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Books|バレエ伴奏者の歴史|大河内文恵

Books | バレエ伴奏者の歴史 | 大河内文恵

永井玉藻 著
音楽之友社
2023年1月出版
2200円(税別)

Text by 大河内文恵 (Fumie Okouchi)

子どもの頃、身近な場所にバレエ教室があり、ピアノにあわせて踊る子どもたちを見て、羨ましい気持ちになったことをよく覚えている。バレエのレッスン=ピアノ伴奏というのは、レッスン風景を見たことがある人には、当然のことと思われる光景であろう。

本書では、そんな当たり前の光景が、がらっと変わる瞬間がある。最初の衝撃は早くも「序」の2ページ目であらわれる。著者の永井は1913年の《春の祭典》の初演時の衝撃について語りつつ、ピアノでのリハーサルは「モダン」だと称し、「19世紀末までのバレエの稽古で伴奏を行っていたのは、ピアニストではなかったからだ」と結ぶ。え?じゃ、誰が伴奏していたの?

話はオペラ座とバレエの歴史から始まる(第1章)。オペラ座バレエ団の成り立ちから始まり、20世紀まで手際よく紹介されるなかで、19世紀前半の《ラ・シルフィード》や《ジゼル》などが上演されていた時期には、バレエを芸術として楽しむのではなく、若い女性を見に来てあわよくば愛人にという男性客が多かったという違う意味での衝撃があった。日本の遊郭を思い起こさせるエピソードである。

第2章からはいよいよ伴奏者の秘密に迫る。永井は先行研究を参照しつつ、フランス公文書館やオペラ座図書館、フランス国立図書館に所蔵されている一次資料から、伴奏者の特定、彼らの活動時期や雇用形態などを解き明かしていく。その鍵となる資料の1つは「レペティトゥール譜」と呼ばれる、伴奏者のためにアレンジされた楽譜である。伴奏者がピアニストであれば大譜表で書かれ、19世紀末までバレエで伴奏者をつとめていたヴァイオリニストならば単旋律で書かれているはず。と思いきや、19世紀のレペティトゥール譜は2段譜で書かれているという。

掲載されている実際のレペティトウゥール譜を見ると、ト音記号とハ音記号(アルト譜表)で書かれており、ヴァイオリンとヴィオラで演奏されたのだとわかるというわけだ。勤務実態としては、オペラ座のオーケストラの団員のうちの特定の人が副業としてバレエの伴奏者をつとめていたことが明らかになり、それが原則的には副業を禁じられているオーケストラ団員にとって例外的に認められたオフィシャルな副業であったという点が興味深い。

第4章では、ヴァイオリンからピアノへの移行が先行研究で言われていた《二羽の鳩》なのかどうかという核心に入っていき、第5章で最後のヴァイオリン伴奏者と最初のピアノ伴奏者に関する資料が提示されるところは、本書のクライマックスと言ってよいだろう。推理小説を読むがごとく、ドキドキしながら読んだので、ここに結論は記さない。

筆者も自分の研究領域のオペラを調べる際に、その中にバレエが含まれることがあるため、当時のバレエの状況を調べることがあるが、オペラよりも格段に調査が難しい。本書にも記載されているが、チャイコフスキーがバレエ音楽を書くまで、バレエ音楽の作曲は一流の作曲家の仕事ではないとされていたため、バレエ関係者の経歴や成立事情などが残りにくい。そういったなかで、作曲者よりもさらに調査が困難だと思われる伴奏者について、ここまで丹念に調べ上げたのは快挙としかいいようがない。

本書には本筋の論文の部分のほかにコラムやバレエ関係者へのインタビューが収録されている。そのなかで印象に残ったものを挙げておきたい。オペラ座のエトワール(最高位のダンサー)であるマチアス・エイマンは生演奏で踊ることの重要性を指摘し、「良い伴奏者とは[ダンサーに合わせて演奏するのではなく](中略)音楽を通してテンポをはっきりと示す方法を知り、(教師から)提示されたアンシェヌマンやパに、そのテンポを適合させる人」と語る。オペラの稽古でコレペティが単なるピアノ伴奏者でないのと同じく、バレエの伴奏者はただ教師の指示通りに演奏するピアニストではない。

新国立劇場のプリンシパルである米沢唯は、リハーサル初期はカウントをもらって振付を合わせるが、何回も繰り返すなかでカウントを自分のものにしていき、カウントを抜けることが重要だと述べている。バレエをみていると、踊りにカウントが見えるダンサーとまったく見えないダンサーとがいるのはそういうことかと膝を打った。さらに、ピアニストから本番の楽器を想定したアドバイスをもらうことが参考になること、逆にダンサーから合図を出すことによるズレの修正といったかけひきも生演奏だからこそ身に着くと語っている。
この4月からNHKの「のど自慢」の伴奏が生バンドから録音音源(カラオケ)に変更され、さっそくリズムについていけない出場者がいたという。それまではバンドが絶妙に合わせていたが、カラオケは合わせてくれない。録音音源にすれば経費は削減されるだろうが、その経費は削減してよいものなのか、考え込んでしまった。産業革命以降、職人芸は機械に置き換えられて世界は発達してきたが、果たしてそれは「発達」なのだろうか。

(2023/4/15)