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都響スペシャル「第九」|藤原聡 

都響スペシャル「第九」 

2022年12月25日 東京文化会館
2022/12/25 Tokyo Bunka Kaikan

Reviewed by 藤原聡(Satoshi Fujiwara)
写真提供:東京都交響楽団 

<演奏>        →foreign language
指揮:エリアフ・インバル
東京都交響楽団
ソプラノ:隠岐彩香
メゾソプラノ:加納悦子
テノール:村上公太
バリトン:妻屋秀和
合唱指揮:増田宏昭
合唱:二期会合唱団
コンサートマスター:矢部達哉

<曲目>
ベートーヴェン:交響曲第9番 ニ短調 op.125『合唱付』

 

2022年3月に都響でショスタコーヴィチの『バビ・ヤール』を指揮する予定であったインバル、しかしながらコロナに罹患してコンサートは中止に(同曲再プログラミング熱望)。それゆえこの2022年12月の都響登壇は2021年の1月以来約2年ぶりのこととなる。ブルックナー『ロマンティック』のノヴァーク1874年第1稿やヴェーベルン、フランクの交響曲など極めて意欲的なプログラミング、そのトリとなるのはベートーヴェンの第9。インバルが都響でこの曲を指揮するのは7年ぶりというが、今回3回開催された第9コンサートのうちの2回目、東京文化会館での公演を聴く。

御年86歳とは思えぬ矍鑠とした足取りでステージに登場したインバルであるが、その音楽もまた同様。1990年にウィーン響を指揮した録音は当然のこととして、都響との過去の演奏と比較してもさらに変化/進化している。確固としたバス声部の支えの中—都響と言えどもこれほどの重量感のある音はそう出せるものではない—かなり速いテンポで拍節感を明確に打ち出し、その音像は引き締まって堅固の極み。ベーレンライター版などどこ吹く風、ブライトコプフ版(かつインバル独自版)に16型の4管編成ながらその音楽のアグレッシブなことと言ったら。今回特に際立ったのが内声の生かし方と明晰な木管楽器群で、これらに対する意識的な配慮はオケ全体の立体感を生んで圧巻。まるでヨーロッパのオケのようにそれぞれの声部が主張をしながらもかつ全体は見事にブレンドしている。第1楽章では上述したこの演奏の特質が完全に曲想と一致、荒れ狂いながらも明晰さと音の美観も担保され既にして舌を巻く。

続く第2楽章、スケルツォ主部のリピート省略(以前の都響での演奏時はどうであったか失念…。録音では実施)は意外であったが、インバルの非常に正確で、敢えて言うなら「ドライ」な演奏は極めてモダンな印象を与え、はるかのちのミニマル・ミュージックすら想起させられたのには驚かされた次第。
こういうことが起きるのがインバルの演奏なのだ。

かような演奏であるから次の楽章、アダージョ・モルト・エ・カンタービレが陶酔的かつ情緒的なものになり得ないのは当然だけれど、それにかわってここには非常に明快なアポロ的な美がある。楽章内でも特にそれが実感されたのはLo stesso tempoと指示のある音楽が8分の12拍子に変わって以降の部分だ。第1vnの旋律は驚くべきつややかさと均整の取れた様子で歌われ、テンポは淀みなく流れ続ける。この明快さはただごとではないが、この後の例のトランペットによる「警告」、特にその2度目直後の悲痛な和音の響かせ方もまた特筆に値する。なんという美しい音楽であることか。

となれば終楽章も悪いはずがない。多様な音色とアーティキュレーションを駆使した非常に雄弁なチェロバスのレシタティーヴォ、続く「歓喜の主題」ではその3度目のものがまるでクレンペラーのような崇高かつポリフォニックな表現でインバルの面目躍如。バリトン登場後も声楽陣よりむしろそれを支えるオケの精密さ/鮮明さに耳が吸い寄せられる次第。「vor Gott」はブライトコプフ版ながらティンパニもディミヌエンドなしのff、インバル渾身の引き伸ばし(ウィーン響との録音はディミヌエンドあり、かつ常識的であっさりしていた)。その後も音響は全体としてカッチリまとめられながらもあらゆる細部にまで目配せの行き届いた音楽が展開されて行く。ここまで曖昧さのない明晰な第9にはそうそう遭遇できるものではあるまい。本演奏、声楽ソリスト4名は「無難な出来」に留まるもの(音程と重唱の精度に難が…)、二期会の合唱は人数がやや少なめながら量感のある歌を聴かせてさすが、と思わせた。しかしどうあれ、最終的にはインバルが屹立していたのは間違いない。

最後に第9に限らずインバル総論めいた話。この指揮者はいわゆる「円熟」やら思わせぶりな「深み」とは無縁であり、常にその音楽=楽譜から新たな何かを掴み出そうとする永遠の若さと探究心がある。あるいは音楽に音楽外の感情移入し易い「物語」を持ち込まない。テクストそれ自体を徹底的に掘り下げる。これは若い時からのこの指揮者の方法論だが、近年はそこにある種の自由闊達さが加わって唯一無二の境地にあるように思う。時に疑問に思う演奏がないわけではないが、それは凡庸ではないという意味でもある。やはりこの人は稀有な音楽家だと痛感した第9のコンサート。

 (2023/1/15)

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藤原聡(Satoshi Fujiwara)
タワーレコード、代官山 蔦屋書店を経て、現在ディスクユニオン勤務。
クラシック音楽情報誌『ぶらあぼ』に毎号CDレビューを執筆。

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‹Players›
Conductor:Eliahu Inbal
Tokyo Metropolitan Symphony Orchestra
Soprano:Ayaka Oki
Mezzo-Soprano:Etsuko Kanoh
Tenor:Kota Murakami
Bass:Hidekazu Tsumaya
Chorus Master:Hiroaki Masuda
Chorus:Nikikai Chorus Group
Concertmaster:Tatsuya Yabe

‹Program›
Beethoven:Symphony No.9 in D minor,op.125,“Choral”