NHK交響楽団 第1976回 定期公演 Bプログラム|秋元陽平
NHK交響楽団 第1976回 定期公演 Bプログラム
NHK Symphony Orchestra No. 1976 Subscription Concert (Program B)
2023年1月25日 サントリーホール
2023/1/25 Suntory Hall
Reviewed by 秋元陽平(Yohei AKIMOTO)
写真提供: NHK交響楽団
<キャスト>
指揮:トゥガン・ソヒエフ
ヴィオラ独奏:アミハイ・グロス
<曲目> →Foreign Languages
バルトーク/ヴィオラ協奏曲(シェルイ版)
(アンコール:バルトーク(ペーテル・バルトーク編)/44のヴァイオリン二重奏曲(ヴィオラ版)―第37番「プレリュードとカノン」(ヴィオラ/アミハイ・グロス 、佐々木亮))
ラヴェル/「ダフニスとクロエ」組曲 第1番、第2番
ドビュッシー/交響詩「海」
トゥガン・ソヒエフの演奏にはじめて接したのは、もう十数年も前のことになるが、渡独の際に立ち寄ったベルリン・フィルの定期演奏会だった。慎重な手つきで細部に濃密なエネルギーを充填し、音楽に一種異様な緊張感、緩急を作り出す、そういう演奏だった。あらわれてくる音楽はかなりドラマティックだが、しかし決してパフォーマンスめいた誇張があるわけではなく、むしろ抑制的にひとつひとつのシークエンスを彩色していく、職人的な印象さえあった。
そのベルリン・フィルのアミハイ・グロスをソリストに迎えた今回、バルトークの『ヴィオラ協奏曲』を聴いて、そのような彩筆の、筆先の緊張感が脳裏によみがえってきた。作曲家の「晩年様式」というべきこの簡素にして充実したコンチェルトは、『管弦楽のための協奏曲』とは対照的に、ヴィオラという楽器の内向的なひびきと相まって、内側へ、内側へと向かっていく。第二楽章は、まるでひとつの夢見るような室内楽、それも夜の音楽とは違う、より親密な、しかし依然として厳しさのただよう室内楽だ。シェルイによるオーケストレーションはすでにかなり薄いが、それでもヴィオラの音域はオーケストラ側のそれと大部分重複しているため、必ずしもソリストが浮き立って聞こえるとは限らない。だがグロスは自らを目立たせようとすることなく、淡々とその色合いのなかに身を沈めていき、聴衆はますます耳をそばだててゆく。いぶし銀の輝きだ。アンコールの二重奏では、N響の佐々木亮がソリストに平仄を合わせ、どちらがどちらだかわからなくなるようなみごとな丁々発止を見せた。ヴィオラというのはこうして、名手にかかると透きとおるような味わいのある楽器だ。
バルトークはラヴェルのことも、そしておそらくそれ以上にドビュッシーのことも評価していた。彼の明示されたドビュッシーへの関心は、たとえば旋法的な響きのなかに遠く民族的なものの残響が見いだされるというところにある(筑摩書房『バルトーク音楽論選』所収「ドビュッシーについて」)のだが、ラヴェルの『ダフニスとクロエ』を聴きながら、このことが思い出された。この作品で参照される古代ギリシャは「近代フランス絵画」を経由したものであって、ラヴェルの筆致には、その興奮の極限にあっても「フレスコ画」の静謐さがどこかに残っており、わたしたちもラヴェルの旋法的なメロディの中にそうした「民族的」なものを感じることは普段あまりないように思われる。が、ソヒエフの周到な彩色、ほとんどすべてのフレーズを細かく塗り分けるその徹底ぶりによって、すべてが、いわば俗謡としての野趣、膨らみ、生々しさをどことなく取り戻していくようだった。同時に、それらのエネルギーは、ラヴェル一流の精密な設計の中にうつくしく象眼されて、オーケストレーションの、色彩の大伽藍を築いてゆく。
同様に、ドビュッシーの『海』も、ソヒエフは抽象的な色彩の遊戯だけにとどめておこうとは思わない。ラフマニノフの「鐘」の音さえ聞こえてきそうな、人いきれというか、体温を感じる。といっても「フランス的」でなかったとか、そういうことではない。それはフランス音楽の精密な解釈と思われた。それと同時に、いわば、そこではすべてが人間の声でできた海のうねり、祭りの声の行き交いのようなものに変わっていくのだ。そうして細部のひとつひとつが裏返され、波立つのだが、決して不当にもたつくことがない、よどまないことにも印象づけられる。ふと、ひとりの音楽家が、さまざまな国で演奏を積み重ね、そのすべてを音楽のなかに履歴として残していくということの途方もなさの一部を垣間見たような気がした。N響という水面もまた、この指揮者の含蓄に反応し、色めきたって、沸き立っていたが、これはそう頻繁にあることではないと思う。今後の関係性を期待しないわけにはいかない。
(2023/2/15)
―――――――<Cast>—————————————
Conductor: Tugan Sokhiev
Viola: Amihai Grosz
<Program>
Bartók / Viola Concerto (Serly Version)
(Encore : Bartók (Arr.Peter Bartók) No.37 « Prelude and Canon » from 44 duos for Violins (Viola version) played by Amihai Grosz and Ryo Sasaki)
Ravel / Daphnis et Chloé, suite Nos. 1 & 2
Debussy / La mer, three symphonic sketches