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パリ・東京雑感|やっぱりパリは楽しい 会釈の効用|松浦茂長

やっぱりパリは楽しい 会釈の効用
Return to my apartment in Paris  

Text&Photos by 松浦茂長(Shigenaga Matsuura)
 

3年半ぶりにパリにやって来た。年寄りは人混みに出るなと言われ続けて、家に閉じこもる習慣が身についてしまったせいか、外国に行くのがとんでもない冒険のように思え、無事にわが家にたどり着けるか自信がなかった。「毎年パリに行くなんて、なんと面倒なことをしていたのだろう、パリの家は手放してさっぱりしよう」と、弱音を吐きたい気持。おまけにウクライナ戦争のせいでロシア上空を飛べないから、15時間の長旅だ。

アールヌボーの傑作ビュット・オ・カイユ・プール(パリ市ホームページから)

もうひとつ気が重かったのは、プールの水温である。パリのイダルゴ市長は環境問題に熱心な人で、2016年にプールの水温を27度から26度に下げ、二酸化炭素排出量を減らそうとした。1度下げると10パーセントのエネルギー消費節約になるのだそうだが、寒さに震える水泳好きから猛烈な苦情が出て、すぐ元に戻された。しかし今度はロシアの天然ガスに頼れず、停電のリスクさえある深刻なエネルギー危機。大義名分があるから、パリ市は断然26度に下げ、子供達がブルブル震えても意に介さなかった。
杉並区のプールは30―31度。寒がりの僕は、これまで歯を食いしばって27度のパリのプールをやっと耐えていたのだから、26度では命が危ない。毎朝泳がないと目が覚めないプール中毒の僕にとっては、深刻な事態だ。
それにマスクも気懸かりだった。「不要不急の」外出、外食を自重してコロナから身を守ったのに、マスクなしのパリに行ったら感染するかもしれない。実際、JALの機内では全員マスクしていたのに、空港に降りたら全員マスクを外した。悪い予感がする。 

あれやこれやで心は重く、15時間座席に縛り付けられボーっとした状態で、わがアパルトマンにたどり着き、鍵を差し込んだ。3年半放置した家がどんな有り様か、たださえドキドキするのに、鍵が言うことを聞いてくれない。 かっと頭に血が上った。しかも錠全体がぐらぐらなのだ。泥棒が壊したのか?わが家の正面は警察(といっても泥棒を捕まえてくれる人たちではなく、遺失物センター、爆発物処理班、駐車違反取締など)だから、泥棒は来ないものと高をくくっていたのだけれど…… 

ブラッサンス公園入口には、牛の勇姿ー1975年まで屠殺場だった

今までは、着いたその日にパンと果物を買いに出ると、きのうまで暮らしていた町を歩いているみたいな――留守の半年が消えてしまったような不思議な気持になったものだが、3年半となるとそうは行かない。いや、適応が遅いのは年取ったせいかな?
それでも3-4日すると、気持が軽くなり始めた。そもそも、20年前、パリで暮らす気になったのはなぜだったのか?――パリに惹かれた感触みたいなものを忘れかけていたけれど、だんだん記憶がよみがえってきて、やっぱりここには15時間かけてくるだけの魅力があると納得しはじめたようだ。 

そう、1967年にパリに来てまず感激したのが会釈だった。細い歩道ですれ違うとき、こちらが右によけ、相手も同じ向きによけたらどうするか? 日本だったらなるべく無表情に向きを変え、ちょっと頭を下げるかもしれない。パリではニコッとする。細い道に障害物があり、その向こうでこちらが通るのを待っていてくれたらどうするか? 日本だったら静かに頭を下げ、うつむいて通る。とりわけ相手が異性だったら決してニコッとしてはいけない。パリでは10年の知己のように無防備な頬笑みをかわす。
赤ちゃんでさえこちらと目が合うとニコッとするところから考えると、フランス人のニッコリ会釈は、エチケットと言うより生まれながらの持ち味、「愛想」というより「愛嬌」なのだろう。
ともかく毎日たくさんの笑顔に出会うおかげで気持が軽くなった。ニッコリ会釈の効きめはてきめんだ。もしかしたら、毎日こんなにひんぱんに会釈したのは初めてかもしれない。それというのも、もとをただせばプールの水温が下がったためかもしれない。

おすすめは20回ずつ3ラウンド。すべての器具を指示通りこなして3周すると1時間かかる

水温26度のプールに挑戦するのは暑い季節になってからにして、とりあえず隣の公園を走ることにした。もと屠殺場だった公園には、足や腕の筋肉をきたえるごつい器具が数台あるので、それも全部やることにした。すると恐ろしいほどの会釈の交歓になる。痩せた日本の年寄りがぶら下がったり引っ張ったりするのを見つければ、どうしてもフランス人はじろじろ見たくなる。こちらと目が合えばニッコリ。その相手とジョッギングの途中でまた出会えば旧友と再会したみたいに「ボンジュール」。毎日同じ連中に会うから、日を追って「ボンジュール」の頻度が高くなる。
「愛嬌」といえば、パリの職人さん、仕事はいい加減だけれど、楽しい人が多い。錠前屋は自分の仕事を10回も自画自賛する豪快な男だった。(彼の取り付けた錠なら、プロでもこじ開けるのに40分かかる、と保証した。)
風呂の水栓からポタポタ水がたれるし、洗面の蛇口からは細々しか水が出なくなったので、これも修理を頼んだ。「最高の品質のドイツ製混合水栓と取り替えた」と自慢して帰ったが、レバーを赤い方に回すと水が出て、青い方に回すとお湯が出る。15年ほど前台所の蛇口を換えてもらったときも、この男はお湯と水を逆さにつないでしまった。電話すると、すぐやってきて、「間違えちゃった」と言って(お詫びは一言もない)つなぎ直してくれたのは良いが、「請求書の計算が違っていた。」と言って、不足分160ユーロ(約2万円)まで徴集して帰った。それでも腹が立たないどころか、底抜けのいい加減さが愉快になるのは、なぜだろう?
パリに住みついたドイツ人女性が「フランス人のいい加減なところが良いのよ。いい加減でなくなったら、フランスの楽しさがなくなるわ。」と言っていたのを思い出す。
 

とはいえ、郵便局のいい加減にはウンザリする。先月は「郵便物が大きすぎてポストに入らなかったから、局まで取りに来い」と書いた紙切れが入っていたから郵便局に行くと、長い時間待たされたあげく、「見つからない。明日また来て下さい」。翌日行くと「出てきません」――もうあきらめるしかない。東京の家に届いた郵便物を息子が毎月送ってくれるが、ごっそり行方不明になったこともある。切手の宅配を注文したのに待てど暮らせど配達されず大損したことも……
 

フランスのフジの花はなぜか匂わない

ところで、話を微笑に戻して、ロシアから日本への留学生が「国に帰ると微笑が見られなくなるのが淋しい」と言っていた。町で決して頬笑みに出会うことのないロシアに比べれば、日本は頬笑みの国――店員は客に微笑むし、知った顔に合えばもちろんニコッとする。フランスにくらべ、見ず知らずの他人からの笑顔に出会うチャンスが少ないだけだ。
いや待て、フランス人もスーパーの店員は絶対にニコッとしない! 育ちの良さそうな中年のご婦人は、店員に向かってにこやかに「ボンジュール」とあいさつして、店員から微笑を引き出そうとするけれど成功しない。共産主義時代のモスクワでは、客が店員にへつらい、ときおり付け届けをして稀少な肉などを確保しなければならなかった。(長い行列をしてケーキが手に入れば天にも昇る心地――そんな経験をしないと、客が店員に取り入る気持は理解できないだろう)。
ものがあふれるパリで、物不足共産主義時代のモスクワと似た現象が見られるのは驚きだ。彼女たちはスーパーのレジのような仕事と和解できない、仕事を呪いつつ生きているかのよう。フランスの職場には仕事を楽しくさせない何かがある。定年が2年延びるのに反対してスト・デモの嵐が巻き起こり政治危機になったのには、深刻な理由がありそうだ。 

それはともかく、笑顔がこんなに好きなフランス人だから、口許を隠すマスクはさぞつらいに違いない。パリでは地下鉄の中でも、マスクをする人はほとんどいない。しかし、奇妙なことにマスクをする人は、公園を走るときも、人通りのない道を歩くときもマスクを外さない。アパルトマンの隣人に食事に呼ばれたとき、5階の大学教授は食べるときもマスクをあごにかけていた。どうやらマスクは一つの主張なのだ。アメリカのようにイデオロギー化してはいないだろうが、「感染のリスクが残っている以上、マスクをするのが正しい」と自分の信念をはっきり示す、思想表現だ。表現の自由を大切にする国だから、マスクをかけた人が変な目で見られることはない。僕も安心して(人混みでは)マスクをすることにした。 

さて、乳母車の赤ちゃんでさえ他人の顔を見てニコッとするのは、愛されたいからだろう。ラテン人は生まれながら愛したい愛されたいという思いが濃厚なのだ。赤の他人にも人なつっこく愛嬌をふりまくのだから、友人関係となると実に熱い。
4階に住む元医者のアニーさんは、最初の2週間に4回食事に呼んでくれた。気の置けない客ばかりなのに、毎回シャンパンから始まって、フォアグラ、パテなどの前菜、主菜はイノシシ、ノロジカ、ホタテ貝、小羊……前菜だけでほぼ満腹したのに、主菜のあとチーズと巨大なデザートが続く。フランスで食事に招かれて、この正式コースを省略したメニューに出会ったことは一度もない。
アムステルダムでオランダ人ジャーナリストの家に呼ばれたとき、アスパラガスとジャガイモの夕食だった。胃袋の小さい僕には、オランダ式の方がありがたいのだが、フランス人がフルコースへのこだわりを捨てることは想像できない。会話を弾ませるにはこれだけの仕掛けが必要。シャンパンからデザートそして食後酒までたっぷり4-5時間おしゃべりして心を通わせないともの足らない。友情に関して貪欲なのだ。
感心したのは、4回とも95歳のポーレットさんを呼んだことである。彼女も元医者だ。せかせかした調子で、昔のことをとりとめなく繰り返してしゃべる。おまけに早口で発音が不明瞭なので、一生懸命聞いても、僕の聞き取り能力ではよく分からない。彼女の話を聞くのはくたびれるなあ、と思っていたら、アニーさんが「ポーレットは、自殺願望を持っているから、できる限り一人ぼっちにしないように心がけているの」と、説明してくれた。僕が眉間に皺を寄せてポーレットの話を聞いているのに気付いたのだろう。
その後地下鉄駅のそばでアニーさんに出会ったら「ポーレットの物忘れがひどいから、これから病院に連れて行って、脳のCTスキャンをするの。」と言う。更に1週間後、アニーさんからメールで、「ポーレットが転倒したので、病院に連れて行く」と連絡が入った。3日後、「毎日午後は病院でポーレットと一緒。なかなか手術してくれない」とメール。ベッドに横たわるポーレットさんの写真も添付してあった。退院してからは毎日彼女の家に行き、食事の世話をしている。
今週末の昼食会は30分早めると連絡があった。夕方ポ―レットのお見舞に行くというのだ。僕らにフルコース振る舞ったあとでも、精神不安定な友を見舞わないことには安心して寝られないのだろう。僕の体力・気力では到底「フランス人」はつとまらない。 

[追記]郵便受けに入らないため、配達員が持ち帰った例の郵便物は、クレームを提出して4日後に見つかったが、局側の言い分に食い違いがある。まず配達の男性から電話があり、「大型の茶色の郵便物を、その日に局に持ち帰った。局内にかならずある。間違った棚にでも入れたのだろう。」という説明なので、3度目に郵便局に行くと、窓口の女性が、僕の顔を見るなり、「ありますよ。今日戻りました」と配達員の怠慢のような口ぶりだ。日本だったら、客の前で責任のなすりあいはしない。配達係と窓口係は協力して探すだろう。
グリコの「ポッキー」を、フランスでは「MIKADO」という商品名で売っているが、そのグリコ・フランスの工場長に、フランス人の働きぶりを聞いたことがある。工場長の答えは「とても良く働きますよ。ただ、トラブルがあってラインが止まったとき、日本だったら持ち場と無関係に少しでも早く原因を見つけようとみんなが力を合わせてやるけれど、フランス人は、修理は担当がやるものと決めて知らん顔ですね。」と、社員の受動性を嘆いていた。フランスの職場は、強固なピラミッド式トップダウンだから、現場の創意・協力は育たないのだろう。昔のロボットみたいに同じことしかできないのでは、仕事は楽しくならない。フランス人が若いときから定年を待ちわびる気持も分からないではない。 

(2023/05/15