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田原綾子 ヴィオラ・リサイタル B→C バッハからコンテンポラリーへ [253]|丘山万里子

田原綾子 ヴィオラ・リサイタル
B→C バッハからコンテンポラリーへ [253]
B → C : From Bach to Contemporary Music [253]
Ayako Tahara Viola Recital

2023年6月13日 東京オペラシティ リサイタルホール
2023/6/13 Tokyo Opera City Recital Hall
Reviewed by 丘山万里子(Mariko Okayama)
撮影:池上直哉/提供:東京オペラシティ文化財団

<演奏>
田原綾子(ヴィオラ)
實川 風(ピアノ/チェンバロ)*

<曲目>
西村 朗:ヴィオラのための《アムリタ》(2021)
武満 徹:鳥が道に降りてきた(1994)*
ヴュータン:ヴィオラ・ソナタ 変ロ長調 op.36 *
梅本佑利:電波ちゃんは死なない♡(2022〜23、田原綾子委嘱作品、世界初演)
J.S.バッハ:ヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロのためのソナタ第1番 BWV1027 *
ノックス:無伴奏ヴィオラのための《フーガ・リブレ》(2008)
森 円花:フレンズ ─ ヴィオラとピアノのために(2022~23、田原綾子委嘱作品、世界初演)*
ヒンデミット:ヴィオラ・ソナタop.11-4 *

(アンコール)
岡野貞一(實川風 編曲):朧月夜

弾くのが嬉しい、ヴィオラ大好き。出てくるだけでそれが伝わるいつも笑顔の田原。深く豊かなヴィオラの響きが似合う。B→Cでのプログラムはヴァラエティ豊かなもので、その組み立てが面白い。
前半に邦人作品3曲とヴュータン。
まず、西村朗『アムリタ』。アムリタとはヒンドゥー古代神話にある甘露・不老不死の霊水のことで、これを争う神々と魔族の攻防をいかにも西村的に描いた作品。2022年第5回東京国際ヴィオラコンクールの課題曲だが、昆虫の羽ばたきトレモロ、幻惑グリッサンドに高音域重音、フラジオレットにケチャとてんこ盛りゆえ、参加コンテスタントたちも弾いて楽しかったのではなかろうか。ヴィルトゥオジテというのはこういうところでこそ生き生き溌剌と披露されるのであって、むろん田原もその芳醇な響きと陰陽のコントラストをダイナミックに奏出し、日食月蝕(この神話のエピソードの一つ)を見るようであった。
西村が初期に大きな影響を受けた武満の『鳥が道に降りてきた』は名ヴィオリスト今井信子に献呈された作品。こちらもいかにも武満ワールドで淡い色彩と光芒、そして独特の静寂が支配する。西村の汎アジア世界と並べると、武満が手放せなかった西欧、ドビュッシーへの憧憬をつくづく感じさせる。この2曲の動と静の対照性はまた、戦後日本の2人の立ち位置をくっきりと示すものであった。ここでの實川のピアノ、武満の音の朧な陰翳を実に繊細に響かせ、田原の描く弧線の上でそっと囀るのであった。
次いで弾かれたヴュータン『ソナタ』の冒頭一音で、ヴィオラ好きのこの夜の聴衆は、おお、これだよね、ヴィオラは、と思ったに違いない。なんとも甘やかな、満足のため息が客席から聞こえるようであったから。現代曲2曲のあと、やっとありつけた真打ちスイーツみたいなもので、それほどにメロディアスにしてロマンティック、陶然と歌いそぼる音楽の素直な純情に、心揺蕩わせる古典的幸福を満喫するのであった。
その後に来たのが2002年生まれ梅本佑利『電波ちゃんは死なない♡』だから効果てきめん。「常人離れした閃きとパンチのある個性的な表現が面白い」( 「B→C」 HPより)と田原が委嘱、その世界初演だ。幼少期から秋葉原の電気街を父に連れられ過ごした、それが自分のアイデンティティで原風景という今どき若者の心象風景の擬人化だそうで、街に流れる「電波ソングやアニソンで象られた歪な景色」を描いたという(自作解説より)。筆者世代には未知の世界だが、最近2回、用事でこのアキバを訪れることになり、これがアニオタ文化と呼ばれるものか、と目を見開いた。確かにメイド喫茶の愛らしきフリフリ嬢が並び立ち客引きするその風景、制限解除で来日ラッシュの海外観光客(ほぼ欧米人だった)が目を輝かせて賑やかな音楽の飛び交う店々(フィギュアだのゲームだの)に吸い込まれてゆくさまは、これが「文化」なのだと感慨さえ覚える。「お帰りなさいませ、ご主人様」「萌え萌えキューン」にはしゃぐ男女観光客を(TVニュースにて)、かつての「フジヤマ・ゲイシャ」と同じ趣味というふうに片付けるのは簡単だが、米軍占領下、古くは『蝶々夫人』の類と異なるのかどうか、筆者にもわからない。パリの美術館で遭遇した日本のアニメ展に群がる人々と、能や歌舞伎に喝采する人々のどちらが文化的など言えないように。いや、ここで社会・文化論など論じるのは野暮で、ほぼ音階のヴァリエーションの間を何やら浮沈するsongらしきものの往来、田原のボウイングのシュッシュから逞しく跳ね飛ぶ音のさまに妙に納得したのであった。勢いよく楽しそうに弾きまくる彼女。やはりそこにはある種の快感が見てとれた。

後半はグッと時代が飛んでバッハのガンバとチェンバロ作品であれば、いかにも最先端からゆかしき古典、みたいなことになるかといえば、そうでもない。言ってみれば音の運動性の悦楽、という意味で、梅本とさして変わらないのではないか。梅本世代の共通言語や共風景にあるものと、バッハのそれとの相違より、単なる音現象と捉えれば、西洋音楽伝統手法の巧みな音操作手腕と、梅本のごく単純な作りとの間にさほどの隔たりがなく思えたのは、田原のある意味での音楽的偏見・段差のなさ、自然体の産んだものに思える。
そうなると、続くノックの多様な現代性もまた音の運動性の延長線、時代の要求を映した音操作、西洋音楽史上での変化変遷にとどまると見えてくる。
最後のヒンデミットのソナタの前に置かれたのは、こちらも委嘱新作、森円花『フレンズ』。一柳慧のそれ(独奏ヴァイオリン)のタイトルを念頭に書かれた作品で5分ほどの小品だが、なるほど「田原の歌心」(自作解説)を生かした歌を多様な奏法でモダンに彩る。外連なきその軽やかさは国際派先輩たる望月京を思わせるものがあった。
締めくくるヒンデミットに田原の実力の全方位性が証されたが、筆者はやはり、彼女なりに咀嚼された西洋音楽史の上に並べた邦人作品への熱く柔軟なアプローチに拍手を送りたい。
『朧月夜』(アンコール)の編曲まで披露した實川、筆者日頃から注目の若手だがここでも素晴らしいピアニズムで応え、この世代の演奏家たちの層の厚さを改めて頼もしく思う一夜であった。

(2023/7/15)

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<Performers>
Ayako Tahara (Va), Kaoru Jitsukawa (Pf / Cem)
<Program>
A.Nishimura: Amrita, for viola (2021)
Takemitsu: A Bird Came Down the Walk (1994)
Vieuxtemps: Sonata for viola and piano in B flat major, op.36
Y.Umemoto: Dempa-chan never dies♡ (2022-23, commissioned by A.Tahara, world premiere)
J.S.Bach: Sonata for viola da gamba and harpsichord No.1, BWV1027
Knox: Fuga libre, for solo viola (2008)
M.Mori: FRIENDS for viola and piano (2022-23, commissioned by A.Tahara, world premiere)
Hindemith: Sonata for viola and piano, op.11-4

(Encole)
Teiithi Okano(arranged by Kaoru Jitsukawa): Oborozukiyo