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邦楽 明日への扉 第2回 邦楽四重奏団|齋藤俊夫

邦楽 明日への扉 第2回 邦楽四重奏団
Hougaku Up & Coming Artists 2:Hougaku Quartet

2023年2月25日 紀尾井小ホール
2023/2/25 Kioi small Hall
Reviewed by 齋藤俊夫(Toshio Saito)
Photos by ©堀田力丸

<曲目・演奏>        →foreign language
三ツ橋勾当:『松竹梅』
  箏:中島裕康、三弦:平田紀子、寺井結子、尺八:黒田鈴尊

野田暉行:尺八、二面の箏のための『春の調』
  箏I:中島裕康、箏II:平田紀子、尺八:黒田鈴尊

ヤニス・クセナキス:『NYUYO 入陽』
  箏I:寺井結子、箏II:中島裕康、三弦:平田紀子、尺八:黒田鈴尊

旭井翔一:『邦楽四重奏曲』
  箏I:平田紀子、箏II:中島裕康、箏III:寺井結子、尺八:黒田鈴尊

下山一二三:『 巫覡(かんなぎ)』~尺八、二面の箏、十七絃の為の~
  箏I:寺井結子、箏II:平田紀子、十七弦:中島裕康、尺八:黒田鈴尊

 

邦楽、邦楽器を前にするとき、筆者はある種の緊張感を覚えざるを得ない。自分が本物の日本人かどうかを試されているような気がするのだ。日本人なら日本の音楽に親しいはずだ、そうでなければお前は日本人ではないのだ、といった声が聞こえてくる。確かに自分が一番親しいのは西洋クラシック音楽とその流れをくむ現代音楽であり、邦楽には疎い。でも自分は日本人だ、日本人であるはずだ、日本人でないはずなどない……そんな弁解じみた言葉がこみ上げてくる。だがそもそも邦楽とは日本人にしかわからないような間口の狭いものであっただろうか?もっと直感的に受け止められる普遍的な芸術ではないのか?

もし邦楽(器)の門が日本人にだけ開くものであれば、クセナキス『NYUYO 入陽』などが生まれるはずがない。謎のオリエンタルな旋法で構成され、微分音を使っていると思しき謎の和音も挿入され、肉体的な尺八のパトスと理知的な箏と三弦のロゴスが対立するのではなく、両者が融合した、あえて言えばサイボーグ的音楽をなす。邦楽器を用いてのいっそグロテスクな現代音楽を目の当たりにしたが、筆者はその現代性に俄然興奮した。この興奮に対して音楽が日本的か否かの別は意味をなさないであろう。

外国人が書いた現代の邦楽、と対置されるべきは伝統邦楽、三ツ橋勾当の『松竹梅』である。筆者はこの音楽家もその作品も全くの初見である。その邦楽素人たる筆者はこの音楽に風物のなにもかもが晴れやかな春の1日を感じた。のんびりのどやかな序盤から、徐々にテンポが上がり複雑化していくにつれ、音楽的情景が広がり、見えるものの輪郭もはっきりとしてきて、真昼の陽光のもとで遊んでいるような雰囲気になる。その後、夕暮れのようなしんみりとした音楽が現れ、しっとりと落陽するように終わる。
と、上記のように筆者は感じたが、これが「邦楽の伝統」から見て妥当な見地であるのかはわからない。しかし、正しい正しくないで感性を縛り矯正することは果たして音楽的、芸術的なことであろうか?

現代日本作曲家による現代邦楽においてもまた、自分は本当に日本人なのかどうかを問いかける声が作曲家・演奏家・聴衆の全員に響いてこよう。

今回最も若い作曲家・旭井翔一の『邦楽四重奏曲』、3面の箏が3+3+2+2の変拍子、さらにポリリズムを含んだ対位法で複雑なテクスチュアを作り出し、そこに尺八がくねりながらの曲線の歌を乗せる。テクノのような、少女マンガ的なキラキラとした質感は「日本の伝統」からはどう見えるのだろうか。もし、これが伝統的にはアウトであれば、伝統とは実につまらないものだし、日本人であることに意味も無くなろう。

下山一二三『巫覡』は厳かな、と言うには猛々しすぎる土俗的かつ宗教的な念のこもった作品。三ツ橋勾当『松竹梅』ののどけき様、典雅な様とはまるで異なる音楽世界が広がる。箏2人と十七弦奏者が「おおおおおおお」「ああああああ」と唸り、吠え、そこに尺八もまた唸り、吠えるように荒ぶる。圧し殺した声で『古事記』から抜粋された神々の名前を唱えるのもまた凄まじい。何かを自分たちに憑依させたかのような4人のパフォーマンスに惹きつけられ、呑まれた。

野田暉行『春の調』もまた『松竹梅』のおおらかさとは異質な、一音たりとも聴き逃がせない張り詰めた空気が支配する。人間の秘められた内奥に迫り、美の裏側にある狂気をえぐり出す。古典音楽の予定調和を拒絶してなおも咲く雅趣に耳目を奪われ、最後まで鬼気迫る音楽で終わるか、と思えば、最後の最後に冬が終わり春が訪れ、万物が芽吹くような暖かさがふわあっとこみ上げ、蕾が一輪ほころんだような終結を迎える。

終演して、筆者は思い切り元気づけられた。これが現代の邦楽だ、という極々当たり前のことに元気づけられた。伝統の否定でも模倣や剽窃や捏造でもない、真に創造的で現代的な邦楽がここにあった。「日本」というカテゴリーは外に向かって開かれており、だからこそ現代を生きている。まだ見ぬ日本を探し求め続ける姿勢が我々を日本人たらしめるのだ。

(2023/3/15)

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<pieces&players>

MITSUHASHI kôtô: Syôtikubai (‘Pine, bamboo, and plum’)
koto 13-stringed zither:NAKAJIMA Hiroyasu
sangen (syamisen, shamisen) 3-stringed lute: HIRATA Noriko, TERAI Yuiko
syakuhati (shakuhachi) bamboo vertical flute:KURODA Reison

NODA Teruyuki: Haru no sirabe (‘Spring tune’) for syakuhati, and 2 koto.
koto 13-stringed zither:NAKAJIMA Hiroyasu, HIRATA Noriko
syakuhati (shakuhachi) bamboo vertical flute:KURODA Reison

Iannis Xenakis: Nyûyô (‘Soleil couchant’)
koto 13-stringed zither:TERAI Yuiko, NAKAJIMA Hiroyasu
sangen (syamisen, shamisen) 3-stringed lute: HIRATA Noriko
syakuhati (shakuhachi) bamboo vertical flute:KURODA Reison

ASAI Shoichi: Hougaku quartet (‘Quartet for Japanese traditional instruments’)
koto 13-stringed zither:HIRATA Noriko, NAKAJIMA Hiroyasu, TERAI Yuiko
syakuhati (shakuhachi) bamboo vertical flute:KURODA Reison

SHIMOYAMA Hifumi: Kannagi (‘Shinto shamans’) for syakuhati, 2 koto, and zyûsitigen
koto 13-stringed zither:TERAI Yuiko, HIRATA Noriko
zy­ûsitigen 17-stringed zither: NAKAJIMA Hiroyasu
syakuhati (shakuhachi) bamboo vertical flute:KURODA Reison