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ミュージカル・オペラ 『A Way from Surrender ~降福からの道~』|丘山万里子

新日本フィルハーモニー交響楽団第646回定期演奏会
#646 < Suntory Hall Series>
ミュージカル・オペラ 『A Way from Surrender ~降福からの道~』
Musical Opera『A Way from Surrender』

2023年1月23日 サントリーホール
2023/1/23 Suntory Hall
Reviewed by 丘山万里子(Mariko Okayama)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)

総監督/指揮/脚本/作曲/演出/振付:井上道義        →foreign language
<キャスト>
タロー(テノール):工藤和真
正義(バリトン):大西宇宙
みちこ(リリック・ソプラノ):小林沙羅
マミ(ソプラノ):宮地江奈
エミ(メゾ・ソプラノ):鳥谷尚子
ピナ(ソプラノ):コロンえりか

<アンサンブル>
鳥の声1/久美(ソプラノ):中川郁文
鳥の声2/由利(ソプラノ):太田小百合
領事夫人(メゾ・ソプラノ):蛭牟田実里
ボテロ(メゾ・ソプラノ):芦田 琴
絵の具の声/藤原(テノール):斎木智弥
仁木(テノール):渡辺正親
山田(バリトン):今井 学
中村(バリトン):高橋宏典
ゲリロ(バリトン):山田大智
セイギスカン(バス):仲田尋一
額縁の声(バッソプロフォンド):石塚 勇
少年タロー:茂木鈴太
米軍救護班(ダンス):ユリィ・セレゼン
朗読:大山大輔
4役アンダー:藤井玲南
合唱:洗足学園メモリアル合唱団

<演奏>
新日本フィルハーモニー交響楽団

<スタッフ>
舞台監督=堀井基宏  照明=足立恒 音響=山中洋一
副指揮=辻博之 演出助手=橋詰陽子  コレペティトゥア=服部容子
制作進行=中村光宏/センターヴィレッジ

 

歌手、合唱、ダンサー、スタッフ全員、そして客席から降り注ぐ万雷の拍手。こんなにみんなが盛り上がる温かなカーテンコール、あったろうか。「ねぎらい」という言葉が一番ぴったりの、心のこもった拍手。何度も呼び出された井上道義は踊ったり、おどけたり、真顔になったり、最後は舞台の小道具、火焔型土器を頭上に載せて軽やかに袖に引っ込んだのだった。

筆者は早く着いたので予定外との井上のトークも聞いたが、開口一番「謝りに出てきました」との言。2日前のすみだトリフォニー公演は、開館以来初のオーケストラピット使用でちゃんとした「オペラ」になったこと、サントリーホールは「オペラ」観劇ができる音響ではないからオペラにならないこと。でも悪戦苦闘して、オペラにしたこと。作曲にあたっての留意点など語る。とくに「日本語が字幕なしでもよくわかったと言ってもらえるように苦労して書きました」。そうして最後に叫んだ。「今日こそ日本のオペラが始まる!」

【作品について】
指揮者のお遊び、と侮る人もいよう。ミュージカルオペラ、何それ、と。
ざっくり言えば、ミュージカルはわかりやすく楽しめる音楽・ダンスとマイク使用。オペラはクラシック歌唱(ベルカントとか)、生音生声で(筆者は20年ほど前に歌劇場での歌唱は生声ではないと音響関係者から聞いているが)。本作はその両方を含む、ということらしい。
作品番号はOp.4、それ以前に交響詩『金閣』(1997)、『鏡の眼』(2001)、『メモリーコンクリート』(2004)があり、自伝的作品は第2作から。その後、本作のために自ら台本を書きはじめるが咽頭癌闘病を含め15年以上の歳月を費やしての世界初演である。
カーテンコールで頭を抱え、スコア、原稿を投げ散らす七転八倒のパフォーマンスを見せたが、そういう日々だったようだ。
指揮・脚本・作曲・演出・振付全てが井上の手によるもの。

【テーマ】
戦争の前後、戦況に翻弄される日米それぞれの出自を持つ井上の両親の生活、思考、感情とその葛藤を描きつつ、息子タロー(井上)もまた自身のアイデンティティへの問いに悩む。戦争とは、平和とは、正義とは、人とは、愛とは、私とは、幸福とは。
そして今、私たちは、未来は。

【舞台】
第1幕、3幕は中央にソファ、後方にオケ、その前方に歌手陣。指揮者は右寄りに位置し、振り返ったり踊ったりしながら舞台にちょっかいを出す。ゆえ、もう一人役者がいるわけで、その存在感たるや推して知るべし。
第2幕は左手に一段高いステージ。後方オケ、前方で歌ったり踊ったり、あるいは2階右手に合唱隊。
字幕は前方2箇所、サイド2箇所設置で「みんながわかる(読める)ように」の配慮。集音マイクも2箇所。
ついでに、ロビーなどで視覚障害と思しき方々を多く見かけたのは、このオケの常なる姿勢を伝えるものであろうことに触れておく。

【あらすじその他】
《第1幕 絵描きの朝》
1970年代の日本、海辺近くのアトリエ。鳥のさえずり、かすかな波音(と思えた)。絵描きのタロー(「芸術は爆発だ!」の岡本太郎を模す)がキャンバスを前に創作に励む。モデル2人の掛け合いとワルツ<衣食のワルツ>。後方オケの間をぬって少年(タローの分身)登場、バレエ的挙措でタローの描いた両親の肖像画を示す。絵が倒れ下敷きになるタロー。時空はポルカ風の行進曲とともに両親が暮らしたマニラへ飛ぶ。
音楽はマーラー風に開始といえばよいか。カッコウでなくホーホケキョだが。打のドーンドーンの規則正しいリズムの刻みなど、いたって正攻法。言葉も明瞭でわかりやすい歌唱・音楽、なるほど「わかる」。要は長ったらしいセリフを避け、音読みで理解できる簡潔な言葉、日常語だけで組み立てる。これは本作の重要なポイントだ。どこかで聴いたような音楽(いちいち説明しないがこれも大事)の招く親しみやすさ、ワルツ、ポルカでのダンサブル指揮も同様。

《第2幕》
マニラの家のベランダ。友人たちと酒宴談笑する正義。彼のお気に入りフィリピン娘ピナ<ピナのバラード>。バンブーダンスで盛り上がり<毎日が夏だ〜>と戦争の日々をデカダンに歌いあう人々。片隅で一人編み物をするみちこ。ピナの拳銃窃盗騒ぎをうまく収めた正義に<そろそろ家に>と呼びかける。「いつもあなたは私の父、ふるさと、家」と夫への愛を歌うアリアに、正義は<愛悩一途I know it>(この種の遊びはあちこちに)、「国をまたぐ俺に家と呼べるものはない」と冷たく応える。友人たちと<アブラ食む(ハム)>をおふざけ大合唱。
そこへ砲撃音。<逃げろ ニゲロ>と右往左往に多数の負傷と死者。「戦争終結」のビラが舞い<ああ、助かった>の合唱に、負傷した正義は<降伏の正義>のアリアを。夫に気づいたみちこは通りすがりの米兵に救護を求めるが、するうち米兵と愛の交感(ここでの米兵とみちこ、つまり小林沙羅のバレエは見事なもので満場に感嘆が漏れる)。これがタロー誕生秘話を暗示。
戦場の悲惨、「負けた方がまちがい、勝った方が正しい」、戦争と平和とは、降伏(幸福)とは、などなど次々重いメッセージがシンプルな言葉と音で投げかけられる。説教くさくもなく、冗談めかしもありで、ここは観客それぞれの個人史(老いも若きも)によって感受は異なろう。むしろそういう書き方が筆者には好ましく思えた。
音楽もバラエティに富み、とりわけハープでの美しい調べ(かなり長尺)はロマンをかき立て、井上の言う「オーケストラ中心のオペラ」の面目躍如か。ミュージカルファンも喜びそう(これも大事)。

〜〜幕間朗読〜〜タロー出生秘話

《第3幕》第1幕と同じ日、同じ場所
制作中のタローのもとを訪れる老夫婦(両親)。自分たちの若い頃の絵を見つけて語らうが忘れたい記憶もある。が、みちこが本音を吐くと正義もまたレチタティーボ<ああタロー>、アリア<神様仏様>(歌唱にはこれに続き「お天道様、みちこ様」。こうした言葉に筆者は井上の人間洞察を見る)を歌い、互いを許し合う。タローは芸術に生きるべくアリア<エロスの道行>を。周囲に<絵空ゴッド>と揶揄されるが、タローは全てを受け入れる、と<正義への献呈歌>。再び現れた少年が中央で高みを指差し、全員での<オペラへの奉納唱(讃美歌461)が輝かしく歌い上げられて幕。
道義のアリアに「平穏ばかりを考え、真実を伝えなかった」といった言葉があったが、「ゆるし」のなかに愛と希望を見ようとするエンディングは、井上にとっての一つの答え(彼自身の希望)だろうが、少なくとも最後のいかにも清らか、かつ熱い合唱の響きの中に、強いメッセージを受け取った人は多かったろう。
問いかけがあまりに沢山でとっ散らかった感もあるが、観客それぞれが何か一つ、自分に響くものを見つけられればそれでいいと思うし、それがいいと筆者は思う。
第1、2幕で使われた音楽の回想などのほか、ここでのアリア、合唱、とりわけ最後のそれはいわば人間讃歌で、まさに王道をゆくもの。誰もに「わかる」路線を貫いたのは、いわゆる作曲家のエゴが彼になかったから、とも言えるのではないか。

音楽全体は「様々な<引用>の嵐」(プログラムでの本人の言)。バッハ、ベートーヴェン、ドビュッシー、ワーグナー、童謡に流行歌、武満から CMソング、阿波踊りまで満載。独自の井上節があるわけではないが、むしろそれこそが彼の「ふし回し」ではないか。全ての歌唱・音楽の基本は「わかる」、なのだ。したがって筆者にはいくつかの言葉が音楽とともに胸に残った。降伏と幸福、平穏と平和。みんなで描いて、みんなで消して、など。その意味は、各々が考えればよかろう。
歌手陣、合唱群はどれも素晴らしく生き生きと役割をこなし歌い上げ、オーケストラも指揮者と一緒に踊り歌い、一人一人がこの公演の成功に並々ならぬ気持ちを抱いているのが感じられた。終演後のあの熱い一体感(客席を含む)はそれゆえ、ではないか。
ミュージカルだろうがオペラだろうが、ジャンルなどどうでもいい。
作者がどうしてもみんなに投げたいものがあって、それを音楽劇でやった。やらずにいられなかった。
それで充分だろう。なんとなく、の物事があまりに多いのだから。
この公演を創った人々は全て、そういう力に突き動かされていたに違いないと思う。

終幕でのタローのアリアに「やっていけないことなんかない、やりたいことはすべてやれ!」という言葉があった。
やっていけないことはある。
人を殺してはいけない、ロシアだろうとウクライナだろうと隣国だろうと隣人だろうと家人だろうと。
正しい戦争などない。正しい人殺しなんてない。
だけど人類に争いは絶えず、人は人を殺し続ける。
いけない、と思う人と、構わない、と思う人がいつの時代にもいて、その鬩ぎ合いが人類史そのもの。
いや、自分がどちらに属するかは、時と場合で変化する、きっと。
それが人間というもの。
愛とか自由とか平和とかは、自分自身の徹底検証からしか生まれない。
だから君たち、考えてね。
僕も考えるから。
私がこの作品から受け取ったのはそれ。
東京大空襲を受けた街、すみだトリフォニーでの再演があれば...。

(2023/2/15)

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『A Way from Surrender』

General Director
Conductor/Screenplay/Composition/Direction/Choreography: Michiyoshi Inoue
<cast>
Taro (tenor): Kazuma Kudo
Justice (baritone): Uchu Onishi
Michiko (lyric soprano): Sara Kobayashi
Mami (soprano): Ena Miyaji
Emi (mezzo-soprano): Naoko Toriya
Pina (soprano): Erika Colon

<ensemble>
Bird Voice 1 / Kumi (soprano): Ikufumi Nakagawa
Voice of the bird 2/Yuri (soprano): Sayuri Ota
Mrs. Consul (mezzo-soprano): Minori Hirumuta
Botero (mezzo-soprano): Koto Ashida
Voice of Paint / Fujiwara (tenor): Tomoya Saiki
Niki (tenor): Masachika Watanabe
Yamada (baritone): Manabu Imai
Nakamura (baritone): Hironori Takahashi
Guerrillo (baritone): Daichi Yamada
Seigiskan (bass): Hirokazu Nakata
Framed Voice (Bassoprofondo): Isamu Ishizuka
– Shonen Taro: Ryota Motegi
– US military relief team (dance): Yuri Serezen
Reading: Daisuke Oyama
4-part under: Reina Fujii
Chorus: Senzoku Gakuen Memorial Chorus

<Orchestra>
New Japan Philharmonic