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レ・ヴァン・フランセ|加納遥香

レ・ヴァン・フランセ
Les Vents Français

2023年3月11日 神奈川県立音楽堂
2023/3/11 Kanagawa Prefectural Music Hall
Reviewed by 加納遥香(Haruka Kanoh
Photos by ヒダキトモコ/写真提供:神奈川県立音楽堂

<演奏>        →foreign language
レ・ヴァン・フランセ
  エマニュエル・パユ[フルート]
  フランソワ・ルルー[オーボエ]
  ポール・メイエ[クラリネット]
  ラドヴァン・ヴラトコヴィチ[ホルン]
  ジルベール・オダン[バソン]
  エリック・ル・サージュ[ピアノ]

<プログラム>
ダリウス・ミヨー:フルート、クラリネット、オーボエ、ピアノのためのソナタ op.47
ルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン:ピアノと管楽のための五重奏曲 op.16
~休憩~
エリック・タンギー:六重奏曲 *委嘱新作・日本初演
ジェルジュ・リゲティ:6つのバガテル
フランシス・プーランク:六重奏曲 FP100

 

レ・ヴァン・フランセ(Les Vents Français)が5年ぶりに来日した。私が足を運んだのは、神奈川県立音楽堂が主催する「ヘリテージ・コンサート」での公演だ。これは「未来へ継承すべき人類の至宝(ヘリテージ)といえる名演奏の輝き」を届けるというコンサートシリーズで、2022-2023年シーズン最後のコンサートにレ・ヴァン・フランセが招かれた。チケットは完売、当日もほぼ満席で、フランスからやってくる一流木管アンサンブルへの日本の聴衆の関心の高さがうかがえた。楽器を携えている人も多く見受けられた。
公演が行われたのは3月11日。だからであろう。15時の開演に先立ってホール内で地震発生時の対応についてのアナウンスが流れると、私は12年前の時間が今現在と重なったような感覚に陥り、身体がこわばった。したがって第一曲目のミヨー作曲「フルート、クラリネット、オーボエ、ピアノのためのソナタ op.47」の冒頭でオーボエ、クラリネットの音色にかかるフルートのやや不穏な響きは、私をさらに不安な気持ちにさせ、第3楽章の荒々しさは、波を想像させた。それをなだめるかのように静かな第4楽章が続く。
2曲目からはより音楽に没入して聴くことができた。ベートーヴェン「ピアノと管楽のための五重奏曲 変ホ長調 op.16」では軽やかに暖かく幸福が謳われる。その演奏はまるで、モノクロの記号で満たされた楽譜を水彩絵の具で色付けして空間に解き放つかのようで、音楽堂のインタビューのなかで「フランスの音楽の魅力、特色」は何かと問われたポール・メイエ氏が、「色彩感が溢れていることでしょうか」と答えていたことが想起された1)
休憩をはさんで後半の最初の曲は、1968年生まれの作曲家エリック・タンギーに委嘱された日本初演の六重奏曲。作曲家自身によれば、「楽曲の中に、双似性を描き出したい」という考えのもと、「『ダブルで、双子的な』要素」と「万華鏡のようにして見せる」修辞法を用いて作曲したという(プログラム・ノートより)。正直なところ、私の能力では構造や技法の理解にまったく及ばなかったが、大きな巨木が立ち上がるかのような生命力を感じた。リゲティ作曲「6つのバガテル」は、短い6つのピースから成り、曲ごとにメリハリがあって旋律自体も聴きやすい。
最後はプーランクの六重奏曲。1楽章ではそれぞれの楽器の音が、こちらに現れてはひっこみ、するとあちらに違う音色が顔を出し、とリレーをしていく。それぞれの楽器の音色をたどっていきたくなるような、そんな音楽だ。それに対して2楽章では全体が一体感をもって進行する。その流れに身をまかせていると、気がつけば映画のワンシーンのような3楽章に引き込まれている。ストーリー性に満ちた音楽は、次第に静まり返る湖の水面(みなも)へと収斂し、音が静寂のなかに消え入る。個々の楽器の音、その融合、そしてそれが紡ぎだす物語世界、いずれの魅力をも伝えるこの作品は、彼らのアンサンブルの魅力を多面的に表現するのにぴったりであった。
予定されていたプログラムの終了後には、アンコールが2曲届けられた(テュイレ作曲六重奏曲より第4楽章フィナーレ、および第3楽章ガヴォット)。その間には、オーボエのルルー氏が大きな声で、日本語で「どうもありがとう!」と言ったり、フルートのパユ氏が楽器を落とすそぶりを見せたりと、おちゃらけた様子をみせて会場を和ませた。

木管アンサンブルでは、形状も材質も仕組みも奏法も異なる楽器が集う。レ・ヴァン・フランセではそれぞれが超一流ソリストとして活躍しているだけに、それぞれの個性が発揮され、一層際立っていた。しかしもちろん、ただ個が自己主張するわけではない。全体を統率する指揮者がいるわけでもない。彼らは楽譜という明確な指標に規定されつつ、その範疇で目の前の仲間と呼吸を合わせ、個の共存を体現していたように思われる。このような公演を通して私は、自由と制約のあわいにはりつめる緊張から紡ぎだされる調和の音楽を存分に堪能した。
最後にひとつ付記しておくと、偶然であろうが、このコンサートは東日本大震災発災からちょうど12年にあたる日、そしてほぼ同時間に行われた。私は会場に向かう道中から、この日に、この時間に、震災に関する公演に行ったり、家で震災関連番組を見たりするのではなく、「フランスのエスプリ」と呼ばれる音楽を享受することの意味とは何か、と考えをめぐらせていた。配布プログラムに掲載された音楽堂の挨拶文には、次のように書かれていた。

3月11日は、日本に住む者にとって忘れがたい日です。未来を切り拓く芸術を探究し続けた作曲家たちと、現代に生きる人類の至宝(ヘリテージ)ともいえる名演奏家の協働で生み出される音楽によって、この日があらためて私たちが、ともに生きる喜び、美しさを感じられる日となりますように。

なるほど、このように結びつけられるのか、と驚き、確かにそうかもしれない、そうともいえるだろうと思った。ただ私個人のレベルでは、公演後、そしてそれから時間が経った今にいたるまで、その意味についてしっくりくる回答にたどりつけていない。意味づける必要は必ずしもないかもしれないが、心に残るざらついた感覚に今後も向き合っていこうと思う。

1)神奈川県立音楽堂ヘリテージ・コンサート ポール・メイエ(クラリネット)へのインタビュー(2023年2月22日掲載) https://ongakudo-classic.com/news/22vol04/post-912/ 

(2023/4/15)

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加納遥香(Haruka Kanoh)
一橋大学社会学研究科特別研究員。博士(社会学)。専門は地域研究、音楽文化研究、グローバル・スタディーズ等。主な地域はベトナム。修士課程、博士後期課程在籍時にはハノイに滞在し留学、調査研究を実施し、オペラをはじめとする「クラシック音楽」を中心に、芸術と政治経済の関係について領域横断的な研究に取り組んできた。

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Les Vents Français
  Emmanuel Pahud, Flute
  Francois Leleux, Oboe
  Paul Meyer, Clarinet
  Radovan Vlatkovic, Horn
  Gilbert Audin, Basson
  Eric Le Sage, Piano

Program
Darius Milhaud : Sonata for Flute, Clarinet, Oboe and Piano, op.47
Ludwig van Beethoven : Quintet for Piano and Winds op.16
Intermission
Éric Tanguy: Sextour pour piano et quintette à vents(* commissioned by Les Vents Français, Japan premiere)
György Ligeti : 6 Bagatelles
Francis Poulenc : Sextet FP100