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〈Player〉
Marc MINKOWSKI,Conductor
Tatsuya YABE,Concertmaster

〈Program〉
Bruckner: Symphony No. 5 in B-flat major, WAB 105 (Nowak ed.)