エクス・ノーヴォvol. 17 アレサンドロ・スカルラッティ オラトリオ《カイン または最初の殺人》|大河内文恵
アレサンドロ・スカルラッティ オラトリオ《カイン または最初の殺人》
EX NOVO vol. 17 Alessandro Scarlatti Cain overo il primo omicidio
2023年6月3日 浦安音楽ホール コンサートホール
2023/6/3 Urayasu Concert hall
Reviewed by 大河内文恵 (Fumie Okouchi)
Photos by ATSUKO ITO (Studio LASP)/写真提供:一般社団法人エクス・ノーヴォ
<出演> →foreign language
カイン:村松稔之
アベル:佐藤裕希恵
アダム:山中志月
イヴ:阿部早希子
神の声:新田壮人
悪魔の声:薮内俊弥
第1ヴァイオリン:池田梨枝子、堀内由紀
第2ヴァイオリン:高橋亜季、遠藤結子
ヴィオラ:松隈聡子
チェロ:懸田貴嗣
コントラバス:布施砂丘彦
テオルボ:佐藤亜紀子
チェンバロ:矢野薫
指揮:福島康晴
共同制作:三ヶ尻正
楽器提供:石井賢
新たな地平が開いた。アレッサンドロ・スカルラッティってこういう作曲家だったのか!と。西洋音楽史において、A.スカルラッティはナポリ派オペラと併せて語られる。ダ・カーポ・アリアやイタリア風序曲の確立、レチタティーヴォとアリアの分化などとともに言及されるために、知らず知らずのうちに後の「ナポリ派」の作曲家たちと同一視してしまっていたかもしれない。
音楽史上で有名なわりに、彼のオペラは『イタリア歌曲集』に収録されているアリアを除くとオペラ全体が上演されることはほとんどなく、カンタータが演奏されることが稀にあるくらいで、アレッサンドロの曲を知る機会は知名度と反比例して驚くほど限られている。
配布された冊子の解説(三ヶ尻正)によれば、このオラトリオの初演の日付や場所は明らかではないが、楽譜に1707年1月7日ヴェネツィアと記載があるという。おそらく四旬節の時期であるためにオペラではなくオラトリオが準備されたのであろう。
登場人物は、アダムとイヴ、その子どもであるカインとアベルとシンプルで、そこに神の声と悪魔の声が加わった6人のみ。序曲は、これから始まる物語を予感させる池田のヴァイオリンのソロで始まる。第1部には冒頭以外に2か所シンフォニア(器楽のみの部分)が差し挟まれるが、それが全体のなかのアクセントになっている。おそらくオペラだったらちょっとした舞踏が入ったり、場面転換がおこなわれたりするのであろう。
前半の山場となるのは、2つめのシンフォニアの直前のアベルとカインの二重唱。同じ光景を見ているのにアベルは神の栄光を讃え、カインは怒りを募らせる。同じ時代に同じ場所で暮らしながらも全く考えが異なる人々が対立するという、歴史上も現代にもよく見られる情況が、こんなふうに世界が始まった時代からあったなんてと切ない気持ちになった。
このシンフォニアの直後に神の声が登場する。神の声は舞台上ではなく、2階席で歌われ、天から声が降りてくる仕掛けになっていた。対立する人間たちを超越した存在である神の声が響きのよい新田の声で歌われることで情景がはっきりと切り替わる。
この部分の最後、今度はアダムとイヴによる二重唱で、阿部の透明感のあるソプラノと山中のよく響くテノールとの合わさり具合が絶妙だった。再びシンフォニアで区切りがつくと、今度は悪魔の声。薮内のドスの効いたバスの声がこれまた悪魔の声にどんぴしゃり。
第1部の終わり近くにはアベルとカインの二重唱がある。この曲は2台のヴァイオリンで始まるのだが、この部分が器楽伴奏というよりももう一組の二重唱のように聞こえた。この場面に限らず、器楽奏者たちが雄弁で楽器で弾いているのにイタリア語をしゃべっているように聞こえるところが多々あった。第1部の最後、「non è vero(いつわりなのだ)」の部分だけ伴奏が省かれており、劇的な幕切れともう後戻りできない決定的瞬間が表象された。
第2部に入ると、ストーリーも音楽もさらに劇的になる。34番のカインのアリアでのせせらぎとざわめきとがイタリア語で歌っているのに本当にそう聞こえてきて胸が締めつけられた。アベルがカインに殺される場面でのアベルの最後の言葉「ああ、死んでしまう」の表現が秀逸。その後の退場の仕方も工夫されていた。
シンフォニア、神の声に続いてカインのアリアが2つ出てくるのだが、2つめの46番のアリアはいかにもナポリ派らしいアリアで、ここへ来て、それまでがナポリ派よりも古い時代の様式で書かれていたことに気づいた。とはいえ、そこからすべてがナポリ派の様式で書かれているわけではなく、アダムとイヴの二重唱では以前の様式に戻る。それによって、カインの世代とアダムとイヴの世代との世代間格差が露わになるのだ。
天上のアベルのアリアに続くのは、イヴとアダムの嘆きのアリア。親心の切なさが心に響く。そうして最後には、アダムとイヴの二重唱で救われてこの物語は終わる。
モンテヴェルディが後期ルネサンスと初期バロックの両方の様式を自在に使い分けたとすれば、A.スカルラッティは初期バロックとナポリ派オペラの両方の様式を巧みに組み合わせたといえるだろう。それがまざまざと感じられたのはエクス・ノーヴォの演奏であればこそ。
楽譜に書かれた音符を美しい音で奏でるだけで成立する音楽ではなく、それぞれの箇所の様式を楽譜から汲み取って全体を組み立てていく作業には、それなりの困難もあっただろうが、演奏後に福島は「楽譜を勉強していて名曲であることを確信したし、本番で『いい曲だ!』と思った」と語っていた。たった1回で終わってしまうのはあまりにもったいない。
(2023/7/15)
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<performers>
Conductor: Yasuharu FUKUSHIMA
Toshiyuki MURAMATSU(countertenor)
Yukie SATO(soprano)
Shizuki YAMANAKA(tenor)
Sakiko ABE(soprano)
Masato NITTA(countertenor)
Toshiya YABUUCHI(bass)
Violin: Rieko IKEDA, Yuki HORIUCHI, Aki TAKAHASHI, Yuiko ENDO
Viola: Satoko MATSUKUMA
Violoncello: Takashi KAKETA
Contrabass: Sakuhiko FUSE
Cembalo: Kaoru YANO
Theorbo: Akiko SATO