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プロムナード|夏の思い出|大河内文恵

夏の思い出
Memories of summer

Text by 大河内文恵(Fumie Okouchi)

夏になると思い出す光景がある。大きな病室の壁際にいくつかのベッドが置かれ、そこに小さな子どもが寝ていて、その傍らには心配そうな家族が付き添っている。20年以上前に見た光景だけれど、今でも心の奥に焼きついている。ベッドに付き添っている家族の1人は私で、その視線の先で寝ているのは私の子どもだ。

高熱と機嫌の悪さが尋常でなく「何かおかしい」と、近所の小児科に駆け込むと、診察した医師は、どこかに電話をかけ始め、「僕の友人のところに頼んだから、今すぐタクシーに乗って行って。完全看護の病院で付き添いはいらないから大丈夫」と気遣ってもらいつつ、親子3人、着の身着のままタクシーに乗せられ、大きな病院に行った。

その当時住んでいた自治体には乳幼児医療補助制度があり、マル乳医療証を見せれば支払いをしなくてよい仕組みだったため、財布は持っていたけれど現金はわずかしか入っておらず、タクシーのなかで夫と互いの財布に入った現金を見比べて、タクシー代足りるだろうかと心配した。

タクシー代はギリギリ足りてホッとし、大きな病院に着いて少し安心した私は、応対を夫に任せて一旦家に帰り、入院準備をしてまた病院に戻った。その間に医師から説明をきいた夫によると、いろいろ検査をしできるだけの処置をしてもらっており、原因を探っているところだという。そのなかで「覚悟してください」と言われたと。ちょっと待って。それって最悪の事態もありうるってこと?

次の日から病院通いが始まった。家から1時間くらいかかる距離で、病院の朝食が出る時刻の前には病室にいなければならない。完全看護と聞いていたが、できれば付き添いをお願いしますと言われたら、しないわけにはいかない。というより、心配で仕事どころではない。職場には事情を話してしばらく休ませてもらった。

早起きをして電車に乗って病院へ行き、消灯時間後に子どもが寝入ったのを見届けて帰る日々。子どもには食事が出るけれど、付き添いにはもちろん何もなし。行く途中のコンビニでパンやお握りを買って、隙をみてお腹に入れる。パンもお握りも1個全部食べられるなんてことはほぼなく、授業中に先生の目を盗んで早弁をする生徒のように、こそっと一口、また一口という具合に分けて食べているからお腹がいっぱいになっているのかすいているのかもうわからなくなる。

子どもが起きている間はトイレにも行けない。お昼寝した隙に隣のベッドのご家族に声をかけてトイレに行くことを覚えたのは3日目くらいだったろうか。そんなに無理したら倒れるよと忠告されても、いや今一番大変なのは子ども自身でこれくらいたいしたことじゃないと言っていたら、1週間後に自分が倒れた。

その日はたまたま引っ越しの日で、病院には行かない旨を伝えてあったのが不幸中の幸い。とはいえ、引っ越し当日に指示を出すべき人が具合悪くて枕とタオルケットを抱えて部屋の隅で寝ているという、引っ越し業者さんには大迷惑な事態になった。業者さんへのお茶出しやら最後のごみ処理などは近所のママ友さんが全部引き受けてくれた。彼女には一生足を向けて寝られない。

病気の原因を突き止められたのはかなり後なのだが、いくつか試していた薬の1つが効いて快方に向かい始めたこともあり、私はそれまでのやりかたを改め、病室の滞在時間を少し短くし、ご飯をちゃんと食べるようにし(といっても限界はあるが)、夜も寝るようにした(実は倒れるまでは毎日親戚から心配の電話がかかってきて夜もあまり寝ていなかった)。

少し余裕が出てきて周りが見えるようになると、何日かおきに、新しい子どもが入院してくるのに気づく。私たちと同じように、みな着の身着のままやってくる。真夏だったから、Tシャツに短パン、サンダルといった格好が多かった。急性の病気の子が入る部屋にいたから、どんどんベッドが回転していたが、ずっと入院している子どもたちがいる界隈があることにもそのうち気づき始めた。

退院するとき、「今だから言いますけど、亡くなってしまう子もいる病気だったんです。この病気は1/3は残念ながら亡くなり、1/3は後遺症が残る。幸運な1/3に入りましたね」と医師に告げられた。朝から晩まで病棟にいて、私がしょっちゅう色々尋ねても嫌な顔1つせず丁寧に答えてくれ、何かと励ましてくれていた研修医の先生たちは、私に絶望させないよういつも丁寧に言葉を選んでくださっていたのだとその時気づいた。

子どもは退院後自宅療養を経て、普通の生活に戻り、今はすでに社会人になっている。こんな体験、二度としたくはないけれど、これがなかったら知らなかったことがたくさんあった。子どもが入院することが家族にどのくらいの負担になるか。自分が1週間後に倒れたので、後から来たご家族には自分の体験を話して「気をつけてね」と言ったけれど、やっぱりみんな1週間後に倒れていた。今時の病院はたいてい貸しパジャマがあって、大人の入院はそれを使うことが多いけれど、赤ちゃんにはそれはない。子どもの着替えやパジャマは疲れて帰ってから洗濯するしかない。

この入院では泊ることはなかったので気づかなかったが、別の子どもが一晩入院した際には、付き添いの親には寝るところがなく、子どもの小さな柵付きのベッドに一緒に寝てくださいと言われ、ほとんど眠れなかった。

最近、入院児の家族のためのレストランやケータリングの記事を見かけるようになった。自分への反省も込めていうが、子どもが入院している間は、目の前のことに対処するのに精一杯で改善のための仕組みなどというところまで考えが及ばない。やれたことといえば、休みの日に夫が付き添いを代わってくれると病院の周りを散歩しつつ、オムツを買えるお店を探索し、入院したばかりで困っている人に教えてあげたことくらい。

そして退院すると、入院していた頃のことは記憶の奥底へしまわれてしまう。入院だけでなく、たとえば保育園でのこと、小学校でのこと、中学校以降のこと、その時はいろいろ思うことはあっても、通り過ぎたことは忘れてしまう。

春の統一地方選挙に立候補した若い母たちのドキュメンタリー番組を見たとき、SNSにこんなことを書いた。「保育園にご飯だけ持たせなきゃいけないこと、布団を毎週末持ち帰らなきゃいけないことなど、おかしい!変えられる立場に立ちたい!と立ち上がった人達。私たちの世代にもそうやって立ち上がった人たちはいたけれど、やっぱりそれは並外れた意識とかエネルギーがないと難しいように見えた。でも若い世代は新しい方法でそのハードルを越えていく。何だか私たちの世代がその日生きていくのに精一杯で取りこぼしてきてしまったことを、こうやって若い人達が何とかしようと頑張ってるのを見て泣けてきた。」

いつか、「昔はこんなだったんだ。信じられない(今はそうじゃないから)」と皆が驚く日が来ることを祈りつつ、ある夏の思い出を振り返ってみた。

(2023/7/15)