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transit Vol.16 マリー=アンジュ・グッチ|西村紗知

transit Vol.16 マリー=アンジュ・グッチ
transit Vol.16 Marie-Ange Nguci

2023年4月29日 王子ホール
2023/4/29 Oji Hall
Reviewed by 西村紗知(Sachi Nishimura)
Photos by 藤本史昭/写真提供:王子ホール

<演奏>        →foreign language
マリー=アンジュ・グッチ(ピアノ)

<プログラム>
スクリャービン:ピアノ・ソナタ 第5番 Op.53
ラフマニノフ:ショパンの主題による変奏曲 Op.22
********** 休憩 **********
ラヴェル:「鏡」より 海原の小舟
プロコフィエフ:ピアノ・ソナタ 第6番 イ長調 Op.82 「戦争ソナタ」
*アンコール:
サン=サーンス:6つのエチュードより ラ・パルマの鐘 Op.111-4
ラヴェル:左手のための協奏曲より カデンツァ
J.J.フローベルガー:パルティータ 第30番 イ短調
「憂鬱を晴らすためにロンドンで作られた嘆きの曲」 FbWV630 第2楽章、第3楽章

 

演奏会を聴きに行って、アンコールの選曲が本編より重要なものに思えることがある。本編は気合いの入った勝負曲、アンコールは演奏者の教養形成をそのまま反映させているもの、といった違いがあると思えば、アンコール曲を通じて本編を振り返って演奏者の印象が変わってくる、ということはたまにある。
マリー=アンジュ・グッチの演奏については、揺るがない物腰の柔らかさを第一印象として感じた。音質はマットな質感で、色彩の感覚はかなり節制しているように感じられ、ところどころに静かな洞察が光るような、控えめな演奏をする人だと思って聴いていた。
この日のプログラムには、スクリャービンのピアノ・ソナタ第5番なら低音部の底抜けの暗さだったり、ラヴェルの「海原の小舟」には光の眩しさが、プロコフィエフのピアノ・ソナタ第6番には乾きと険しさと、つまりどの作品にも聴衆が思わず一瞬身体を緊張させるような場面がありそうなものだったが(それは作品に備わる崇高さ、と言えばよいのか)、聴いていてほとんどストレスがない。こういう、言ってみればこの演奏者の首尾一貫性というのを、作品の再現として考えたときに、どう受け止めてよいものか悩みどころだと筆者は感じていた。
だが、最後のフローベルガーを聴いてやっと何かわかったような気がした。この日の演奏から感じられていたもの、それは調和の理念である、と。彼女の音楽に、何が起こっても包括する感覚が、内から表出するより外から抱き止めていく感覚がある。バロック音楽の素養がしっかり彼女の表現を貫いているからこそその表現が可能なのだろう、と想像できたのは最後のアンコール曲が終わってからだった。アンコールで披露されたような作品の側からロシア音楽の表現を再構成する。この日の演奏はそうしたものだったと思うに至った。
そう考えると、この日は元々シューマンのクライスレリアーナが組み込まれていたのだが、時に底抜けに陰鬱な響きと、急に吹き上がる快活さと、つまりは取り乱しの表現の総体であるところのこの作品を彼女がどう演奏するのか、今はそのことがとても気になっている。

(2023/5/15)

         

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<Artist>
Marie-Ange Nguci (Piano)

<Program>
Scriabin: Piano Sonata No.5 Op.53
Rachmaninoff: Variations on a Theme of Chopin in C minor, Op.22
-intermission-
Ravel: Une barque sur l’océan from “Miroirs”
Prokofiev: Piano Sonata No.6, in A major, Op.82
*Encore
Saint-Saëns: Les cloches de Las Palmas from “Six études” Op.111-4
Ravel: cadenza from “Le Concerto pour la main gauche”
Johann Jakob Froberger: Partita No. 30 in A minor 2nd movement, 3rd movement FbWV630