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三つ目の日記(2023年1月)|言水ヘリオ

三つ目の日記(2023年1月) 

Text by 言水ヘリオ(Kotomiz Helio) 

 

紙の切れ端。薄紫色の小さく丸いビーズ。引き出しの中の針と糸。針に糸を通し、紙を貫通させて、いったん針を糸から外し、その糸をビーズに通します。ビーズが紙に留まるようにして、ふたたび針に糸を通して紙に刺し、紙の反対側に糸を通します。ビーズが糸で固定されました。そうしたらもう一度紙の反対側に糸を通して針を抜きます。糸巻きにつながった糸を切ると、なにかができました。それがなんであるかはわかりません。

 

2023年1月18日(水)
年があらたまって、以来初めて展覧会へ出かける。乗り換える駅の雑踏。混み合う電車内。次第に気持ちが内向きになってくる。食事するつもりのファーストフードの店がなぜかみつからない。やがて銀座に着き天ぷらを食う。当初の予定では、銀座へは今日ではなく明日来るはずだった。二日連続で外出する労苦を思うと一日につめこんでしまおうと、まだ時間もあったので、足を伸ばした。
疲れていた。誰かと会話することもなくいくつかの展示を巡り、今日最後の会場。ここに長居することになる。
小分割の色のかたまりで構成されている大きな画面。しっとりとした質感。淡く、揺れる光のような色合い。みずみずしさを感じる風景、光景を思い自分は眺めていた。今日はこの絵をずっと見ていよう。近づくと、ところどころに見られる空白の部分も、絵具が置かれているわけではなくとも、ただ残されているのではないように思われた。色の部分には、靄がかかったように濁った色が薄く乗っていたりする。こすれたような絵具の流れから、絵の成り立ちを想像しながらも、作者が辿ったであろうすべての跡を追うことまではできない。
内向する心の前にこのような作品が広がっている。とはいえ自分の内面に注視したいわけではなかった。関心はいま、目の前の作品にある。どのように作品を見ているか。開いた目からの線が作品により振動している。心が開かれたり軽くなったりしたわけではない。だがなにかしらここに見つけた気持ちが湧いている。
その絵には「行々子」というタイトルが付けられていた。なんのことかわからず、その場で調べる。「ギョウギョウシ」という声で大きく鳴くオオヨシキリという鳥のことであるらしい。俳句では夏の季語にもなっている。同じタイトルの絵は3点。ほかには、紙にパステルなどで描かれ額装されたドローイング、また、鳥の鳴き声や風景のことなどを思わせるタイトルのついた「行々子」より小さな作品。ひとつの描写のなかの挿話や注釈、図版を参照するようにこの空間を巡り、また「行々子」に戻る。
瞬きをする。一瞬絵が視界から消えてまた見える。それが何回も繰り返された。

 

 

加藤学展
藍画廊
2023年1月10日〜1月21日
http://igallery.sakura.ne.jp/aiga902/aiga902.html
「行々子」 キャンバスにアクリル 1303×1620mm(上)
●会場風景(下)

 

1月27日(金)
深夜入浴する。気温が低いのか、いつもより早く湯が冷め始める。あごまで浸かりあたたまる。じっとしていると水面が鏡のように平らになる。手で波を起こす。波の様子をながめる。静かであるからこそ聞こえる、屋外からの、電車の走行する音、高速道路の路面の音、通行人の足音、なにかの擦れる音、など。浴槽の水面に跳ね返っているのだろうか、いつもより明瞭に聞こえる。窓際の、四つの鉢植え。どれもこの環境に適応し、寒さに枯れることもない。ベゴニアは薄いピンク色の花を絶やさず、カランコエは成長を止め暖かさを待っている。二度目の冬を迎えるポインセチア、光の粒のような斑点が入る品種だが、短日処理を施されていないため緑色のまま葉を小さく茂らせている。

 

1月30日(月)
電車内で立っていると、前に座っていた人から声をかけられた気がして、すこし顔を近づけて聞き返す。不明瞭なのか外国語なのか、ことばを聞き取ることができない。目を合わせると、話すのを止めてこちらの目の奥を覗いてくる。目をそらす。次の駅でその人は降りていった。

(2023/2/15)

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言水ヘリオ(Kotomiz Helio)
1964年東京都生まれ。1998年から2007年まで、展覧会情報誌『etc.』を発行。1999年から2002年まで、音楽批評紙『ブリーズ』のレイアウトを担当。現在は本をつくる作業の一過程である組版の仕事を主に、本づくりに携わりながら、『etc.』の発行再開にむけて準備中。