Menu

小人閑居為不善日記|人生の確定申告――ジャクソン・ブラウン、エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス、グリッドマン|noirse

人生の確定申告――ジャクソン・ブラウン、エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス、グリッドマン
Life Tax Returns

Text by noirse

※《エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス》、《GRIDMAN UNIVERSE》、《SSSS.GRIDMAN》の内容に触れています

1

ジャクソン・ブラウンの来日公演、最終日に行ってきた。1970年代ウェストコースト・サウンドの代表格で、現在74歳。それでも声に衰えはなく、ステージは大満足だったが、公演後、気になってしまったのは客席の様子だ。概ね50代以上で、ジャクソン・ブラウンと同世代の人も多く、同じ時代を共有した人が集まったように見受けられた。

ロックが市民権を得ていった60年代後半は政治の時代でもあった。しかし革命の夢は破れ、その後に続く70年代は、死ぬまで続く「祭りのあと」のはじまりでもあった。

ウェストコースト・ロックが登場したのはそんな折だ。60年代の西海岸、サンフランシスコやLAはロックの聖地で、かつては変革の気運に満ちていた。しかし夢が破れたあとも、ミュージシャンたちは食べていかねばならない。実験的な試みやサイケデリックなサウンドは後退、入れ替わるようにカントリーやフォークをベースにした親しみやすいウェストコースト・ロックが登場、人気を博していった。

だからといって彼らの音楽に影がないわけではなく、カラッとしたサウンドの奥底には喪失感や諦観が残っている。「気楽にいこうぜ」と歌ったイーグルスの〈Take It Easy〉も、能天気な楽天主義ではなく、「その後」を生き抜くためのアドバイスだ。この曲をグレン・フライと共に書いたのが、ジャクソン・ブラウンだった。

ブラウンが70年代に歌い、支持された楽曲は、どれも別れを綴った感傷的な内容だ。今聞くとセンチメンタルすぎるようにも聞こえるが、夢の時代からの決別を強いられた当時のリスナーには、強く心に響いたのだろう。

だが60年代の記憶も薄れ、経済発展と大量消費の80年代に入っていくと、彼の歌からも感傷性が後退し、社会的なテーマを扱った曲が増えていく。ツアーのオープニングナンバーに選ばれたのも、「地球を酷使する者たちがいる」、「地球の怒りが大地震を起こす」、「大洪水で、すべてが流されていった」と歌う〈Before the Deluge〉だった。

今聞くとよくある警句ではあるが、「あの時代」を求める観客には、心の何処かで「洪水が来る」ことを求めている部分があるのではないか。あの時社会をひっくり返すことができていれば、あの頃夢見た、別の世界が拓けていたのではないか。社会は間違っていて天罰が落ちる、そう警告しつつも、実際に破滅を渇望しているのは、彼ら自身なのではないか。

 

2

映画《エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス》がロングランを続けている。若い観客を中心に絶大な支持を受け、アカデミー作品賞受賞にまで至った。評価の理由は、アジア系移民やクィアなどの問題を、マルチバースという設定を塗して時にコミカルに、時にナンセンスに、時にはカンフーアクションまで用いて、ユニークに描いた点だろうか。

ただ、肝心のマルチバースについては、そこまで独自性のあるアイデアとは思えなかった。これは要はパラレルワールドであって、DCやマーベルコミックでは何十年も前から使われてきたし、そもそもSFにおいては古典的な形式だ。それでもここまでの共感を得た理由のひとつに、リアリティの位相の変化もあるのではないか。

マルチバースは、もちろん現実においては突拍子もない事象で、そのため実写作品よりはマンガやアニメ、ゲームに親和性があった。けれどAIやVR、仮想通貨やメタバースなど、驚くべき速度で現実世界に喰い込んでくるデジタル技術の存在感と、それを柔軟に受け止めていく若い観客には、実写とアニメ/ゲームという二項対立的な図式など、時代遅れなのだろう。むしろ、ともすると重くなりかねない問題を、現実から遊離した方法によって軽やかに乗り越えたいという思いがあるのではないか。

別の角度からも見てみよう。《エブリシング》はもともと、主人公エヴリンの確定申告から始まる。そこに世界の終末を目論む能力者が接近、別宇宙の自分の能力を呼び出して戦うと同時に、確定申告も完了させなくてはいけないという羽目になる。

確定申告とはご存知の通り、収入や支出から所得を計算して税額を確定すること。一方《エブリシング》では、エヴリンが本来持っていた無数の可能性を洗い出すことで彼女の再定義を実施し、行き詰まったかと思われた人生を前に進めていく。

つまり本作での確定申告とはメタファーであって、人種や性差など、簡単に変えることのできない現実の重さから解放されるため、せめて「人生の確定申告」を行うことで、身軽になって再出発に備える、そういう意味が込められている。メタバースという突飛な言葉の裏には、こうした普遍的な心情が隠されているのだ。

 

3

ここで現在上映中のアニメ映画《GRIDMAN UNIVERSE》を見てみたい。もともと円谷プロで製作された特撮ドラマ《電光超人グリッドマン》(1993-94)を原作にしたTVアニメ《SSSS.GRIDMAN》(2018)と《SSSS.DYNAZENON》(2021)のクロスオーバー作品だ。

TVシリーズの《グリッドマン》は、高校生の裕太がグリッドマンと合体し、彼の住むツツジ台を破壊する怪獣を倒すというものだった。というとよくある話のようだが、ポイントは悪役の少女アカネにある。一見才色兼備で性格もよく、スクールカーストの上位者に思えるが、彼女の内面は荒廃しており、秘密裏に怪獣を用いて邪魔な人間を殺していた。

終盤、アカネは神の如き上位存在で、ツツジ台は彼女が作り上げた虚構の街であることが分かる。戦いに敗れた彼女は過ちを認め、元の世界に還っていく。最後のシーンは実写で撮影されていて、平凡な部屋のベッドでアカネが目覚める姿で幕を閉じる。

《ダイナゼノン》も合体ロボ×怪獣のバトルものだったが、《グリッドマン》のようなメタな仕掛けはない。《ユニバース》はグリッドマンの世界にダイナゼノンのキャラクターたちが別宇宙からやってきて、今度はアカネも加わって強大な敵に対峙していく。つまりメタバースだ。

さてこのシリーズ、製作したTRIGGERは《新世紀エヴァンゲリオン》を放ったガイナックスの関係者が立ち上げた会社で、監督の雨宮哲も元ガイナックス。「エヴァ以降」の作品と言っても間違ってはいまい。《エヴァ》でも、TVシリーズ最終回や新劇場版ではパラレルワールドの要素もあるも、むしろ90年代に一部漂っていた、終末の予感のほうが濃厚だった。

《エヴァ》の終末ムードは、80年代に一世を風靡した《AKIRA》や《北斗の拳》、《風の谷のナウシカ》、《マッドマックス2》などの延長線上にある。とはいえ《エヴァ》の監督・庵野秀明 はこれらの作り手やジャクソン・ブラウンより下の世代で、革命の時代を過ごしたわけではない。けれどたとえば、《エヴァ》でも見られる何を作ってもコピーにならざるを得ないという強迫観念が、ひいては現実感の希薄さや生きにくさという作品のテーマに、そしてこうした破滅願望にも繋がっていったのだろう。

ひと昔前の言葉で言うと「シミュラークルとシミュレーション」めいたこうした強迫観念は、《グリッドマン》にも感じられる。目の前の世界は誰かが作った虚構であり、何か新しいことをはじめようとしても、それはコピーでしかない。《ユニバース》で裕太たちは学園祭の演劇の脚本作りに挑むが、その題材は彼らが体験した怪獣との戦い、つまり《グリッドマン》という物語のコピーだ。アカネも同じで、怪獣を操っていたのは、彼女が怪獣オタクだったからだ。

彼らはコピー以外に語るものを、頼れるものを持っていないし、人生すら誰かのコピーかもしれない。裕太は怪獣と闘っていた2ヶ月間、グリッドマンに意識を明け渡していた。その間思いを寄せていた女の子と進展があったようなのだが、記憶を失っているので覚えていない。自分の人格でなくとも、いやそうでないほうが人間関係もうまくいっていたとしたら、ここにいる自分とは何なのか。

しかし一方で、終末への危機感や、リセットへの欲望は希薄だ。裕太たちはもちろん終末を避けるために尽力するが、切迫感はあまりない。彼らの悩みは恋愛や文化祭、テストなど日常的なものばかりで、死が直面していることの恐怖は感じられない。

裕太たちと、世界の命運を賭けた戦いと確定申告を同時進行させていくエヴリンは、何処か似ている。どんなに追いつめられ、重い現実に押しつぶされそうになっても、破滅に飛びつくことはなく、目の前に積み上がった些事をひとつずつ切り崩していく。

わたしは《エブリシング》も《グリッドマン》も今ひとつピンとこなかったのだが、それはこの辺の考えかたの違いなのかもしれない。わたしは破滅型タイプではないつもりだが、60年代のロックや刹那的なパンクを好んで聞き、80年代のアポカリプス・テーマの映画やアニメを見てきたせいか、そうした極端な世界観が染みついているのだろう。

世界をそのように単純に捉えるのではなく、メタバースのようにいくつもの可能性が拓けているものとして考え、地道に物事を進めていくこと。《エブリシング》や《グリッドマン》が支持されるような状況は、けして悪いものではないだろう。けれど面倒くさがりなわたしは、「人生の確定申告」と聞くと腰が引けてしまう。わたしの脳裏には今でも、すべてを呑み込む大洪水のイメージがこびりつき、拭うことができないままだ。

(2023/4/15)

——————————————–
noirse
佐々木友輔氏との共著《人間から遠く離れて――ザック・スナイダーと21世紀映画の旅》発売中