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小人閑居為不善日記|ゴッド・アンド・モンスター――《AIR/エア》,と《ザ・ホエール》|noirse

ゴッド・アンド・モンスター――《AIR/エア》,と《ザ・ホエール》
God and Monster

Text by noirse

※《AIR/エア》,《ザ・ホエール》の内容に触れています

 

1

4月はボブ・ディランとエリック・クラプトンの来日公演を見に行った。かたやフォークの神様、かたやギターの神様。両者共に自由気ままで、しかし貫禄のステージだった。

ディランは、2020年にリリースしたアルバム《Rough and Rowdy Ways》のリリースツアーという体裁。この作品には名前が散りばめられている。エルヴィス、ビートルズ、ストーンズ、ジミー・ロジャーズ、ジョン・リー・フッカーといったミュージシャンから、ウィリアム・ブレイクやポー、フロイトやマルクス、キング牧師にケネディまで、吟遊詩人ディランの謡う20世紀史といった趣だ。

もともとディランは影響を受けてきたフォークやブルース、カントリーなどの音楽から引用やオマージュを織り交ぜるタイプで、ファンはそこから遡行して未知の音楽を探求していった。20世紀のアメリカ音楽の肥沃さを象徴する存在であり、まさに「フォークの神」という名にふさわしい。と同時にロジャーズやフッカーもまた、彼にとっての「神」だったのだろう。

その時々によって、ディランやクラプトンのような、その時代を象徴する「神」が現れる。80年代のアメリカだったら誰だろう。マイケル・ジャクソンだろうか。プリンス、マドンナだろうか。マイケル・ジョーダンかもしれない。

 

2

《AIR/エア》(2023)は、当時不振だったナイキがジョーダンと契約し、エア・ジョーダンを開発するまでの内幕を追った映画だ。ナイトライダーや特攻野郎Aチーム、ゴーストバスターズやREOスピードワゴン、コルテッツにポルシェ930、散りばめられた80年代カルチャーが眩しい。

けれどただノスタルジックなのではなく、ナイキ嫌いだったジョーダンをどのように口説き落としていくのか、その過程をスリリングに描いているのが見所だ 。監督ベン・アフレックの演出も、アカデミー作品賞を受賞した《アルゴ》(2012)以上に冴え渡っている。80年代リバイバルが人気となって久しいが、その系列の映画でも上位の一作だろう。

しかし引っかかる点もある。遂に交渉の席に着いたジョーダンを説得するプレゼンのシーンなのだが、カメラは彼の顔を映さないように徹底している。そのため、肝心かなめの場面にもかかわらず、それまで的確だったショットや編集が、不自然でぎこちなく感じられてしまった。

ジョーダン役の役者の顔を映さないのは、アフレックによれば「ジョーダンの映画にしたくなかった」からと言うのだが、わたしにはこれは一種の表象不可能性に感じられた。というと大仰だが、簡単に言えば神のイメージを明確にしたくなかったということだ。

ジョーダンはバスケの神様と呼ばれている。コービーやレブロンがジョーダン以上と言われることもあるが、バスケ界を越えて時代の顔にまでなったという点では、今も昔もジョーダン以上の存在はいないはずだ。

主役のマーケティング・マネージャー、ソニー・ヴァッカロを演じるのは、アフレックの親友マット・デイモン。アフレックは1972年、デイモンは70年生まれで、十代を80年代に費やした世代。彼らにとってジョーダンは、まさに「神」だったに違いない。「神」を表象してはいけない。それは自然な流れだったのだろう。

ヴァッカロが、親交のあった大学バスケの伝説的指導者、ジョージ・ラベリングからアドバイスをもらうシーンがある。ラベリングはキング牧師の警備員のアルバイトをしていたころ、あの「I Have a Dream」のスピーチ原稿をキング本人から譲り受けたらしい。その中には有名な一節はなく、あの名演説がアドリブだったことがヴァッカロのプレゼンに影響していくのだが、わたしが興味深く感じたのは、《AIR》が「神を失った時代」を描いたという点だ。

《AIR》にも黒人差別問題は描かれるが、80年代には教会や信仰による団結はもう難しく、政治的闘争ではなくスポーツやビジネスによって抵抗していくようにシフトしているのだと物語っている。

ただし、神なき時代に現れた資本主義を盲目的に礼賛しているわけでもない。アフレックはインタビューで、現代では資本家こそが崇拝の対象になっていると、批判混じりに語っている。アフレックはナイキCEOのフィル・ナイト役も務めていて、仏教にハマッていたフィルをややシニカルに演じており、彼のスタンスがよく伝わってくる。

《AIR》は、当時絶頂期だったMTVがミュージシャンを「神」に仕立て上げてしまうことを皮肉っぽく歌ったダイアー・ストレイツの〈Money For Nothing〉で始まる。けれど皮肉なことに、この曲のPVもMTVの力で大きな話題を呼び、ストレイツもそれでさらなる人気を得てしまった。アフレックはその経緯を理解した上であえてこの曲を採用しているのだろう、十分自覚的だ。

しかしそれでもジョーダンを「神」としてしまうことを、アフレックは否定できなかった。それは作品にとっては弱点だが、80年代に青春を費やした幼なじみ二人の心情も分かるし、一概に否定できない気持ちになる。もちろんアフレックもデイモンも大スターなのだが、にもかかわらず素直に「神」に敬服してしまうことに親近感を覚えてしまう。

しかしポップカルチャーが「神」を作り上げていくシステムは、時に弊害も生む。エア・ジョーダンも発展途上国の児童労働に結び付いたり、あまりの人気に強盗事件が相次いだ点で批判された。こうした流れは今の「推し」現象の諸問題、たとえばメン地下やジャニーズのセクハラ事件にも繋がるだろう。「神」が怪物化する、もしくは「神」を求める心がモンスター化してしまうこともあり得るのである。

 

3

もうひとつの新作映画、《ザ・ホエール》(2022)を紹介しよう。主人公の英語講師チャーリーは、過去のトラウマによりメンタルヘルスに失調をきたし、歩くのも困難なほどの肥満症を患っている。末期と判断されるも病院での治療を拒否し、わずかに残された時間を使い、離婚した妻とのあいだにできた、たったひとりの娘との和解を試みる…。

肥満症というあまり映画では取り上げられないテーマに真正面から挑んだ点が、同じ症状に悩む観客から強い支持を受けた。ただそうした悩みに縁がない層には問題意識が共有しにくいのか、ピンとこない向きも少なくないようだ。しかしその箇所のみにこだわってしまうと、かえってこの作品の本質を見誤ってしまうだろう。たとえばレビューや評論や批評などの執筆に関係している人々、つまりこうしてこの文章を書いているわたしにも、無縁でない話だと感じられた。

チャーリーはオンライン講師の仕事をしているが、カメラが壊れていると嘘をつき、顔を隠し、症状を明らかにしない。高校生の娘にも、レポートを代筆することで理解を得ようと持ちかける。自らを恥じる彼は、テキストを通してでないと他者との関係を築くことができない。

コミュニケーションに限らない。発作を起こしたチャーリーに、丁度居合わせた若い宣教師が救急車を呼ぼうとする。けれどチャーリーはそれを制し、手元の原稿を手渡して読んでくれと頼む。それはある人物がメルヴィルの《白鯨》について書いたレポートで、チャーリーはそのエッセイを聞きながら死にたいと考えている。彼にとっては目の前の死よりも、テキストのほうが重要なのだ。

《ザ・ホエール》というタイトルも、もちろん《白鯨》を指す。白鯨とは、やはり巨体のチャーリーのことなのだろう。だが彼の体型も、一種のメタファーと受け取ったほうがいい。その脂肪は外界からの防壁であると同時に、他者とのコミュニケーションやセルフケアを怠った結果貯め込まれた精神的負荷――罪悪感、自己正当化、甘やかしなどが入り混じった感情――を可視化したものなのだ。

とすると白鯨に復讐心を燃やすエイハブ船長は誰だろうか。家族を見捨てたチャーリーを憎む娘だと解釈することも可能だが、チャーリーが白鯨であると同時に船長だったと考えることもできる。「怪物」と化したチャーリーを憎み、退治したいと願っているのは、誰よりも彼自身なのだから。

チャーリーがこだわるエッセイには、「鯨の描写は退屈」で、何故なら「語り手が自らの暗い物語を先送りにしている」からだと記されている。《ザ・ホエール》が身につまされると感じたのはこの点にある。こうして文章を書いている行為も、現実に抱えている自分の問題から目を逸らすための逃避なのかもしれないからだ。

わたしもここで色々と勝手なことを言い散らかしているが、それにかまけることで自分自身の問題を先送りにしているのかもしれない。たとえ肥満症でなくとも、無駄に知識を貯め込んだだけで、精神的には肥満しているのかもしれない。

文章を書くことに限ったことではない。映画やアニメに没頭するとか、音楽だとか読書だとか諸々の趣味、あるいは「推し」に夢中になることも、「白鯨」化への第一歩だ。

チャーリーに信仰を促す宣教師も、話が進むにつれて、自分の問題から目を逸らすために宗教に逃避していたことが分かっていく。彼の教会も事件を起こしており、《AIR》と同じように《ザ・ホエール》も神なき時代の生を模索する物語であることに気付く。

マイケル・ジョーダンのような「神」も「推し」も結局神の代替物に過ぎないが、「白鯨」は今でも自分自身の問題として存在するのだ。だから、この辺でPCを閉じることにしよう、わたしもそろそろ、自分自身の問題に向き合わなければいけないのだから。

(2023/5/15)

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noirse
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