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エミーリョ・デ・カヴァリエーリ《魂と肉体の劇》|長木誠司

エミーリョ・デ・カヴァリエーリ 《魂と肉体の劇》(1600)
Emilio de’ Cavalieri: Rappresentatione di anima et di corpo

Text by 長木誠司(Seiji Choki)

 

やがて「オペラ」と呼ばれるようになるものの嚆矢のひとつであるカヴァリエーリの《魂と肉体の劇》は、東京室内歌劇場が若杉弘の指揮で新国立劇場小劇場において2000年に日本初演したが、つい昨年も古楽アンサンブルのエクスノーヴォがシアターXとの提携で舞台上演した。1600年前後は、音楽を伴った演劇的な作品がいろいろと試みられており、なにが最初のオペラなのかということも視点によって異なってくるが、いわゆるレチタール・カンタンド(歌うように語る)の方法で、通奏低音+単旋律という音楽スタイルを駆使して作られているカヴァリエーリのこの作品は、誰がオペラのトップを切ったのかという些末な議論をひとまず措くとしても、実によくできていると思う。
バロック劇特有のアレゴリー(寓意)劇になっており、登場人物はすべて何らかの「概念」であり、それが人間の姿で物語を綴る。やがてオペラのプロローグなどに落ち着いていく寓意劇の部分で全体が構成されていると思えばよい。そのなかで、ここでは「魂」(ソプラノ)と「肉体」(バリトン)——それはひとりの人間の相対する部分で、舞台上では恋人同士のようにも見えるのもいいアイディアだ——のいわば葛藤によって話は進んでいく。もちろん、予想されるとおり、人間が快楽というものを克服し、神への愛、神の下での愛によって永遠の生を受けることが最終的に選択される。肉体は滅んでも魂は永遠というキリスト教的な通念が背後にあるとしても、魂と肉体が対等に登場して、同じ経験を共有するなかで魂の優位性が最終的に宣言されるところが〈寓意〉〈劇〉として演じられるツボと言えるだろう。当初、快楽に対して楽観的な肉体に対し、悩める者であるのは魂の方であり、肉体は「彼女」の悩みをほぐしてやろうとするところから始まるのが面白い。
このあとのモンテヴェルディのオペラには多くの演出がなされてきたし、市販映像も今日では見切れないほど多くリリースされているが、それ以前の初期オペラの上演は数においてまったく及ばないし、当然市販映像も稀少だ。実際に上演されても、今のオペラ聴衆の興味をくすぐるレヴェルに達しないものが多いと経験上断言できるけれど、その点、今回のカーセンによる舞台はエンターテインメントとしてのオペラの姿として優れたものになっている。いくつもの魅力的な舞台を制作し続けているアン・デア・ウィーン劇場での上演というだけで、期待感は募るだろう。
カーセンは、この作品を歌手たちによる〈プロローグ〉のリハーサルの場面から始める。思い思いの私服で衣裳用のスーツケースを携えて舞台に集合し(それは一見すると、ディアスポラにあるユダヤ人たちの姿にも思われる)、楽譜片手に歓談する歌手たち。会話からもこの作品に慣れていない様子が分かってくる。〈プロローグ〉が楽譜に書かれていない、きっとイタリア語による作品だよ・・・等々、内容についてのさまざまな憶測がいろいろな言語で(日本語も)歌手たちの間に飛び交っている。「命」や「神」についての勝手な議論が微笑ましくも場を和ませる。そのなかで「時」に話題が及んだとき、やにわにカヴァリエーリ作品冒頭の「時」の登場になり、時の過ぎゆく無常を歌いながらそのまま自然に本来の歌物語への移行が行われる。作品に不慣れな聴衆の心をのっけからぐいとつかんでみせる、なかなか憎い開演である。
ジーンズ姿の魂と肉体、そしてこのふたりに神への忠誠による永遠の生を教え唱える「知性」(T)。その知性と並び、「忠告」(B-Br)も現世の仮の輝きを暴露する。寓意劇ではあるが、それゆえにイメージはこの上なく具体的に登場する。その典型が第2幕に登場する金色の衣裳に身を包んだ「現世」(Br)と「現世の命」(MS)とその取り巻きたちの姿だろう。ニグルの歌う「現世」のいかにもにぎにぎしくウソっぽい登場には思わずにやりとしてしまう。そしてこのふたりがきんきらきんの衣装を剥がされて、見るも無残な薄汚い老人になってしまう場面。今どきちょっとアブナイなとは思いつつ、その分かりやすさをジョークとして読み飛ばそう。
第3幕で天上の「祝福された魂」と「地獄に落ちた魂」の両者に交互に問いかける場面で、初めてダンサーたちが宙吊り状態で登場し、ステージ上空とステージ床下の間を何度も上下させられる。その視覚的アイディアは抜群に分かりやすい。これぞ現代の寓意劇という印象も強められるだろうが、吊されたままくり返し振り子のように上へ下へと移動させられるダンサーたちは、いささか気の毒な気もする(笑)。
歌唱力で競うような作品ではないが、トリルを含めた歌唱技術と朗唱技術をソリストたちが流麗にこなすのは聴いていて実に気持ちが良い。オーケストラ部分は、本来のスコアにあるシンフォニアに加え、多くの箇所におそらく別の作品から取り込まれた器楽部分が挿入されて場面同士のスムーズな連結を可能にしている。すなわち、総じて歌唱の間に置かれたリトルネッロ以外の、幕間の前奏と後奏を兼ねるまとまった器楽部分が時間的にも長くなっており、そこで次の幕への準備が舞台上で展開されるのである。だから、古楽器アンサンブル、イル・ジャルディーノ・アルモニコの名手たちのみごとな手腕の聴かせ場も多いわけで、サーヴィス満点の舞台であると言えるだろう。

【演奏】
演出:ロバート・カーセン
美術:ロバート・カーセン&ルイス・カルヴァーリョ
衣装:ルイス・カルヴァーリョ
照明:ロバート・カーセン&ペーター・ファン・プラート
振付:ロレーナ・ランディ
ドラマトゥルク:イアン・バートン
映像監督:パウル・ランツマン&ペーター・ランツマン
ジョヴァンニ・アントニーニ指揮イル・ジャルディーノ・アルモニコ、アーノルト・シェーンベルク合唱団(合唱指揮:エルヴィン・オルトナー)
時/現世/地獄に落ちた魂:ゲオルク・ニグル(Br)
知性:シリル・オヴィティ(T)
魂:アネット・フリッチュ(S)
肉体:ダニエル・シュムッツハルト(Br)
忠告:フローリアン・ベッシュ(B-Br)
快楽:マルゲリータ・マリア・サラ(contrarto)
快楽の仲間:ミハル・マルホルト(Br)、マトゥシュ・シムコ(T)
守護の天使:カルロ・ヴィストーリ(CT)
現世の命/祝福された魂:ジュゼッピーナ・ブリデッリ(MS)
ダンサー:アレッサンドラ・バレッジほか15名

【ディスク情報】
Naxos NBD0161V(BD)、2110750(DVD-VIDEO)
収録 2021年9月27,29日、アン・デア・ウィーン劇場(ウィーン)
収録時間 101分
歌唱 イタリア語
字幕 日本語、英語、ドイツ語、イタリア語、韓国語

(2023/5/15)

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長木誠司(Seiji Choki)
昭和33年(1958年)生まれ。東京大学文学部美学藝術学科卒業後、東京藝術大学大学院博士課程修了。博士(音楽学)。音楽学者、音楽評論家。現代の音楽およびオペラを多方面より研究。著書に『前衛音楽の漂流者たち~もう一つの音楽的近代』(筑摩書房)、『フェッルッチョ・ブゾーニ~オペラの未来』(みすず書房)、『戦後の音楽』(作品社)、『オペラの20世紀』(平凡社)など。